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2020年05月27日 イイね!

フジテレビ「テラスハウス」問題を分解して考える

 フジテレビ「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラーの木村花さんが自殺した問題が、徐々に大きくなりつつあります。おとといくらいまでは若者が一人自殺した程度のことで、そのままおしまいになるのかと思いきや、SNSの在り方や発言者の特定などへ、ことが発展しそうです。

そこでこのブログでは、故人への哀悼の念はさておき、本件を分解して問題に迫ります。

フジテレビと素人参加番組について
 昭和50年代半ば、フジテレビでは「ザ・ガマン」という番組を放送していました。東京六大学の大学生という素人を集め、「ゲテモノ食いクイズ」「暑さ我慢」など、出演者の人体や感情を追い詰めて視聴者を笑わせる番組でした。後年になり、六大学というのは全くのでたらめで、その時その時で適切数になるよう、アルバイトを「大学名チーム」に分配していたとのことが明らかになりました。視聴者を笑わせれば、事実などどうでもよく、出演者を苦しめることは全く構わないという姿勢を見せました。

その後のフジテレビと恋愛番組
 1980年代末、とんねるずが司会で素人男女が合コンを行う、「ねるとん紅鯨団」が放送されました。パーティーやらバーベキューやら、半日程度を一緒に会話をしながら過ごしたのち、男性が告白をしてカップル成立を目指す番組でした。一時人気がありましたが、バブル崩壊とともに人気が低下、放送を終了しました。

 2000年ごろになると、男女が桃色に塗装したハイエースコミュータに乗り込み、各地を旅する「あいのり」が放送されました。実は、私はこの番組を見ていません。主題歌をうたう「MI」?「川嶋あい」?が、人気を得ました。俳優の卵やらなにやら、海千山千の魑魅魍魎な人物が乗っていたそうです。何か月間も仕事をせずに旅できるのですから、勤め人も会社経営者も、出演できませんね。2000年代半ばまでには、放送を終了しているようです。

 余談ですが、他局でもお笑い芸人の卵にユーラシア大陸や南アメリカを旅させたり、発展途上国の道路整備をさせた番組がありましたね。これも演出されたものです。

テレビ・雑誌マンについて
 どこで聞いたのか忘れましたが、「テレビ・雑誌作りは学生の実験ではない。結論を正しく描くのではなく、いかに視聴者や読者を楽しませるか、が重要だ。」と聞いたことがあります。私は理工系学部出身であるため、事実を重んじています。たとえばシェアハウスにカメラを潜り込ませたら、
「皆がラーメン店の一蘭にいるように、距離を置いて会話が成立しなかった。」
が事実なら、それをそのまま描いた方が「そうなんだ!」と、感心する方です。テレビ・雑誌マンは、理工系出身者とは対極にいる存在と知りました。

シェアハウスについて
 シェアハウス自体は珍しくありません。昭和50年代前半は、この種の若者を主人公に据えたドラマが色々放送されました。放送局は日本テレビが中心でした。「俺たち」シリーズだったかな?勝野博や長谷直美、森川正太に小倉一郎、中村雅俊に山本紀彦に岡田奈々などが出演していたようです。あれこれけんかをするものの、最後は丸く収まる展開だったようです。余談ですが、この番組で鎌倉や江の島、江ノ島電鉄などが大人気になり、現在の観光地化につながっています。

 1980年代後半には一時すたれましたが、1990年代半ばに復活、シェアハウスとは少々異なりますが、「夏休みの期間だけ親がいなくなり、子供同士が過ごす」などの展開になっています。「君といた夏」などが代表格でした。

 一般の人が生活している上では、入院、老人養護施設入り、林間/臨海学校に修学旅行、合宿などが該当します。ペンションやユースホステルなども該当しそうです。以前は新入社員研修などもありましたが、今やそんな集合研修はないのが普通でしょうね。すなわち、赤の他人が同じ屋根の下に暮らす機会は、徐々に全滅に近づいているといえます。これまた余談ですが、私の家の近所の病院は、以前隣に寮を併設していました。二人一部屋だったそうですが、誰も入居しなくなったので廃止したそうです。看護師さんは給料が良いですから、金銭的余裕はまずプライベートを買うことから始まるのだな、と思いました。

そんなことで、シェアハウスというのは言葉としてはあっても、ごく一部の現象であると思っています。子供同士でも2泊3日程度が限度で、それ以上は多大なストレスを生みます。ある程度の経験を積んだ大人はもっと限界が低く、半日がやっとではないでしょうか。個性の表れですから、ごく自然なことです。

