
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ
そんなこんなで、お疲れさま会に行く前に監督社員さんに辞意を伝えられなかった私は、仕方なくお疲れさま会に行くことになりました。会が始まっても、この時点で私が知っているのは、職長、同日入社のゾウさん大学の黄川さん、タクシーさん、同じヤマト産業大学のABさん、豚口さん、
就職活動について教えてくれた内田さん、ホウセンカ大学で、本当は卒業するはずだったのが単位が不足して卒業できなかった、お囃子さん、コーヒー大学の太山さんくらいかな?
3月11日に一緒に事務仕事をした八方ふさがりさんなどは、呼ばれなかったのかもしれません。全体では約30人はいたはずですから、ほとんど知らない人ばかり、ということになります。
会の最中のことはよく覚えていません。上記のように知り合いが少ないのですから、私のそばに話しに来る人もいません。この頃の私はまだ少しはお酒を飲んでいたでしょうから、多少酔いこそすれど、楽しい気持ちはありませんでした。そもそも掃除部でもお酒を飲む会はありませんでしたので、私はそういう場で何をしたらよいのかがわからなかったのです。少ないながら掃除部のお酒会では、コロッケをポケットに入れられて持ち帰っただのありましたが、スペード社の人はそういうことを面白く思わなかったようです。いや、これを書いている今でもはっきりとはわかっていないかもしれません。気持ちの上では、「前祝いはいらないので
早く打ち上げましょう」と言いだそうと思うほどでした。
周囲では盛り上がっていましたよ。この時点では私は名前を知らなかった野比さんは、すっかり酔って他の男性におしぼりか何かを投げつけていたかな?当たり前ではありますが、女性でも酔っぱらうのだなあ、と第三者的に見ていました。でも、この少し前にいたはずの山町さんや南大阪さんはいたはずですし、左官さんや悪畑さんなども在籍していたはずなのに、この時の写真には写っていません。
そしてお疲れさま会が終わりになった頃、監督社員さんが私の前に来ました。
「ぜひ、君にはこの仕事を続けてほしいんだよなあ。」
と言います。
私は
「いや、学校があるので続けられませんよ。」
と答えるしかありません。
すると監督社員さんは、
「来られる日に来てくれれば良いんだよ。」
と言いました。私は今でいうところの「隙間バイト」的に働いても良いと解釈しました。実際にSM社の方も、平日は7-9時間程度、平日は3時間程度働いていましたので、そういうことをしても良いのだ、ということです。それなら出来ないとは言い切れませんので、
「わかりました。そこまでおっしゃるのでしたら続けます。また、来週からよろしくお願いします。」
と言い、監督社員さんと握手をしたのでした。でも、経済情勢なのか監督社員さんの実際の意図はそうではなかったのか、後日、
「そういう勤務のしかたは困る。」
と言われてしまうのでした。この監督社員さん、説明が良くないですよね。それなら「長期休みの時だけでも来てくれれば良いから。」とか、「また来シーズン頼むよ。」と言えばよいのです。
Posted at 2025/10/13 21:16:54 | |
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