2011年03月16日
私は東武鉄道で通勤しています。他路線が70-100%の運転率に復帰してきたのに、いまだに50%(伊勢崎線)、成増以南は50%で、以北は時間運休と、他社に大きく後れを取っています。電源政策が西寄りなのか?それとも東武鉄道の努力が足りないのか??14日も伊勢崎線で竹ノ塚以北は運転しないなど、人口分布を無視した運行でした。
関東の鉄道会社は、関西と違って東京から放射状に伸びていったため、基本的に競合がありません。あったのは、東海道線と京浜急行線、東急東横線、中央線と京王線、京王線と小田急多摩線、京成線と成田線、総武線、古い話ですが東武日光線と国鉄東北・日光線かな?(あれ、ないと書いたがあるなあ)
いずれにしても、阪神と阪急や、東海道線と阪急京都線、京阪電気鉄道のように、ほぼ同じ区間を併走するようなことはありません。
東武伊勢崎線の通勤線区間は、久喜・南栗橋以南です。併走するのは、競合するかどうかちょっと怪しい埼玉高速鉄道と日暮里舎人ライナーかな?基本的にほぼ独占です。東武東上線の通勤線区間は、川越以南かな?こちらは乗り入れ線の有楽町・副都心線が途中から分岐しています。
伊勢崎線は「準急」は新越谷以南で急行運転、以北を各駅停車としています。すなわち、急行区間は人口が特に多いということです。東上線でも「準急」は、成増以南を急行運転、以北を各駅停車としています。すなわちこちらも成増以南は輸送量が多いということです。この区間も50%の運転率って、何も考えなさ過ぎませんか?
東武鉄道が、自社地域の交通独占企業だからだらけている、とは思いたくありませんが、こうも運転率に差が出てくるとなると、地域への愛着も少し醒めます。せめてほかの私鉄沿線の人たちに対して自慢できるようなことをしてくださいよ。東武鉄道さん。
Posted at 2011/03/16 23:35:13 | |
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鉄道 | 日記
2011年03月15日
この日はまだ自転車出勤禁止を言い渡される前であったため、自転車で通勤すべく1時間早く起きました。するとニュースで、地元私鉄の運転区間が拡大されたと発表されました。運転率は30%です。
駅に行くと、前日とは違って改札が開いています。各駅停車に乗ろうとしましたが、駅到着時点で押しくらまんじゅう!何とか乗りました。朝にカレーを食べたせいもあって、一人汗だくです。気分こそ悪くなりませんでしたが、これを毎日続けると体が参ってしまいます。なんとか30分乗り続け、地下鉄に乗り換えます。が、なんと地下鉄のほうが空いています。しかも、途中で準急電車がバンバン追い抜いていきます。大失敗!!!
地下鉄以降は難なく会社のそばまで通勤できましたが、どうやら熱中症になってしまったようで、水分を大量に補給しても一日中頭痛が続きました。
脚の疲れと体の疲れを比較し、この時点では隔日自転車通勤をしようと考えました。それと、当社は毎年一日特別な休暇がもらえるのですが、たいてい取る暇がなくて年度末になってしまいます。その休みを翌日にもらうことができ、何とか体を休めることができたのでした。
Posted at 2011/03/21 19:37:01 | |
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日記 | 日記
2011年03月15日
1月の半ば、オートサロン前に気仙沼に出張しました。また、先月終わりには、宮城県名取市に出張しました。今回の地震があったときに二箇所の地名を見て、「ああ、」と、もう勝手に最悪の事態を考えてしまいました。
ところが、googleの行方不明人連絡サイトで参加者名簿に出ていた名前を検索すると、なんと気仙沼の隣の駅近くの避難所に避難しているらしいとのこと。ニュース等で流される、「危ないから逃げてー」と女性が絶叫する映像の、まさに波に飲まれている地域の人がこうなのですから、より海岸から離れている人は単に連絡だけが付かない可能性が高いです。しかも、その人一人だけがどんどん逃げてしまったとは考えられず、同じところの人は生きている可能性が高いです。
現地の当社側の人を含め、支社の人は全員行方不明ですが、海岸から離れた、比較的高台のところに建っているため、これも生存している可能性が高いです。なにより、建物を空っぽにして全員が外出することは絶対にないため、全員が最悪の事態になっていることは考えられません。なにより、その場所よりも海岸よりに避難所があります。
一方、名取のほうの人たちの事務所は、「安否確認ができる名取市役所」よりも山側にあるため、これも無事である可能性が高いです。
すでに亡くなった人たちのご冥福を祈りつつ、会ったことがある人が無事である可能性が高いことに、ちょっと気分が楽になりました。