テラスハウスについて
 実は、私はこの番組を一度も見ていません。ただし、番組宣伝CMは見たことがあるような記憶があります。真っ先に「あいのり」を思い出しました。

出演者も海千山千魑魅魍魎のようで、この番組を踏み台にして一旗揚げてやろういう人ばかりでした。だからといって悪い人とは思いませんが、会社員としてお客様と接したり、企業の一員として働いた経験がない人ばかりと感じました。

 そんな人物が、特定の自分の都合の良い時間だけ、シェアハウスに来る方式のようです。常駐でないシェアハウス、という時点でかなり変な設定です。シェアハウスのストレスがありながら、協調性が生まれないという、おかしな状況になっています。

コスチューム洗濯事故について
 木村さんは、特注コスチュームを洗濯機で洗濯しました。そのコスチュームを洗濯機内に置き忘れてしまったそうです。それを次に洗濯機を使用したお笑い芸人が気づかず洗濯、そのまま自分の洗濯物とコスチュームを乾燥機に投入、熱換装によってコスチュームは縮んだ、模様です。

これがシェアハウス内で問題になり、木村さんはお笑い芸人に激しく抗議、帽子をかぶっていたり、押し黙ったままになってしまったお笑い芸人に、さらに怒りの姿勢を見せたようです。そしてお笑い芸人の帽子を投げ捨てたり、口汚くののしったりし、結果としてお笑い芸人はシェアハウスを出てしまったのでした。口汚いさまを見ましたが、22歳とは思えない、せいぜい10歳代後半の女子高校生を思わせるものでした。いわゆる「ヤンキー口調」です。もちろん、怒り心頭だったのでしょうから、即悪い、とは断言できません。

 この事件には前段があり、もともと木村さんはお笑い芸人に好意を寄せていた模様です。京都旅行の際にお笑い芸人の金払いが悪いことに腹を立て、以後、疎遠になっていったようなのでした。

視聴者とSNSについて
 番組中の木村さんの言動を見た視聴者が、木村さんに対して罵詈雑言に該当するコメントを寄せ、件数は日に100件以上にもなった模様です。それでも収まらず、コメントは木村さんの母親のSNSにも及んだようです。緊急事態宣言の中、自宅内一人でコメントを見ていた木村さんは、精神を病んで自殺に及んだと推察されます。

木村さんに嫌悪感を抱くのは、無理もありません。2000年代初め頃とは異なり、ヤンキーを持ち上げる傾向はかなり弱まっています。2000年代初めなら、
「かっこいい!」
「たくましい女性」
「これからの成長が楽しみ」
などと評価されたものですが、ここまでヤンキーが排除される世の中になったことを強く感じました。

 また、罵詈雑言の類が仮にすべて作られたものであっても、そんな言葉を読んでいると人間の心が破壊される現象があるそうです。「囚人と看守」というロールプレイング(ゲームではない)があります。人をそれぞれ囚人役と看守役とに分け、看守役が囚人役をいじめる劇をさせます。すると、初めは双方照れながらその役をするのですが、しばらくすると看守役はますます勝手に囚人役をいじめはじめ、囚人役は単なる役のはずなのに、惨めな気持ちになっていってしまうのだそうです。

そのような形で、「急性うつ病」のような状況に木村さんがなってしまい、市に及んだのかもしれません。

 また、番組はいろいろなシーンの切り取りにより、劇として編集されている説も出てきました。スタッフ、およびプロデューサーは、かなりあくどい可能性が出てきています。

問題提起

1.軟禁生活について
半日以上、特定の人を軟禁した番組は、そもそも人体実験の要素が強く感じられます。法令違反にはなりませんが、これはモラルに分類されます。

2.洗濯工程について
 そもそも、普通の生活で洗濯機を他人と共用することがありません。そのため、洗濯工程手順書なるものは存在しません。作業・施工・事務確認仕事の経験者は、「受け入れ・事前点検」をすることが標準的です。普通科の学校ではそもそも作業どころか実験もしなくなっていますので、この「工程」の理解がありません。

この事態を見ると、まず木村さんが洗濯槽の確認作業を怠っています。次に、お笑い芸人が洗濯槽の事前点検を怠っています。どうしてこのように無意識行動に出るのでしょうかね。洗濯槽から乾燥機へ移動する際の確認工程は、まあ、普通はしませんからなくても良いです。

3.コスチュームについて
 第二報を聞いたとき、私は「デビュー時に来た、血と汗と涙がしみ込んだ記念コスチューム」だとばかり思っていました。そういう記念品は、普通は洗濯しませんから、変に思ってしまったのでした。

