新型クラウンがデビューしたことに対し、いろいろ物言いがついています。私の意見も含めてまとめると、以下のようになっています。
・フロントグリルの形状
・特別塗装色の桃色
・ハイブリッドが4気筒エンジンを搭載
当初、ハイブリッドが4気筒エンジンを搭載するにあたり、オーナー向けグレードが4気筒を搭載するのは昭和42年~46年登場のモデル以来であり、「いよいよクラウンもダウンサイジング」と言われました。旧型のハイブリッドが、当初アスリートグレードのスタイルに近いモデル、エンジンに搭載される形でした。すなわちリーマンショック以前の、「かつてのターボチャージャーがそうであったように、よりパワーを得るためのハイブリッド」と説明されていました。
ところが「そこ」に客はおらず、後期型はロイヤルシリーズの姿に変更、それでもお客はあまりいなかったようで、今モデルから4気筒になりました。とはいうものの170馬力もありますので、モーターの力を加えれば十分な出力となります。個人的には、V6の2500ccならより良かったのではないか、と思うのですが、2020年度燃費規制は避けて通れないのでしょう。
さて、いよいよ本題の「フロントグリル」です。言わずもがな、フォルクスワーゲンやアウディが採用した、「シングルフレームグリル」の採用です。個人的には、この締まりのないグリルは大嫌いで、このグリルを採用するモデルは、全く買う気が湧きません。バンパーが断ち切られるので、フロントバンパーの印象が弱くなることが、心理的に安定感を感じなくなるのだと思います。
クラウンが発表されて以来、アウディには「買うことはないが、まあ許せる」と感じられるのに対し、クラウンは全く許せないと思う原因を探していましたが、この写真にあわられていました。
グリルの横断面が丸いため、全体がシャープになろうとしているのに対して、バランスが悪く感じられてしまうことがその原因だと思います。この丸さが見えない斜め前や正面のスタイルは、トヨタの人が言うように、見慣れれば慣れるかもしれません。

ヘッドライトは、雑誌などのイラストでは後期型マークXのように稲妻状の切り欠きを設けていたものもありましたが、実際のモデルには「雰囲気」を残すに留めています。これは正解ですね。
全体のラインについては言われていませんが、流行し始めている「コークボトルライン」(フーガやアテンザが採用している、Aピラー根元が上がり、後部に向かうにつれて一旦下がり、クオーターピラーでまた上げるライン)が採用されています。
クラウンの歴史では、いわゆるクジラクラウンの直後に流行り、次のクラウン(昭和49年~54年)が出る際には「シンプルなライン」を意識した上に流行も終わっていたため、採用されませんでした。しいて言えば、この代のハードトップにそれらしきラインがほんの少し見られます。
クラウンの歴史を紐解くと、意外に新しい歴史に挑戦していることがわかります。商業的にも成功した、S180系(通称 ゼロ・クラウン)ばかりが取り沙汰されますが、そればかりが斬新だったわけではありませんヨ!
初代(昭和30-37年)
本当の「イチ」
海外の技術に頼らない、純国産車です。
二代目(昭和37-42年)
高級車は6気筒の歴史を確立
6気筒ガソリンエンジン、ディーゼルエンジンを搭載しました。
三代目(昭和42-46年)
オーナードライバーを狙い、初代「ゼロ」クラウン?
車両の色に対する規制がなくなり、白を採用しました。法人や医師が中心だったこれまでのクラウンの市場から脱却すべく、イメージカラーを白として「白いクラウン」、オーナードライバー向けにも積極的にグレードを展開し、「オーナーデラックス」などの展開、2ドアハードトップの追加、ツインキャブエンジンを搭載した「S」などの、スポーティーグレードの追加など、本当の「ゼロ・クラウン」は、このモデルではないか、とも見える商業展開でした。後期では、前席の三角窓も廃止されています。(一部グレードを除く?)
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なお、前期型モデルはエンジンフードがヘッドライトの位置まで垂れ下がった、パーマンのような顔立ちをしています。(後期は、オーソドックスな顔立ちになっています。)
四代目(昭和46-49年)
スタイルが「ゼロ」
言わずと知れた、「スピンドルシェイプ」を採用した、俗称「クジラクラウン」です。特に法人層や保守的な層から嫌われ、セドリック・グロリアにシェアを奪われる。クラウン史上、製造期間は最短。旧型がオーナー向けに展開をして成功したことから、やや暴走したかな??