Posted at 2011/03/15 21:16:54 | |
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時事 | 日記
2011年03月14日
前日、会社の連作網で「明日の朝は無理せずに出勤してください。遅刻欠勤扱いにはしません」と連絡が来ました。朝のニューズでは、途中駅までは終日運転をすると書いてありました。まさか昔の首都圏ストライキではあるまいし、電車は朝夕は運転するだろうと思って駅に行きますと、、、運転していませんでした。
駅前では、途方にくれた人がたむろしています。そりゃそうです。この鉄道が運転していないと、私の市は陸の孤島になります。駅員の放送では、ここからバスに乗って北西に移動し、そこで運転している別の線に乗って県央へ出て、そこから東京に出でよ、とのことです。たぶんバスで1時間、そこから県央の駅まで混雑を見積もって1時間、県央から会社まで1時間、会社へ付くのはお昼になります。帰りは想像もできません。
そのことと、自転車でなら会社に行けなくもないと伝えると、「体力と相談してください」と返信が来ました。すなわちここで会社を休むと、私は怠け者と考えられるわけです。(私は都心部へ自転車で行くことがあることを、会社の人は知っています。)
結論はもう出ています。自転車で行きます。同じ考えをする人は多数いるようで、これまでにないくらい歩道は自転車で混んでいます。本当は車道を走りますが、ところどころ自転車も走行できる区間があります。こういうときに邪魔になるのは、「自転車で歩道を逆走する人」「父娘(なぜか父と男性の子、母と娘、母と男性の子はない)仲むつまじく出勤する風景」「夫婦で並んで自転車で出勤」が、たいそう邪魔になります。
自転車での走行はもう慣れっこですので、わざわざ書くほどのことでもありません。
電車運転区間最北端の駅運んでいるでしょうから飛ばして、国道と鉄道とが交差する付近の駅に行きました。駐輪場は空いていましたが、駅が満員でした。ホームに入れずに、改札付近まで人の列が連なっています。こんなところで時間つぶしはできないため、もう少し南下します。ターミナル駅は飛ばして、地下鉄の駅まで来ました。ところが駐輪場がない上、「放置自転車監視人」が目をぎらぎらさせて監視しています。この一大事を、国民が一丸となって協力して乗り切ろうという気持ちは、この人たちにはないようです。
地下鉄に沿って南下していくと、また有料駐輪場を発見しました。今度は張り紙があり、「計画停電により。午後7時まで自転車を出せなくなる場合があります」たぶん会社は速く終わるでしょうから、こんなところで足止めを喰らったのでは自転車で来る意味が半減です。再び南下します。
乗換駅近くでも有料駐輪場がありましたが、係員にこの張り紙と同じことを言われました。もうこうなったら会社まで行ってしまえ!と決心しました。駿河台付近のアップダウンはイヤなので、いつも外堀通り(?)を経由してやや遠回りをします。そのまま飯田橋、市谷と進みます。この時点で9時半ですから、結構暑くなりました。出勤した人はもう建物中にいて、休む人は休んだ状態でしょうから、あまり人の姿がありません。どんどん西に進路を取り、会社近くまで来ました。
今度は思ったとおり、駐輪場がありません。どうしようか悩んだのですが、多数ある違法駐輪自転車の中に止めました。まさかこの事態で自転車一掃をしないだろうと、たかを括っての行動です。今回の位置大事に置いて、各大臣は掛け声はしますが、具体的な施策が出てこないのですよね。近年の「リーダーシップ論」も、リーダーは掛け声が重要だ、具体的なことは部下にやらせれば良い、ばかりなので、このような「具体策なしリーダー」が出来上がったのでしょう。
さて、会社に着いたのは10時半、途中駐輪場を探したのがあだとなって、かなりの延着となってしまいました。会社では、千葉市の人と上尾市の人が休みとなっていました。無理せず休めば良かったかなあ。
仕事は無事(?)終わり、ほぼ定時に帰宅です。自転車はありました。帰りは先日徒歩で歩いた道筋と全く同じです。ちょっと池袋に用事があるため、池袋に着いたのは30分後!速い速い!しかも疲れません。この時点では地元紙鉄の運転区間がどうなるか分からず、計画停電の発表のみがあっただけであるため、今後自転車通勤となることが予想されました。自転車置き場に困るため、池袋に住む知人のうちに自転車を止めさせてもらい、そこから山手線で通勤をすることを計画しました。池袋の知人の家に挨拶です。挨拶だけでなく、食事までご馳走になってしまいました。1時間半ほど休ませてもらい、一路家を目指します。そうしたら池袋から自宅まで、1時間35分!速いし疲れないしで、自転車様様です。速さは3倍、疲れは1/10、ざっと30倍の効率です。
