
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ
一次会は居酒屋で酒盛りになったことまで書きました。そのあと移動していくので、私は会社の屋上に戻っていよいよ「打ち上げ」をするのだと思い、ワクワクしてきました。時間はたぶん20時頃になり、そろそろ騒音が心配になっては来るのですが、周囲は病院と住居兼工場など、古い市街地でしたから、「大丈夫なのかな?」と思いつつの移動でした。
中でも豚口さんやタクシーさんなどはべろべろに酔っており、「これでまともに打ち上げられるのかな?」と心配になりましたが、人数はいますからね。何より、私はあまり酔っていなかったのでした。その移動する道すがら、私は「打ち上げないのですか?」と言ったのです。みんなチンタラ歩いており、ワクワクしている私とは全く違います。そうこうしていると、二次会の手配に行った人が「カラオケ、見つかりましたよ。」と言ってきます。私は「まだ打ち上げないの?そんなに遅くなったら、いくら何でも近所迷惑でしょう。」と思いつつも、発言力がない身でしたから、黙っていました。
それよりも、「カラオケ」に行くということに驚きました。私はこの時点でカラオケハウスは知っていました。確か国鉄が使わなくなった貨車を払下げし、そこをカラオケハウスにして歌っている田舎の人がいるというニュースを見ていたからです。何より、「カラオケとは、文系の皆さんはずいぶんと「渋い」趣味を持っているのだな。」と感じていました。私の中では、「カラオケ用曲は演歌ばかりで、その演歌を歌う」のだと思っていたのです。
この時期、前に流行った音楽と次の時代に流行る音楽の谷間にあり、特にヒット曲と言えるものはありませんでした。そのため、私の中では「歌をうたう」「音楽を聴く」という行為は過去の人の風習扱いになっており、カラオケすなわち演歌になっていたのです。
私はそのままカラオケハウスに連れていかれましたが、この時点で人数は半分程度になっていたような印象です。まあ、移動中に帰るのはどのコミュニティでもありますからね。カラオケハウス内では、お囃子さんがハウンドドッグの曲を歌っていたのが印象的です。私は歌などうたえるはずがなく、確かアニメソング系を選択したのかな?スペード社の人からは全く評判がよくなく、途中で演奏を止められてしまいました。当時はアニメソングなどそんな扱いだったのです。
カラオケハウスでの記憶はここまでです。一部の人たちはさらに三次会に行ったようです。後日聞くところによると、豚口さんはさらにへべれけになり、ごみ置き場で寝そべってしまったようなことを聞きました。そんな姿をして周りの人は、「ああなったら、しばらく勤務には来られないだろうね。」などと言っていたような気がします。
私は、終電があるのでカラオケハウスの途中で失礼したのかな?ヤマト産業大学で一緒に授業を受けている人たちや掃除部の人たちとでは出来ないような遊びをし、新鮮な気分で帰宅するのでした。
Posted at 2025/10/14 22:55:56 | |
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スペード社 | 日記