昔見たドラマやアニメを見て、「あれ?こんなストーリーやシーンだったかな?」と思ったことはありませんか?私は今日、久しぶりにそんな感覚に浸りました。
今回見た、「ゴリラ・警視庁捜査第8班」(以下、ゴリラとする)は、当初は莫大な予算と手間と石原プロの威信をかけ、海外での撮影も交えてアクションシーンたっぷりに展開する、本格的刑事ドラマとして放送されました。石原プロの意気込みはかなりもので、日本テレビ系の「刑事貴族」に出演していた舘ひろし氏を引き上げてきたほどです。
第一話放送前から番宣が、「これでもか」というほど放送されました。番組放送開始直前も、たしか古舘伊知郎氏が、定番のテンションの高さでロケシーンを取材するミニ番組がなかったかな??
当時高校生だった私の友人、知人や家族などの周囲の反応は、「アクションシーンは多いけれど、ストーリーがないよね?」というものでした。そのアクションシーンも、サバイバルゲーム的で、これまた馴染めかったのでした。
そんなわけで、第一話こそ見たのですが挫折してしまい、放ったらかしにしていました。第一話と今回紹介する39話以外では、どこかの踏切で犯人の車と主役の車がロープで結合されて動けなくなってしまい、列車通過直前にロープを発砲で切断、踏切を通過する、というシーンを見た覚えがあります。
今回は39話を紹介いたりますが、私はこの数回前から、何かのきっかけでまたこの番組を見るようになっていたのでした。どうも馴染めなかったアクションシーンがなくなって人情ドラマにシフトしていて、思わず見入ってしまっていたのでした。
数回前から骨腫瘍にかかってしまった伊達刑事(舘ひろし)は、上司の倉本(渡哲也)から、「田舎に帰って、お母さんに会ってこいよ。」と言われ、実家がある長野に帰省するのだった。
道中、「母親の浮気が原因で就職内定を取り消され、思い余って母親を刺してしまった」犯人が逃走していることがわかる。
実家に帰るが、母親と兄嫁の確執から母親は敷地内に離れと作って住んでいた。兄からは、「お前がいない間、大変だったんだ。ここはもうお前が帰ってくるところではない。」と言われる。母親も、伊達とは話そうとしなかった。
近くの河原で同級生に会った伊達、昔話をして別れたところ、その同級生の車に前述の犯人が潜んでいて、そのまま自宅アパートに拉致されてしまう。
伊達はアパートの部屋に突入するが救助に失敗、そのまま囚われの身になってしまう。地元署が取り囲んで解決に臨むが、手際が悪く埒があかない。そこへ助けに来る8班の面々。また、騒ぎを知って伊達の身を案じ、現場に駆けつける伊達の花親。
伊達は犯人に、「母親は一人しかいない。お前は自分のことしか考えていない。親孝行をしたいと思っても、その時に出来るかどうかはわからないんだ。」と説得、犯人は自首を決意する。
自首をして出ようとするが、地元署は焦って発砲、逆上した犯人は8班の手で逮捕された。事件解決後、倉本は伊達の母親と面会をする。伊達が痩せてはいないか心配している母親に対し、「また来させますから」と言う倉本。
帰り道、伊達に伊達の母親から渡されたお守りを渡す。伊達には、幼い頃母親と兄と三人で河原を散歩する様子と、
当時歌っていた「大きな古時計」の思い出が去来する。(この歌声にはエコーがかかっていて、いかにも「回想シーン」らしさが出ていていいんだよなあ~。3人で映っているということは、伊達が母親と兄と仲良くしていたあの時代に戻りたい、という気持ちが表れていると思います。)
車を運転する伊達の目から、涙が溢れて止まらなかった。最後は、落涙シーンにストップモーションがかかる。
私の記憶では、「兄に「もうここはお前が帰ってくるところではない」と言われる」シーンは、事件が解決したドラマの終わりのシーンになっていました。そこは実家の門の所で、そには母親も一緒に立っていました。兄の冷たい態度で伊達はそのまま帰ろうとするものの、母親があとで走ってきてお守りを手渡す、というものでした。
私の記憶の方が印象的で感動できるような感じになっていますが、それだと事件そのものが描けなくなってしまいます。ちなみに、事件そのもののシーンは、全く記憶に残っていませんでした。
ちなみに、今回も伊達の落涙シーンで涙が誘われてしまいました。当時、一緒に見ていた両親は、「なんだか昔のワンシーンドラマを魅せられているようだなあ~」と、この作品をバカにしていました。
でもなあ、こういう「親孝行物」は、ドラマとしてごくごく基本的なもので、よく出来ている作品だと思うんだけどなあ。
皆さんの感想はいかがですか?
Posted at 2014/04/19 22:21:58 | |
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