
ブックカバーチャレンジ番外編
国語(教科書)二内、「幸福」安岡章太郎
フェイスブックにて「ブックカバーチャレンジ」というのをしていた時期がありました。もうお役は済ませているのですが、この話は取り上げたかったので、こちらでも書くことにしました。
このお話のあらすじは、以下の通りです。
僕(主人公)は、中学4年か5年生。母親から、叔父が帰省するための寝台券を新宿駅まで買いに行ってくるよう、頼まれる。面倒くさい上にぶっきらぼうな国鉄職員と口をきくのが嫌で、しぶしぶ行く。
駅では案の定、窓口職員は不愛想に対応する。ところが、僕は5円札を出したつもりだったが、7円の釣札を返してきた。どうやら10円札と間違えたらしい。帰りの電車を待つ間、5円の使い道に思いを巡らす僕。そこへ掃除係の駅員が来た。どうやら僕より年下のようだ。
ふと、不愛想な対応をした駅員のことが気になる。
(以下、僕の想像)
窓口職員が帰宅すると、母親は相変わらず寝たきりだった。体温計は昨日と同じところを指している。「ああ、疲れた」とつぶやく。
僕は、また窓口へ戻り、「釣札が5円多かったです。」と伝える。窓口職員はふと笑みが出て、
「あれ?そうでしたか?わざわざすみません。この陽気のせいか、どうもいけねえや。本当にすみませんでした。」
と言う。
僕は、胸の中がすっきりし、すがすがしい気分になった。帰宅後、母親にそのことを話すと、
「何を言っているんだ。渡したのは10円札だったんだ。」
と言われる。
その後、夜遅くなってまた駅に5円札を取りに行かされたが、あの時の窓口職員の笑顔は、その徒労では買えない、かけがえのないものだった、と今になっても思うのだ。
以上
今回書きたいのは、あらすじではありません。
この挿絵の握り寿司、そしてその上の、中トロだエビだ赤貝だシャコだトリガイだコハダだと、すしの表現が巧みで、寿司を食べたくなってしまったことです。3時間目や4時間目が国語の授業時間だと、ついこの頁に目が行き、頭の中で寿司を食べるのでした。
国語の授業で単元が変わる際に、「次は何にしようか。」と言う先生に、「この、(寿司がうまそうな)話が良いです。」と申し出ると、「その話はやらない。」とだけ言い、冷たくあしらわれました。
思えば、その当時はすでに寿司が高額な食べ物になりつつあった時期でした。このお話の頃の寿司は、現代のファストフード的位置づけであったために、旧制中学生が学校帰りにつまめる食べ物だったと、グルメ番組で聞きました。
私の家では、お盆やお彼岸など、特別かつお客さんが来る時でないと食べられませんでした。一般寿司店の出前で、4ナンバーのバンで配達していたと思います。
200カイリ漁業権問題以降、すしの高額化が始まったようです。しかし、1980年代初め、私の家のほうでは現在の回転寿司の原型が生まれました。洗面器程度の容器に寿司と皿を置き、容器は通路に設けた水流で各席を巡らせていました。寿司職人は少数が水路の中央にいて、次々握ることに専念させ、接客の省略により運営コストを削減、さらに一種のディスプレイ効果から、客は食欲がそそられるのでした。
1980年代も半ばに近づいてくると、「小僧寿しチェーン」が台頭してきました。安くなったとはいえお店に行かなければ食べられなかった握りずしを、お店で買って家で食べられること、価格も安く、手軽さが売りでした。ネタ材が貧弱でしたが。
1980年代後半になってくると、「元禄寿司」が出てきました。回転方式はベルトコンベヤーとなり、個別の客の注文にも応じてくれ、さらに持ち帰りも可能でした。値段は小僧寿しのものと比較すると高額でしたが、ネタ材は本格的でした。
1990年前後は、回転寿司は安物、本格派は従来寿司、という風潮が生まれました。
1996年頃になると、突然渋谷に回転寿司が現れます。ところが、寿司よりもプリンだフルーツだと、寿司以外が食べられていたとの説があります。
1990年代末期は、中部地方発の「アトムボーイ」なる回転寿司店が現れます。価格が安く、「ポテトサラダ軍艦巻き」などの、創作寿司が特徴だったとか。関東に進出する前に経営が悪化した模様です。
時は流れ、2010年頃になると「スシロー」が台頭します。価格の安さと話題性が特徴で、ファミリーが車で来店、駐車場の空きを待つ「スシロー渋滞」は日常茶飯事でした。
そして現在、無店舗型宅配寿司チェーン店や、スーパーの総菜コーナー持ち帰り寿司が一般化しました。私の家では、待ち時間が嫌なのでもっぱら持ち帰り寿司です。
そしてこの写真をご覧ください。
1988年初に放送された刑事もの「NEWジャングル」の一シーンです。犯人が寿司配達員を人質にして、カローラバンで逃走しようとしています。当時までは、一般寿司店が4ナンバー車で配達をしていたのですね。
仮に寿司辰が残っていたとしたら、きっとその車は次にスズキ キャリイやダイハツ ハイゼットのバンに置き換わっていたことでしょう。そして今は、、、宅配すしチェーンの3輪バイクに変わるか、そもそもスーパーの寿司に置き換えられているかもしれません。
寿司を取り巻く状況は、単に業者や業態だけでなく、使われ方や配達まで変わっています。今、4ナンバー貨物車が激減しています。その原因の一つとして、この「幸福」を思い出し、会社の人と討論しながら帰宅したのでした。
なお、その方の家では無店舗宅配チェーンを利用しているそうです。皆さんのお宅は、いかがですか?
Posted at 2020/07/23 20:13:46 | |
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