エンジンの上では、当時のパワーウォーズを反映して2600ccを追加。昭和47年のマークⅡで、6気筒2000ccを追加したためでしょう。
スタイルの上では、以下の点が嫌われた模様です。
・グリルが上下二段に分割され、上部グリルの脇にスモールランプを配したところ。
・ボデー同色の前後バンパー。
・後方に向かうにつれて絞られているように見えるクオーターパネル。
後期型では、以下のような変更がなされています。
・上部グリルが目立たなくなり、スモールランプはフェンダーサイドに移動。
・バンパーは、前後ともメッキに。
・クオーターピラーとアンダーパネル間にエンブレムが配置される。
・テールランプも、ワイド感を強調したものに変更。
1990年頃からの「レトロブーム」では、個性的故に販売に失敗したモデルとして再評価されていますが、次のモデルが現役だった頃は、「一つ前のモデルは変な格好だったね」と言われていました。今見ると、前期は「アイフル大作戦」などが放送されていた、「昭和元禄」のような、サイケな雰囲気が出ています。
5代目(昭和49-54年)
仕切り直しと排出ガス規制対策に追われる
モデル期間が5年と1年間長くなっていますが、排出ガス規制対策が主な目的です。当時の各社は排出ガス規制対策に追われ、多くのモデルが5年間販売されました。前期、中期、後期モデルがあり、ラインは同じながらも雰囲気は意外に異なります。
スタイルは旧型の商業的失敗を受けて、オーソドックスなスタイルになりました。特に4ドアセダンのデラックスグレードのシンプルさは、クラウン史上、最もシンプルになっていると思います。
その他、4ドアピラードハードトップが追加されました。最終期には当時のディーゼルエンジンブームをうけて、2200ccディーゼルエンジンが追加されています。
6代目(昭和54-58年)
スタイル、艤装が「ゼロ」。大幅な近代化。コンピューター本格採用。
この期間でヘッドライトの流行が変わりました。前期セダンが角形4灯式ヘッドライトが、ハードトップが異型角形二灯式を採用していましたが、後期にはどちらのモデルも横長異型角形二灯式になりました。5ナンバーサイズながら、幅広感が強調されたモデルです。
2800ccエンジン、ターボディーゼルエンジン、燃料噴射だけでなく、点火時期もコンピューターで制御するTCCS方式、2000ccターボエンジンなども採用され、艤装だけでなくエンジンの進化も著しいモデルでした。なお、ソアラの登場を受けたためか、2ドアハードトップはこのモデルを最後に消滅しています。
7代目(昭和58-62年)
旧型の正常進化型。DOHCエンジン搭載、アスリートグレードが登場。後輪独立サスペンションが一部グレードに追加。高級かつスポーティーという意味で「ゼロ」
トヨタの「ツインカム」戦略が大成功し、5M-GEU(後に6M-GEUに排気量拡大)、1G-GZEU、1G-GEUエンジンを搭載しました。特に後者は、5速MTモデルもありました。もっとも、二世代前まではどのエンジンでもMTが選べたようです。それまで3ナンバーグレードと5ナンバーグレードでは大きな違いがありませんでしたが、このモデルでライト周りも変わるようになりました。
トヨタの昭和57、58年登場モデルは、過剰なまでに角が強調され、なおかつ「冷たい」感じがするデザインでしたが、いずれも後期モデルで丸みや線が増やされる変更がなされています。
8代目(昭和62-平成3年)
久しぶりのV8エンジン搭載、3ナンバーと5ナンバーとでは異なる形状のボデーパネルを採用。しかも、それぞれにハードトップとセダンがあります。エアサスペンションの採用。変化の始まりという点で「ゼロ」。
当初はアメリカのみで販売するはずだった「セルシオ」ですが、日本国内の景気が良いために国内でも販売されることになりました。それまでトヨタの最上級車(センチュリーを除く)だったクラウンの位置づけが、非常に微妙になりました。「トヨタの最上級車を欲しがる層」があるそうで、そんな方々がセルシオの発売を待つ、という現象が起こりました。
そんな方々のために、「セルシオをお渡しするまで、クラウンのV8で我慢していてください。」という理由で?、クラウンにV8エンジンが搭載されたという説があります。普通の?オーナー向けには3000ccの7M-GE以下のエンジンがありましたが、エンジンのラインナップが多いモデルでもありました。
当時のマーケティング上では、日産のシーマにかなり市場が荒らされたという分析がありますが、クラウンだけでもかなりの台数が販売され、歴史上でも最も売れたモデルでもあるため、最近では聞かなくなりました。
9代目(平成3-7年)
モノコックボデー、V8エンジン搭載(直列6気筒エンジンもあったが)クラウンマジェスタが登場。セダンとワゴンは旧型を継続生産、クラウンロイヤルシリーズ前期型の大幅返信ということで「ゼロ」。
