まあ、題名からして
「松嶋奈々子主演で女性が活躍するものを!」
「医者も刑事も教師もありふれているから駄目ね」
「じゃあ、家政婦かな?」
「「家政婦は見た」があるから、「家政婦のミタ」で」
という安直な企画会議の風景が想像つきますが、内容はテーマ不在で意味なくシーンがたくさん挿入されていました。
テーマが不在なので、雑多なシーンが多すぎ、あらすじと言ってもいったいどう書いてよいやら???ついこの前知ったのですが、アニメーション等で、長期的ストーリーとは無関係な回(ヤマト パート1の「ビーメラ星」や、初代ガンダムの「ククルスドアンの島」など)を、「ボトルショー」と言うのだそうですね。そういう見方からすると、この「家政婦のミタ」、全域ボトルショーとでもいうべき仕上がりになっていました。
なので、改善ストーリーボ-ドをば。
舞台となる過程は、お母さんが亡くなり、暗い雰囲気が漂っていた。家族全員、生きる気力を失っていた。家事などで困ったお父さんは、家政婦を頼む。そして派遣されてきたのが「ミタ」だった。「みた」は、早速スーパーウーマンぶりを見せ、汚れていた部屋などをさっさと片付ける。が、どうにも人間味が薄く、家族は「ミタ」とどう接してよいものか困る。
そんな折、今年も一番小さい女の子の誕生日が近づいてきた。そのお母さんの妹が、女の子に元気になってもらいたいと、誕生日パーティーを計画する。その時のプレゼントとして、「死んだお母さんに会わせてあげる。」と言う。女の子は喜び、幼稚園で周りの子にそのことを話す。すると同級生は、「死んだ人には、死なないと会えないんだ!」とからかう。その言葉にガッカリする女の子。
舞台は変わり、女の子はお母さんが死んだ川辺で、お母さんのことを思い出す。そしてお母さんに会いたいがために、川に入水してしまう。一方「ミタ」は、女の子が夕方になっても帰ってこないことをおかしいと思い、近所を探し回る。そして、橋の上ないしは対岸で、川へ入っていく女の子を姿を発見する。危ない!走って助けようとする「ミタ」(もちろん、太陽にほえろ!風にスローモーションね」
そして、女の子を助けるが、「ミタ」自身もお母さんのように溺れそうになってしまう。ああ、もうダメなのか!そう思った「ミタ」の脳裏に、お母さんの姿が現れる。
「私は死んでしまったけど、私に代わってあなたがこの子を守って、守って、守って!」
意識を取り戻す「ミタ」。再び助かろうともがき、何とか岸まで泳ぎ着くのであった。
ほどなくその場に到着する他の家族。皆無事であることを喜び合う。が、「ミタ」は、「時間ですので、業務を終了します。」と、そっけなく立ち去るのであった。
ん~、どうです?「ミタ」がどうしてこのような人間になったのかを第二話での説明にゆずり、第一話では家族が家族らしさを取り戻すことに主眼を置き、見せ場を川でおぼれるシーンにしました。息もつかせぬ展開でしょ?ドラマを創る者は、その回の長期的ストーリーの位置づけと、視聴者サービスとしての見せ場をしっかり設定しなければなりません。ドラマ制作関係者さん、放送版とこの「ストーリーボード」を比較してごらんなさいな!
そしてこのドラマ、第二話で登場人物たちの心理的深みを描けば継続しますが、なければ挫折します。
Posted at 2011/10/13 00:36:35 | |
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