
現在、関東地方では1991年冬期に放送されたドラマ「東京ラブストーリー」が再放送されています。出演者やストーリー、当時の私のことは見終わってからとし、当時の世相や風俗についていろいろ検証してみました。
当時の世相
既に平均株価の下落から1年が経過していました。しかし消費の拡大はまだ続きいていました。「日本は土地本位制だから株価は関係ない。」などという人もいました。多くの人の心の中には「今のところ好景気だけれど必ず終わる。終わるのはいつだろう。」と、疑心暗鬼の時期でした。消費が後退するのは1992年7月頃、本格的に不景気感に襲われるのは、1993年夏期でした。
高層建築物が少ない
東京オリンピック(昭和39年)頃に建設された建物や施設の老朽化が始まり、「都市再開発」が叫ばれていました。そのため「地上げ」行為が行われていたはずなのですが、画面中には1960年代から70年代に建設されたと思われる「店舗兼住居」や「都心の一戸建て」「個人商店」が多数見られます。高層ビルやマンションが林立したのは、2000年代に入ってからだったのですね。
主人公たちが勤務する「ハートスポーツ」というスポーツ用品メーカーは「コンクリート打ちっぱなし」や「鉄製感をあらわにした柵」などが見られます。当時最新のデザインですが、その後の流行とは随分異なります。
古い車が少ない
画面中に見られる車は現在で言うところの「ネオクラシックカー」ですが、1970年代の車はもちろん、1980年代前半の車もほとんど見られません。例えば「E70型カローラ/スプリンター」や「910型ブルーバード」は1980年代に大ヒットしましたが、画面では全くといってよいほど見られません。
レジャーが少ない
登場人物4人は、水上温泉にA70型スープラの逆輸入車で1泊旅行をします。当時既にパジェロやハイラックスサーフなどのSUVが流行っていたはずですが、これは意外でした。1980年代前半には「おじいさん、おばあさんの旅行」とされていた「温泉旅行」が、若者のレジャーとなり始めた時のようでした。
当時はまだ趣味の多様性が認められておらず、20歳代前半の若者がすることというと、実は「ウインタースポーツ」くらいでした。「鉄道・アニメーション・ゲーム・アイドル」は「ネクラ」の烙印を押されて死刑宣告をされたのに等しく、「ラーメン食べ歩き」などは行為すら存在しない有様でした。意外に肩身が狭い時代、恋愛しかすることがなかったとも言えます。
オフィスのパソコンは1台
せいぜい顧客リストを入力しておくことや文書作成と印刷が主体で、調べる手段でもなければ通信手段でもありませんでした。しかも作成したリストや書類は、フロッピーディスクに保管していました。予備に紙の打ち出し表などもあったりしたものです。パソコンを使えるのはごく一部の女性で、キーボードを流暢に操作できると「プロフェッショナル扱い」されたものです。
レストラン等の内装
今日では割と明るい色使いで、大理石等の艶がある石を床材に使用するケースが多いです。しかし、全体的に暗くこげ茶色が多く、あまり明るい感じがしません。1970年代後半を思わせる内装です。
厚着?
1991年初頭は、結構寒い時期でした。防寒するのは当然ですが、みんな着膨れています。織田裕二の服装は、下着シャツ(予想)、襟付きのシャツ、セーター、ジャンパー、それにマフラーをしており、上半身はまるで雪だるまです。今ほど屋内の暖房が効いていなかったのでしょうか?
1989年に松田優作版「探偵物語」が再放送され、主人公が着用していた「うす茶色のダウンジャケット」が、1991年初頭の横浜で流行っていました。その流行は翌年都内に、その翌年に埼玉に伝わりました。スキーウエアは既にあったはずですが、ダウンジャケットは流行っていなかったか高額だったのでしょうか。
余談ですが、当時の街中では「ヘリーハンセンの蛍光黄、ピンク、黄緑、オレンジのジャンパー」姿が多数見られたのですが、画面には皆無です。なお、警戒色でもある蛍光色のジャンパーは目立つために、後年警備係員等の目印用服になってしまいました。
ブルーデニム皆無
ブルーデニムは流行ったり廃れたりしています。1988年頃に吉田栄作氏が白いヘインズのTシャツに、今で言うところのダメージデニムを引っさげて登場しましたが、彼の誇大発言が反感を買った時期です。ブルーデニムは「貧乏な若者の服」とされたため、登場人物どころか歩行者も履いていません。復活するのは、チーマーの元祖が現れる1994年頃です。
髪型
ワンレングスや「トサカ前髪」が見られます。眉はピーク時よりも細くなっているように感じます。後年、「茶髪(ちゃぱつ)と呼ばれるような、カラーリングあるいばブリーチヘアは一切見られません。それどころか、ソバージュもいません。1991年には絶滅していたのでしょうかね。江口洋介氏は女性で言うところのセミロングですが、彼の芸風によるもののようです。
思いのほか清楚?
「ワンレン・ボディコン」などと一括りにされる傾向がありますが、そういう人は映っていません。主人公赤名リカは、紺のブレザーにうす茶色のゆるいパンツ姿のこともあります。「知的に見せる」ことが当時のファッションの傾向だったようです。
本作の歴史的位置づけ
トレンディドラマの代表的作品として語られることが多いですが、私の記憶ではその末期だったと思います。次の春期には、既におじさんになっていた武田鉄矢と浅野温子主演の「101回目のプロポーズ」が放送されます。もはや普通の恋愛ものの手段が出尽くし、奇策として出てきた作品でした。
本作は、「恋愛は都会で暮らす若者のゲーム」として描いていた1990年までのドラマに対し、「モノは充実したので心の充実を図った純愛もの」として制作されたと記憶しています。「トレンディドラマ」と呼ぶよりは、原作者の「「柴門ふみ」もの」と分類したほうがよさそうです。
おまけ「トレンディドラマ」について
今でこそ、平成景気前後の若者主人公恋愛ドラマを示す言葉として使用されていますが、確か違ったはずです。松下由樹主演「オイシーのが好き」の前半において、「ストーリーよりも若者の流行をカタログ雑誌のように描いた映像」としたものが「トレンディ(描いた)ドラマ(仕立て映像)」だったと思います。しかし、「オイシー~」が途中で話が尽きたのか、普通の恋愛ものドラマになりました。本作も、部分的ではありますが、「若者風俗はこうなんだよ」とでも言いたげな、誘導シーンがあります。
シリーズを見終わったら、ストーリーを含めて感想を書きます。
Posted at 2018/09/22 00:07:39 | |
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