しかしこの自転車通勤計画、翌日の私鉄運転区間拡大と会社から自転車通勤禁止を言い渡されたため、あえなく失敗(?)に終わりました。
Posted at 2011/03/21 19:29:33 | |
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日記 | 日記
2011年03月11日
この日の第一回目の地震のとき、私はトイレの中にいました。私の会社のビルは比較的高層であるため、冬の季節風でもビル全体がきしみます。このときも初めは「季節風でも強まったかな?」と思っていました。そして用が済んで立ち上がったとき、どうも体が揺れるので「いかん、立ちくらみか?」と体を支えると、外から人の声が聞こえます。違う部署の人たちが部屋の外に飛び出て、非常階段の扉を開けに来ていたのでした。
私もすばやく手を洗い、扉を開けるのを手伝いました。高層ゆえ、揺れが収まってもビル自体が揺れています。ゆれている時間は3分もあったかもしれません。その間、上層階から勢い良く階段を駆け下りてくる人が多数いました。扉を支えている人と、「これが関東だけで住んでいる地震だったら良いのですが、震源が別だと大変なことになりますね」と話していました。
ようやく揺れが収まり、部署内に戻ると多くの本が本棚から落ちてしまっています。私のような下っ端は片づけをし、上役の人たちはすばやくテレビをつけていました。そしてまた地震が起こりました。今度は先ほどの地震よりもより揺れが強いように感じました。せっかく元に戻した本が、よりたくさん落ちました。。。テレビの映像では、津波の様子を映していました。
この日は余震と本棚の危険性から、仕事はほとんど不能になりました。インターネットで交通情報を調べると、ツイッターですが「東武鉄道は本日営業終了」と出ていました。「地震後は歩いて安全を確認しなければならないとはいえ、本日営業終了ということは高架が落ちたり線路が曲がったりしたか?」と、覚悟を決めました。
そして定時で解放となりましたが、誰一人帰ろうとしません。「どうして皆さん帰らないのですか?」と効くと、「鉄道が動いていないから」と言います。鉄道が動いていないからといって、間に谷川岳やマリアナ海溝があるわけでもないので、私はさっさと歩いて帰ることにしました。
まず歌舞伎町を通ると、「単に関東で大きめな地震が起きた」と思っているような学生などが、遊びに繰り出す姿が多数見えました。今回の地震で有名になった「上○謙○君」も、おそらく関東で震度6の地震が単に起きただけ、と思っていたからこそガッツポーズや敬礼、鼻ほじりスタイルでカメラの前に立ったのでしょう。私も秋葉原で通り魔事件が起きたとき、その事件を知らなかったほどでしたので、その気持ちはよく分かります。
花園神社で「私の無地帰宅と、被災地被害が軽く済むこと」をお祈りし、どんどん北上します。ところが程なく歩道が渋滞し始めます。人が多いこともその原因なのですが、「二列になっておしゃべりをしながら歩く男女」「車輪付きポーター」「犬を歩かせて散歩している地元住民(若者)」「携帯電話がかかってきて、全神経が携帯電話に集中し、道路上で立ち止まる人」がその渋滞の原因です。
道がわからない人は知人と一緒に帰る必要があるかとは思いますが、二列になる理由はありません。「自分たちは後ろから抜かれっぱなしだな」と、気付いてほしいですね。もっと人が多かったら、きっと後ろから押されて将棋倒しが起こるでしょう。帰宅難民問題に、新たな課題が生まれました。あと、歩道に人が多かったら、犬の散歩は慎んでくださいな。
そのままどんどん北上し、池袋を目指します。ところが渋滞はところどころで区切れ、目白-池袋区間では人の数がかなり減りました。代わりに増えてきたのが、コンビニエンスストアのトイレの渋滞と買い物の人の多さです。おそらくこの時点で、会社居残り(宿泊)を決意した人が多数いたことでしょう。その食料買出しにより、弁当やパンが飛ぶように売れていました。私はそこまで腹が減るとは考えていなかったので、大福とあんぱんとチョコレートだけを買いました。トイレ渋滞は、、、主要道を離れたコンビニでは起こっていませんでした。
池袋を過ぎると、進路は北東へと変わります。この区間では、道路の渋滞は目立ちますが人はむしろ減りました。ここから途中までバスが出ているのですが、バスは一杯!待っている人の列も長蛇!と、引き続き歩くことにしました。
次の駅は王子です。この駅の手前も、少し人が多めにいましたね。結果から言えば、ここで南北線を待つべきでした。しかしそれは結果論ですので、しかたがありません。さらに北東へと向かいます。ここから先、ところどころにバス停があるのですが、ここから先は降りる人ばかりゆえ、結果から言うとここでバスを待つのが一番得策だったのではないかと思います。しかしそれも結果論、豊島団地をかすめていったん南東へと進路をとった後、再び進路を北東にとります。
