文化庁の日本語に対する調査のニュースが、数週間前に発表されました。今回のトピックスは、
「日本語が乱れていると感じる人が減ったこと」
です。
この種の調査が始まったのは1995年の様ですが、「正しい日本語」が話題になったのは1970年代後半の様です。想像ですが、「間違いだらけのクルマ選び」が大人気になった結果あらゆる分野で「間違いだらけの」を題名にする本が乱立、日本語分野にも及んだのではないか、と思います。
そして具体的に初めてニュースになったのは、1985年頃の「ら抜き言葉」からです。「着る」「食べる」などの可能形を「着れる」「食べれる」とするものです。もはや話題にもならず、これらの言葉が正しくなるのは目前です。
国語の授業で聞いた話では、同音の「切る」の場合の可能形は「切れる」ですから、音が同じ言葉で意味によって活用方法が異なるのは不合理であり、言葉は簡単な方に変化する傾向があるため、「着れる」になるのは自然、というものでした。
言葉が間違っている、間違っていない、ということに執着するのはどちらかというと理工系の一部の人で、どうやら一度決めた定義が異なっていくことが許せないようです。一方で国語系の人は、このような変化は正さず容認する傾向にあります。
そんな誰も議論しなくなった「ら抜き言葉」はさておき、私はかつての若者言葉で流行語になった言葉の衰退が気になります。
例えば、「超」は、今使われているでしょうか?生まれは東海道新幹線が開通した1964年でしょうか?私には1977年のさらば宇宙戦艦ヤマトで最後に出てきた敵大型戦艦が、「超弩級大型戦艦」と呼ばれたことで知りました。ピークは、1996年頃に木村拓哉氏はドラマで「チョベリバ」と言った頃だと思います。
若者言葉として現在あるのは、「めちゃ、めっちゃ」だと思います。しかし、その「めちゃ、めっちゃ」も、若干「手垢がつき」、古くなってきているように感じます。
また、「やばい」はどうでしょうか?「自分にとって良くない状況に変化していくことをさしてつかう言葉」です。私は、私が住む地域の別の意味の方言によく似ており、主義として使いません。
この言葉は、江戸時代から太平洋戦争を経て、1980年代までは、やくざ者や不良学生などに使われてきたようです。それが1980年代半ばころから、「一見真面目そうな女の子でも、自分が親しみやすいキャラクターであることを演出するために、わざと悪ぶって使う言葉」に昇格しました。
そこから一般化が進みましたが、1990年代後半、若者向けファッション雑誌に「ヤバいアイテム」という表現が現れました。「ストリート感覚満点でかっこう良く、それでいて秘密にした衣服やアクセサリー」という意味です。そこから本来の意味を失い、「かっこう良い」になり「おいしい」の意味にも使われるようになっていきました。しかしこちらも「超」と同様に、急速に衰えてはいないでしょうか?
私はこの二つの言葉が勢いを失っている背景に、「かつての不良性要素(ヤンキー、ギャル)を忌み嫌う傾向が強まってきた」ことを感じています。2000年頃は、景気悪化が普通になり、就業、就職意識を失った若者が街にあふれた時期でした。その頃の「ヤンキー、ギャル」がその後どうなっていったかというと、「若年結婚、出産、貧困、暴力、離婚、殺人」でした。すなわち、かっこう良いとされてきた「ヤンキー、ギャル」は、「あ、そのうち殺人するかされる人だ!」と見られてしまうのです。
私がかつて富士山五合目に「半袖、半ズボン、サンダル」で行ったところ、周囲の人が「あ、凍死して新聞に載る人だ。今のうちにじっくり見ておこう!」とニヤニヤしながら嘲笑の目にさらされたのと、同じ状況です。
すなわち、ヤンキーやギャルなど、不真面目ぶることが格好悪いとされる時代が、より本格的になった、ということがここにも表れていたのです。
Posted at 2020/10/18 23:55:46 | |
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