私が所有する車種を見てお分かりの通り、私はモータースポーツ派ではありません。でも車を上手に走らせるのは好きで、その腕試しの手段としてモータースポーツをすることもあります。
この日、REV SPEED誌を買い、読んでいるうちにふと気になったことがあったので、自身の思い出を振り返りながら記してみました。
そもそもモータースポーツに関心がないのは筋金入り(?)で、1977年に富士スピードウエイでF1(?)が開催された頃、私の関心は「トラック」で、買ってもらうミニカーもトラックのみでした。F1も付き合い程度には見ていたようで、明治製菓の板チョコレートの包装紙に似た塗り分けの車や、タイレル6輪などは記憶にあります。F1車の形を、車とは認識できなかったのだと思います。
なぜかレースを題材としたアニメは見ていて、「
グランプリの鷹」「マシンハヤブサ」「マシン飛龍」「ルーベンカイザー」は、どれも見ていました。車の抜きつ抜かれつよりも、正義の味方(?)と敵(?)の争いしか理解できなかったようですね。
テレビで中継されたF1を見て、「敵は?味方は?」と家族に聞いた覚えがあります。まあ、関心の中心は、「スーパーカークイズ」だったのかもしれませんが、「ディーノだとかカウンタックだとか、格好と車名を記憶して、何が楽しいの?」と、醒めていました。
ラジコンカーもカウンタックやポルシェを、足こぎ車も買ってもらいましたが、レースには興味がわかなかったなあ。カーアクションシーンのように、並走しながらぶつけ合ったりしていました。
次に車に関心が出るのは小学校5年生の頃で、ラジコンカーが再びブームになったり、当時出始めたパソコンゲームに関心が向きました。パソコンゲームは、知る人ぞ知る、R30スカイラインを題材にした「
走れ!スカイライン」です。同級生は、はじめラジコンカー、のちゲームだったところ、私ははじめゲーム、のちラジコンカーと逆転し、友達と競争する機会に恵まれませんでした。
そうそう、「よろしくメカドック」のブームも忘れてはなりません。キャノンボール、ゼロヨン、サーキットなど
、「普通の格好の車でも、いろいろ競争ができるんだ!」と、一般車両での競争に関心が出てきました。
その後、再び車への関心が少し落ちたのち、1987年のF1ブームを経て、ソニーからMSX用に発売された、「
F1スピリット」なるゲームにうつつをぬかしました。それまでのカーレースゲームは、とにかく単一車種でギヤは2段でと、レースというよりは「車よけ」ゲームでした。しかしこのゲームは車体の丈夫さと軽量さで3種類、エンジンがトルク特性により6種類、トランスミッションがATが1種類とMTが2種類、サスペンションが固いやわらかい中間で3種類、ブレーキが効きとコントロール性で3種類と、好みのクルマを作れました。しかも、ストックカーレースやラリー、F3、F3000、Cカー、F1を16戦と、レース場も競技もいろいろ選べ、車好きには毎日遊べる(今でも遊べる)ゲームでした。
余談ですが、同時期トラックで荷物を運んでお金を稼ぐゲーム「
ペイロード」っていうのがあったなあ!「疲れ」ポイントがあって、ゲーム中で「おさけ」を飲むと疲れないのだそうだ。。。
そんな中、ゲームに夢中になっていた1988年1月深夜、「カーグラフィックTV」で、WRC特集をしていたのを見て、「車が横滑りをしながらまがっていく」ことに、本能的にしびれました。父や母がする運転とは別の世界があることを知り、自転車で真似する毎日でした。
同年夏には「モーターランド2」も知り、インプレッション走行がCGTVよりハードで、「普通の車でも早く走らせられるんだ」、と早く免許を取得したくなるのでした。
なかでも、シルビア発売直後のCGTVで、日産栃木テストコースでFR(シルビア)、FF(パルサー)、4WD(ブルーバード)、RR(ポルシェ)を持ち込んでジムカーナをし、駆動方式による走行特性の違いを4カメラで映し、その違いを示しました。その姿勢の違いに車の免許がなかった私は釘づけになり、毎日のように見て過ごしました。早く18歳になって車を運転したいなあ、ジムカーナとかいうものをしてみたいなあ、と思う毎日でした。
そうそう、CGTVでの「タルガフローリオ」や「イタリアの島でのクラシックカーレース」では、アルファGTVやランチアフルビアのキャブの吸気音にもしびれたなあ!カセットテープに録音して聞いていたっけ。
この時期ラジコンにも手を出し、前回ラジコンに夢中になったころの続きで、サスペンション形式によるアライメント変化なんかも興味を持ちましたね。
さて、最終的に私をモータースポーツに追い込んだのは、「