扇大橋の北東側で、地図を見ながら帰る女性の姿がありました。
「わかりますか?」
と声をかけました。ここから金町に帰るそうです。直接その方面に向かう道がないため、環七に出るのが得策です。私が通る予定の道を案内しましたが「遠回りじゃありませんか?」と返してきます。遠回りといえば遠回りですが、その方が目指している道と大差はありません。好きな道で帰ったほうが良いでしょうから、すぐにお別れしました。
扇大橋から西新井大師へ向かう道を選び、どんどん北東に進みます。少し前を歩いていた人が、バス停でストップしました。あと少しで西新井なのですから、私はガマンして歩き続けました。西新井付近から進路を北に取ります。会社出発からこの間まで、断続的に家に電話をしていますが、全く電話が使えません。進路が北に変わってからようやく公衆電話に目が留まり、ここで家に電話をします。その電話機の前で、女性が携帯電話で「いやー、うちは酢がこぼれちゃったのよー。だから家の中が酢臭くって~」などとバカ話をしておりました。一大事に公共の電波を無駄遣いしているのはこういう人か、とあきれ返ってしまいました。
この時点でかなり足が痛くなり、向かい風に負けそうでした。今から8年ほど前に会社からこの付近の駅まで歩いたことはあったのですが、それでも足がかなり痛くなった記憶があります。痛みは増す歩行であろうことから、家人に途中まで迎えに来るよう、お願いをしました。電話機から約4kmのところです。ここから歩く速度がかなり落ち、ほとんど老人レベルの速度となりました。なにより、あまり履きなれていない靴だったことが不幸でした。
この時点では空いていた道が、2km北からかなり渋滞をしていました。トボトボ歩く私よりほんの少し速いくらいです。そのあたりでマフラー音がうるさいS15シルビアと並びましたが、疲れているときのうるさいマフラー音ほど不愉快なものはありませんね。
どうにかこうにか歩き続け、待ち合わせ場所手前1.5kmあたりで電話がかかってきました。混雑で車が全く南下できないとのことです。道が陥没したわけでもあるまいし、車が「全く」動かないことがあるはずもありませんが、そう言っている人に向かって「ガマンしろ」と言っても始まらないので、迎えを断りました。いよいよ家まで歩き続けなければならなくなりました。
その後ほどなく、家の方面まで続く街道に出ました。後はひたすら北上するだけです。ここまで来ると、東京から歩き続けてきたであろう、多数の人がいました。もちろん都心からではなく、東京の北側なのでしょうがね。そんな人たちにバンバン抜かれながら、それでもとぼとぼ歩き続けます。都心部でゆっくり歩いている人が邪魔に思えたので、私は左歩道のさらに一番左を歩きます。
途中、隣の市中央の駅近くで、お茶とパンを振舞うお店(?)がありました。こういうときにはありがたいですね。しかし、欲を言うとトイレも貸して欲しかった!小学生なら平気でその場にしてしまうところでしょうが、大の大人がその辺で用を足すことなどなかなかできません。
ここから先は、かなり足が痛くなってしまいました。500m進んでは座って休むの繰り返しです。しかし、据わっていると体が冷えてくるんですね。冷えてくるとただでさえ動かなくなった足が、ますます動かなくなります。しかも途中から眠気も襲ってきます。凍死のパターンです。そんな休んでは歩くの繰り返しにより、この市を抜けるのに2時間半もかかってしまいました。
自分の住む市に帰ってくると、安心するものです。足が痛くても、気持ちは楽になりました。ようやく腹が減ってきたため、深夜まで営業しているラーメン店に入りました。ここは雑誌でこそ紹介されませんが、かなり昔に父が「おいしい店」と連れて行ってくれた店です。湯麺を注文しました。隣の酔っ払いが「地震が起こったときのあなたの気持ちはどんなものでしたか?」「歩いて帰る道の風景が違って見えませんでしたか?」などとうるさく聞いてくるのであまり味がしませんでしたが、載っている白菜が冷蔵庫臭く、残念な気持ちになりました。
体が温まっても足は痛いままですが、30分ほど休んだのでちょっと復活しました。あと3kmくらいの北上です。この時点で深夜1時半でした。もう歩いている人はいませんが、登り車線は相変わらずの渋滞です。足が痛いのと距離も差ほどではないということで、タクシーを捕まえようと思いました。が、最近のタクシーは、乗客を乗せていても行灯が消えていない場合が多いのですね。これは利用者にとって、大変不親切だと思います。
それから程なく、目的地の駅に到着。自転車に乗って家に帰るのでした。自転車の楽なこと!
Posted at 2011/03/21 18:18:15 | |
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