このブログを読む方は、日付にお気をつけください。このブログは、2004年8月7日に行ったと思われる、ブルーバードシルフィで行ったと思われる勿来へのドライブについて、2012年7月に思い出しながら書いています。
2004年2月にブルーバードシルフィで初めてドライブに行き、ロールの酷さに驚きました。そして3月にはフロントスタビライザーを装着し、操縦性だけでなく乗り心地も良くなり、満足したのでした。しかしそれは街中走行でのことで、山岳路や高速道路での検証はしておりませんでした。
先日のコロナによる榛名日光ドライブに気を良くし、この日はブルーバードシルフィでドライブに行くことにしました。ただし、南の方へ行くとまた帰りが遅くなってしまうため、違う方面を選びました。もちろん、関越道や東北道は行ったばかりですので選びません。
自ずと常磐道を選ぶことになりました。常磐道というと、家族で海水浴に行った「勿来」が思い浮かんできました。
その頃はまだ高速道路はなく、一般道で行っていました。最初の昭和54年は、夜中の3時ころに出発したと思います。グランドファミリアで行きました。
夜が明けてから見た風景は、左右に木々があり、山岳というよりは丘を切り開いた道を選んだ模様です。294号から50号で水戸、そこから6号を北上したのではないかと思います。50号笠間の辺りだったのではないでしょうか?6号がひどく渋滞し、海水浴場に着いたのお昼近くではなかったかと思います。
二回目は、昭和56年に行きました。前回は行きはそれほどでもなかったのですが帰りに大渋滞し、暑い車内で疲れて帰った覚えがあったので、クーラーが付いていた叔父のAE70で行きました。行きは高速道路を通りたい私の意見で東北道を通り、白河から東へ向かったのでした。
帰りは白川方面に向かい、途中八溝山を通ってどこかから高速道路に入り、帰宅しました。
父は54年の時と比較して疲労が少なかったようで、「今度行くときはこのルートにしよう」と言っていました。しかし、その翌年は三宅島、2年後は焼津に行き、それから家族で海水浴に行くことはありませんでした。
そして2004年、常磐自動車道はとっくに開通しています。もちろん高速道路で行くことにしました。常磐道はあまりカーブがなく、スタビライザー装着の検証には不向きでした。高速道路をいわき勿来で降り、周囲を走ります。
当時の記憶を頼りに、周囲を探します。風景もなんとなく見覚えがあり、ほどなく泊まった「天望荘」に着くことができました。海岸沿いにホテル?が出来たためにこの展望荘は廃業、周囲は雑草だらけでした。それでも建物は当時のままでした。中からはラジオかテレビの音が聞こえ、旅館としては廃業しているものの人が住んでいるようでした。周囲は公園化され、ここだけが当時のままで残っているようでした。
当時は結構大きな旅館として、混んでいたように思います。山の旅館によくあるように、建て増し建て増しで、斜面に沿って部屋が配置されている、変わった旅館でした。2回目に行った時は、はなれに泊まったような気がします。
天望荘を見物し、家族での海水浴の思い出に浸った後、帰ることにしました。最初の海水浴の時には6号線を南下していったはずなので、同じ道をたどってみることにしました。しかし、海沿いを走るものの暑いし退屈だし、、、すっかり眠くなって、高萩から高速道路に入りました。
高速道路を走っていると、水戸を過ぎたあたりから前方に積乱雲が見えてきました。「この分だと筑波山付近は大雨かな?」と、土浦北インターチェンジで降りました。そこから筑波山へと上がりましたが、雲は真壁方面へと移動しているようで、雨は降っていませんでした。
この辺でガソリンが少なくなり、何を思ったのか一般道で帰りました。しかも、下妻から西に向い、4号バイパスへ出るというものです。今思えば、何を考えていたのやら。。。
そんなことで、筑波山で多少スタビライザー装着の効果を体感することは出来ました。結果として、昔の思い出に浸ったドライブになりました。
Posted at 2012/07/21 23:26:43 | |
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