爆笑!迎春ブッちぎり 所ジョージのオールスター自動車レース大賞」です。1991年正月2日か3日の午後2時ごろに放送されました。
ヒロミ、徳大寺有恒、イクラちゃん、三原順子、岡安由美子、つまみ枝豆、林家しん平、高田純二などが、「常磐道キャノンボール」、「パルサーGTi-Rダブルジムカーナ」、「ゼロヨン」、「車プロレス」などの競技をする番組でした。なにより普段街で目にする車種が速く走る姿、芸能人同士が和気あいあい(?)と話す様を見て、
「早く大学に進学して、モータースポーツをしたいなあ」
と思ったものでした。
この、「普通の格好をした車」で競技をすること、「和気あいあいとしていること」が、何よりも楽しそうでした。
さて、無事(?)大学に進学し、
自動車部へ入部した私、先輩との車話で、
「AE86などの、先輩が同じ車を持っていてパーツが安く手に入る車が良い」
「マーチ(初代)やシティ(二代目)、ミラージュ(C62A?)、シビック(ワンダー)は、モータースポーツ入門用として良いよ」
などと、これまでの私の車への関心をぶち壊しにするアドバイスをしてきます。
「ああ、この人たちは、「モータースポーツというスポーツの道具として車を選んでいるんだ」」
と感じたのでした。私は、
好きな車を買って、それでモータースポーツをしたい考えでしたので、入部する前の段階から先輩部員と深い溝が出来ました。
そして私の車は、モータースポーツ主体の部と私の妥協点である
「シャレードGT-ti」を買うところがコロナになり、いよいよモータースポーツがおまけとなるのでした。
話はこの日に戻り、REV SPEED誌、出ている車は「ロードスター、シルビア、ランサー、インプレッサー、シビック、S2000」と、確かにモータースポーツデビューには適当な車がたくさん紹介されています。「安上がり」とは書いていますが、高いよ~~。車体とパーツを入れて、120万円から200万円、払えません。しかも車種は、いくらパーツが潤沢に発売されているとはいえ、毎度おなじみの車種です。乗る人の運転以外の趣味や好みは反映されていません。ちょっと普段着で野球やサイクリングをしたい人に、野球専用ユニフォームやサイクルウェアを買えと言っているような気分になりました。先日、「
格好から入る」と言ってしまいましたがね。
どうもこの辺が、「モータースポーツを紹介する雑誌」と、にわかorサンデーモータースポーツマンや、車に関心はあるけどモータースポーツはしていない人との距離感なんですよね~。雑誌もファッション雑誌同様、パーツ(服)会社の宣伝の一翼を担っているので致し方ないことはわかるのですが、ずれを感じてしまいます。
お小遣いをためてコンパクトデジカメを買った子が
「どうやったらきれいな写真を撮れるのですか?」
と聞いている場面で、
その子に
「まずそのカメラを中古カメラ店に下取りに出し、さらに貯金をしてからデジタル一眼カメラを買え。写真はそれからだ。」
と言っているような風景を見た気分になります。
形が気に入って買った車で、いろいろ腕試しをしたい、
普段使っている車で腕試しをしたい
いつもの車でモータースポーツができるの?ワクワクするなあ!
という人、たとえば2月にレガシィを買った叔父、ターンインのスムーズさに大満足のようで、これまで車の話などしたことがなかったのに、よく話してきます。こういう人に、「ちょっと腕試しに出てみなよ」とモータースポーツを勧められるような敷居づくりをするのが、今のモータースポーツ誌の使命ではないかと思います。
もちろんいろいろな人が参加すると、中には「非常識な人」「そもそも運転適性がない人」も来てしまうかもしれないので、主催者の苦労も増えるかもしれないのですが。。。でもまあ、そういう人は、モータースポーツをしたいなどとは、夢にも思わないでしょう。
もちろん安全装備は必要ですが、今やスキーやスノーボードですらきれいなレンタル品があるご時世、お金を取って貸し出してもよいかもしれません。飛散防止やテーピングも、有料サービスでも良いですね。(可能なのかな??)
何よりこの「まず車種ありき」「パーツにお金かけるのありき」の考え方が、モータースポーツ層を狭めているような気がしてならないのです。
*もっとも、ノート1600やヴィッツRS、フィットRS、デミオスポルトあたりにも焦点が当たるよう、別冊で紹介分が書かれていますので、編集部もうすうす気づいているのでしょう。
でもまあ、ビジネスで雑誌を売ることと、モータースポーツの底辺を広げることは違うことですので、シルビアランサーインプレッサになってしまうことは、よーーーーーーくわかります。私も会社で、ビジネスはビジネスとして割り切るよう、言われます。