旧型のV8モデルが、マジェスタシリーズとして分離されました。しかも、これまでのフレームボデーを廃止して、初のモノコックボデーを採用し、大幅に軽量化しています。これまでのクラウンは、新たにロイヤルシリーズとして「若々しいクラウン」を目指しました。特に、シンプルなグリル、テールランプを結ぶ赤いガーニッシュなど、「新型クラウンの桃色」どころではない大騒ぎになりました。地味なところですが、後のアスリートシリーズにも通じる「ロイヤルツーリング」グレードが登場しました。
このスタイルの変化にユーザーから大反対を受け、後期型では旧型のようなランプに変更されました。当時のコロナにもよく似てしまったのも、ユーザーが反対した理由だったとも聞きます。ランプだけでなくクオーターパネルまで変更されたそうで、同じ型式でのマイナーチェンジが不可能になりそうだった、とも聞きます。
10代目(平成7-11年)
モノコックボデーを全モデルに採用。クラウンマジェスタがテールランプのみ冒険!ロイヤル系は新味がない??最後のハードトップとフォーマルセダンがあったモデル。
旧型前期モデルの失敗を受けてか、5代目にも通じる保守ぶりでした。もっとも、不景気だった世相を反映してか、価格を抑えることを命題にしたにかもしれません。
一方、既存のユーザーを気にしなくても良いマジェスタは、テールランプを昔のアメリカ車のように縦長の細いものにしました。これも当時いろいろ物言いがついたものです。結論は「NO」だったようで、確か後期でやや幅が拡大?次モデルでより拡大されたと思います。
11代目(平成11-15年)
キャビン拡大、フォーマルセダンを分離、ステーションワゴンもフルモデルチェンジ、ガソリンハイパワーターボエンジンを伴って、アスリートシリーズ追加、意外に「ゼロ」なクラウン。
これまでのクラウンは、「薄くて長いアンダーボデーに、小さく低いキャビン」だったものが、「太く強いアンダーボデーに、(当時としては)大きなキャビン」へと変更されています。当時のセダンイノベーションを受け、1JZ-GTE280馬力エンジン、ステーションワゴンブームを受けて、古くなったワゴンをエステートとして追加、なんと、アスリートのエステートも選べたと思います。
これまでのロイヤルツーリング系から、若々しさを意識して系統を分離した、アスリートシリーズを追加しました。セドリック・グロリア系が「グランツーリスモ」と「ブロアム」に分けた手法と全く同じでしたが、約10年後にトヨタがそのまま同じ方法を取りました。
「ゼロ・クラウン」が出て以降、陰に隠れてしまいましたが、このモデルでもユーザーの若返りを意識し、実際に若返った記録があったと思います。次のモデルに変更された直後、このアスリートシリーズの中古車価格が上がったり、継続して生産されていたエステートのターボが人気になったりしていました。
もちろんマジェスタシリーズもありましたが、この代から少々存在感が薄くなってしまいました。
12代目(平成15-20年)
「ゼロ・クラウン」
これまでの直列6気筒エンジンを廃止し、全車V8,V6エンジンとなりました。キャビンはさらに大きくされ、国際的なスタイルになった、と評価されました。
当時、アメリカ車を中心にユーザーの高齢化が叫ばれるようになり、各社は歴史ある車名を廃止する動きを見せていました。さすがにクラウンは捨てられなかったとみえ、「ゼロ・クラウン」と、広告上でその意識を見せたのでしょう。
このモデルは大成功し、これまでクラウンの購入年齢層ではなかった30歳代も多数購入したそうです。アスリートシリーズはモデル途中で3500ccエンジンを搭載し、再びハイパワー化されます。
が、後の「レクサス」店展開、特にISの登場やアウディやBMWの躍進により、クラウンはさらに時代の流れに飲み込まれていきます。
13代目(平成20-24年)
俗称「イチ・クラウン」
旧モデルの成功を受けて、さらに細部を煮詰めたモデルでした。ハイブリッドも登場しました。が、リーマンショックやエコカー減税に翻弄されました。
前述のレクサス店の登場、輸入車の好調な販売により、モデルとしては悪くなかったものの、あまり目立たなくなってしまいました。あまり語られませんでしたが、後期には「ディープなブルー」や「赤」の塗装色のモデルもあったので、私は新モデルの桃色に驚きませんでした。
スタイルの上では、旧型で大きく見えたキャビンが再び小さくなり、まるでかつてのコロナEXIV(T200)のようなラインでもありました。
いかがでしょうか?ウイキペディアは「あとで検証可能な歴史のみ書きなさい」とうるさく言う人がいるので、世相の意見などが入っていませんが、この記事は努めて当時の雑誌の記事や周りの人の意見を含めて書きました。
クラウンの歴史は挑戦の歴史、、しかし私は、横断面が丸いグリルには馴染めないなあ~。
*画像はウイキペディアやトヨタのサイトから借りてまいりました。問題がありそうなら、どなたか教えてください。