
みなさんは、NHKの大河ドラマをご覧になっていますか?鎌倉方の体制が整い、いよいよ平氏討伐になってきています。先週は、上総広常が殺され、今週は木曽義仲が最期を遂げました。義仲は、「いつもは何とも思わない鎧が、今日ほど重く感じたことはない」とかいう辞世の句を詠んだはずなのですが、なかったですね。
色々戦いが起こっていく中、鎌倉方の侍所の別当(長官)は、和田義盛(演:横田栄司)が務めています。歴史上でも戦上手な人物の一人で、今後の話の中でも最後の方まで残っていきます。
そんな和田義盛に、高校時代の日本史の思いをはせるのでした。
鎌倉時代は、人物の苗字が急に増えていきます。そもそも「源」や「平」は苗字ではなく、その昔の宮中での役目をあらわしたもので、自身の出自を示したものなのだとか?「どこそこに住んでいる「源」や「平」のだれそれ」と名乗るうち、「源」や「平」が消えて、苗字になっていったと聞きました。
そんな苗字が増えていく中、私はそれまで得意だと思っていた日本史に、急速に苦戦するようになっていました。鎌倉時代の御家人と言えば、「比企」「梶原」「三浦」「和田」「安達」「足立」「八田」「大江」「三善」「中原」「二階堂」「畠山」「北条」です。日本史の定期試験では、当然これらの御家人を答えさせる問題が出題されました。そこに、「和田義盛」を答えさせる問題が出たのでした。
一方、同級生には「和田焼盛(仮名)」君という人がいました。まじめな人で、勉強と部活動の水泳に力を入れる一方で、それ以外にはなるべく参加しないような人でした。私は1年生の時に同じクラスになりましたが、会話をしたのは数回だけだったと思います。
その「和田義盛」を選ぶ問題に、「和田焼盛」の選択肢が出ていたのでした。当初私は、比較的地味な和田義盛を覚えておらず、この問題に苦戦していました。しかしよく見てみると、どこかで見たような「和田焼盛」の名前に気づき、この試験は先生のお遊びが含まれていることに気づきました。
合わせて、「三浦義村」を答えさせる問題には、ロサンゼルスで起こった事件で裁判を受けていた「三浦和義」の設問があることに気づきました。これがきっかけで両方の問題に気づくことができ、和田焼盛君にも出題した先生にも、申し訳が立ったのでした。
その試験後、和田焼盛君のそばには人だかりができているかと思いきや、ただ試験が終わり、明日へ備える帰宅の列が出来るのみでした。和田焼盛君が地味な人だったことや、そろそろ受験へ気持ちの切り替えが進んできたのか、面白おかしいことよりも、定期試験の評価や受験校選択の方が重要になっていった時期だったのかもしれません。
普通の3年制高校ならば、まだまだ遊んでいられるはずの、2年生半ばの出来事でした。私の中では、高校生活の中で面白かった出来事の一つとして記憶されているのですが、同窓生では覚えている人が少なく、以後の生活の中(特に先日書いたアルバイトの場)で話しても「まじめで面白くない出来事だね」と言われてしまいました。学校での出来事は、たとえその場で話題になったとしても、適当に話を合わせるだけにして、あまり話さないほうが良いと感じたのでした。
Posted at 2022/04/24 21:16:31 | |
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