
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ
今日も、先日の職場の話の続きです。私はお疲れさま会の日は勤務としませんでしたので、午後6時少し前に会社に到着しました。話す相手は特にいなかったのですが、私と同じヤマト産業大学のABさんと井戸端さんが話しかけてきました。そこへ、他の大学の4年生で機械メーカーの営業職か機械や電気部品の商社の営業職に就職した「内田さん」という方が話しかけてきました。名前は全く覚えていないのですが、
「クラブ活動はラグビーですよね?」
「お兄さんか弟さんもラグビーをしていますよね?」
「お父さんは工務店を営んでいませんか?」
という風貌でしたので、ここでは「内田さん」とします。
内田さんは、ABさんと私に就職活動の方法を語ってくれました。特にABさんは、理工系大学所属ながら「文系就職」を望んでいたためです。
「文系就職」とは今や死語になっていますが、理工大学に通いながら技術者にならず、営業職などに就職する人を言います。一見技術者の道を逃げているように見えますが、専門的な商品を文系大学出身の営業職に学ばせるよりも、技術のことが分かった技術者の卵を営業職として育てた方が効率的という見方があったためです。
話を元に戻しますと、ABさんが内田さんにいろいろ質問をする形で始まりました。
AB「今年度の就職活動って、どんな感じでしたか?」
内田「いろいろ厳しいって言われていたけど、何とか3社は内定がとれたし、まだ大丈夫だよ。今年になれば、少し回復してくるんじゃないかなあ。」
AB「理系の人っていましたか?」
内田「いたよ。うちらが何回も試験を受けさせられたのに、理系の人は名前を書いていただけだよ。形だけの試験をしただけ。教授推薦の人は、姿すら見えなかったね。」
AB「(私に向かって)moto'91君、理系は楽に就職できるって。良かったね。」
内田「それより大根さん、東京ブルメーラ販売(自動車ディーラー)だって?何か悪いことしたの?」
AB「なんかよくわからないスけど、いろいろ大変みたいだったスよ。「営業職だったら雇ってやる。」とか言われて決まったみたいっす。」
内田「そうなんだあ。かわいそうに。」
私は、「大根さんは、見た目がちょっとお年のようで。。。」
と言いそうになったのを、ぐっとこらえました。
また当時は、大学を卒業して一般顧客と直接接する産業につくのはあまり一般的ではなかったように記憶しています。そして四年制大学を卒業した女性が店舗系営業職に就くのも、まだまだ珍しかったような気がします。職に貴賤はないけれど、四年制大学卒の女性はオフィスで「ザ・総合職」という仕事に就く印象でした。
大根さんの話題はそれで終わりとなり、そろそろお疲れさま会の時間となりました。私は内田さんと会うのはほとんど初めてなのに、他の人と異なっていろいろ新設に教えてくれることに感謝の気持ちを抱きました。のちにも年長者と話すことはありましたが、
「そんなこと自分で考えろ。」
などと言う人ばかりで、教えてくれる人はほとんどいませんでした。そもそも、人に教えられる人が少ないのかもしれませんね。
私にとっては内田さんが教えてくれたことはすぐには使うことはないものの、ABさんにとっては、この時は有効な方法だったかもしれません。
ところが時代の変化は非常に早く、この5か月後には内田さんの教えは、完全に覆されたどころか、むしろ守っていたら大間違いになっていたのです。
Posted at 2025/03/04 22:18:49 | |
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