
この日は宇宙戦艦ヤマト2199の第三回映画公開日であったため、早速行ってみました。
映画は午後5時からの回だったと思います。お客さんの入り具合は、会場の6-7割くらいでしょうか?混んでいるとは言えませんでした。
しかも、横の席に座った男がオタクなのか、パソコンを取り出し、何やら昔のPCの「マシン語ダンプリスト」のような画面にしていじっています。予告編の時間ではあったのですが、上映時間になっても続けていやしないか、心配でした。しかもかなりタバコ臭く、タバコの臭いというよりは、ヤニの匂いがします。これが臭くてね。気分が悪くなってしまいそうです。ハンカチを取り出し、残っている洗剤の匂いを嗅ぐことにしました。
その男は、上映開始前に出ていってしまいました。
今回の上映に当たり、公式サイトでは製作者が、「今回から大胆なアレンジがある」と書いていました。こういうアレンジはたいていおかしなことにしてしまうので、大変不安でした。
1974年版の、冥王星の戦い以降は制作が追いつかなくなっていったとのことで、順不動で放映しても話のつじつまが合うような、「ボトルショー」が数多くあります。おそらく、その解消なのでしょう。
1974年版で言うところの、
「さらば太陽圏!銀河より愛をこめて!!」
「決断!!ガミラス絶対防衛線突入!!」
「絶体絶命!!オリオンの願い星、地獄星」
「急げヤマト!!地球は病んでいる!!」
「銀河の試練!!西暦2200年の発進!!」
あたりがリメイクされている模様です。もしかすると、「必死の逃亡!!異次元のヤマト」までを含んでいるかもしれません。
以下、内容について書いていますので、知りたくない方は読まないでください。
1974年版では、太陽圏外に出るに当たり、地球との交信が困難になることから、艦内祭りと地球の家族との交信が行われます。古代は家族が死亡していますが、「皆順番」とばかりに、雪は古代を交信室へと無理矢理入れます。ところが更新する相手がいない古代は、画面砂嵐のまま時間が経つのを待ちます。「通信機の使い方を教えていなかった」と、雪は室内に入るのですが、画面を見て古代には家族がいないことを知り、ショックを受けるのでした。これが、後に古代への愛に発展するきっかけとなります。
ところが、今回はこの通信に関する描写は古代について書かれず、しかも雪にも家族がいないばかりか、ここ1年の記憶が失われていて、土方竜に育てられていた設定となっています。こんなにアレンジしちゃって、良いのでしょうかね?
艦内祭りは、これまたアレンジされていてギャグシーンや萌え系描写があります。なんだか、制作者側の暴走が始まっているなあ。
そして1974年版は、艦長室から沖田艦長と古代が酒を酌み交わしながら、太陽系へと「さようなら」を叫ぶシーンがありますが、これもありません。なんだか、薄っぺらくなっています。
ガミラス絶対防衛権とオリオン星の話は、1974年のテレビ版は別々に描かれ、前者ではデスラー総統がヒス副総統に「ヤマトへ祝電を」と言い、後者では「祝電を打ちましょうか?」と聞くヒスにデスラーは、「君は馬鹿かね」と言うシーンがあります。
映画版ではこの二つの話は統合され、緊迫感があるオリオン星の話だけになっています。今回もオリオン星のみの展開になりました。が、祝電云々の話は省略、パーティー会場で下品に笑い、デスラーに始末される将軍のところは残っています。
「急げヤマト」は、2172年の、遊星爆弾攻撃を受けるようになった地球の風景が描かれています。古代一家中心に描かれ、古代守が帰ってきた時の、親戚一同の宴会、野戦病院のような学校の体育館が描かれます。しかも、古代の両親が遊星爆弾で爆死するところも描かれます。はじめはガミラス捕虜兵を殺そうとした古代が、自殺しようとした捕虜兵のナイフを奪う、といった、味わい深い描写もありません。
その代わりは、ガミラス捕虜ロボットとアナライザーの、ロボット同士のほのかな友情と別れ、という話になりました。これはこれで良いのですが、古代を深みがない男にしてしまって良いのでしょうかね??
「銀河の試練」は、1974年版では、オクトパス星団にヤマトが閉じ込められ、古代と島が争いながらも助け合うシーンでした。
今回は、サルガッソのような場所にヤマトがワープアウトしてしまう展開になっています。そこにはやはり誤ってワープアウトしてしまったガミラス艦がいました。この領域からは、波動砲を使って出口を作ると脱出できることが考えられたことから、ヤマトとガミラス艦は一時停戦協定を結びます。ヤマトが波動砲を撃って出口を切り開いた後、エネルギー切れで動けなくなるヤマトをガミラス艦が牽引する、という協定です。ヤマトには、人質?として、ガミラス女性兵が送られてきます。この部分は前回の「急げヤマト」の要素が入っています。
出口を切り開いたヤマトを牽引するガミラス艦ですが、本星の幹部が牽引ビームを切ってしまいます。それを地域兵が幹部を銃殺、ビームを元に戻す展開となっています。ガミラスにも漢はいる、という描写です。
その後、ヤマトは再び航海に戻りますが、女性兵はそのままです。次回以降は、その女性兵についても描かれる模様です。
ついに1974年版から大きな変更が行われ始めました。物語ごとのつながりという点では1974年版はバランスが悪いのですが、「急げヤマト」の2172年の地球のシーンが描かれなかったのは、残念でなりません。こういう描写が人物設定に深みを添えるのです。今作の作者は、アニメ製作者という点では一流のようですが、物語製作者としてはまだまだだなあ。
今は事業仕分けの対象とされてしまった、アニメで日本を売り込む「クールジャパン」政策、当時からそこが浅いなあ、と思っていました。その理由が、「アニメ制作者の底の浅さ」です。今はアニメーション制作について効率良く学べる学校があるそうですが、効率よく学ぶことの問題は、人としての深みが学べていない、ということです。色々経験して、人としての深みがある方々が作っていた昔のアニメの方が面白かった理由が、ここにあります。
Posted at 2012/10/28 00:31:51 | |
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