ところがこのコスチュームは、特注品とはいえ現役のコスチュームなのだそうです。使用していれば傷むし、洗えば劣化するしで、資産ではなく動産です。すなわち、寿命が必ず来るものであるということです。

血も汗も涙も洗濯して落とすのですから、弁済によって補われるのではないでしょうか。お笑い芸人も、弁済を申し出ていました。それを、弁済はさせないわ許さないわ、気持ちはわからなくはないのですが、前段事件を含めて、木村さんは少々意固地になっていたかもしれません。

4.SNSについて
 木村さんは、プロレスラーとしての芸能活動の一環として、SNSをしていたのでしょうね。それならば所属団体も何らかの教育や措置をする必要があると感じます。

5.テレビ局について
 洗濯工程に不自然な点があります。もしかしたら、作られた事故ではないでしょうか?スタッフはシェアハウス内にいるらしいので、技とコスチュームを入れることも可能です。この辺のことを解明する必要があります。

どの部分を問題にするか
 新聞記事などを見ると、SNSでの芸能人に対する罵詈雑言が問題として取り上げられています。まあ、それもそうなのですが、私は番組を問題にしています。

シェアハウスは大人にとってはストレスそのもの、そこに魑魅魍魎な人間を集めて問題が起こることを期待してカメラを回す、というのは、人体実験の面を感じます。もしそれがさらに作られた出来事だとしたら、もはや人体実験です。

私は、この件はBPOなどが審査する必要があると思います。SNSに問題をすり替えてはなりません。

おまけ
 その人の学校で学んだことや仕事によって経験は様々ですが、「確認作業」と「工程管理」は大切です。これを良く知らない人が、「チンタラ確認などせずに、パッパと仕事を進めるのがプロだ!」などと言ったりします。作業は一工程一工程、確認をしながら進めなければならないのです。
Posted at 2020/05/27 21:25:30 | コメント(2) | トラックバック(0) | 時事 | 音楽/映画/テレビ
2020年05月25日 イイね!

緊急事態解除は、バブル再来なるか!?

 明日から緊急事態宣言が全都道府県で解除される見込みですね。その後は、段階的に元の生活へ戻していくことになりますが、蜜を避け、マスクなどを着用し、感染予防を十分に行う「新しい生活」をすることになります。

緊急事態宣言直前に、私は「昭和天皇の体調が悪くなり、自粛が始まった時期に似ている」と書きました。あの時は、無言の他人、または右翼団体による圧力を避ける自粛でしたが、今回は多くの人の健康や人類の安全のため、という自粛活動でした。

バブル経済にはいろいろな分析がありますが、私の説では「平成天皇の即位の礼が終わった1989年5月に始まり、1992年夏ごろに終わった」としております。

1988年夏ごろから、昭和天皇は微熱と下血が始まりました。例えば毎日午後6時になると、速報よろしくテロップがテレビ画面の上に出て、昭和天皇の体温やその日の状況を報道する、というものでした。各地の夏祭りは「不謹慎」とされ、軒並み開催を取りやめる状況になりました。

秋になると、9月1日に発売された「日産セフィーロ」のCMは、「お元気ですか~」のセリフだけが消され、自粛ムードはより強くなっていきました。お笑い番組も自粛ムードが出たのではなかったかな?

昭和天皇は、治療の甲斐なく1989年1月7日に崩御され、自粛ムードは一時薄れました。特にその日一日は特別報道番組が続いたため、当時増えていたビデオレンタル店では、軒並み在庫が出払うという状況になったそうです。しかし、いきなり消費行動は元に戻りません。2月24日には「大喪の礼」が行われ、一段落の状況になりました。

皆がなんとなく互いにけん制する中、4月を過ぎてくると「年度か変わったから」という勝手な理由でしょうか?ゴールデンウイークの人出はかなりのものでした。気持ちの切り替えに服を買う人、旅行に行く人、車を買い替える人、家電製品を買う人、特にビデオデッキの便利さや映画などを自宅で鑑賞する楽しさが口々に伝わったため、ビデオデッキの普及が加速されました。そのような形で、1989年初夏以降は消費動向がかなり強まり、1989年末に株価が最も高くなった、ということに多くの人は納得したのでした。

自粛期間は7か月強と、今回の自粛期間正味3か月と比較すると倍ありました。人の心は、生活必需品以外のものを買うことで満たされる、と、買い物の異なる一面を見た期間でした。

 1989年と2020年では、時代背景が異なります。高級車やスポーツカーでなくても恥ずかしいとは思わないでしょうし、ブランド服でなくてもみっともないということもなくなりました。すなわち、当時と人間は入れ替わっても社会が成熟しているといえます。今の人が買い物競争に走るとは考えづらいものの、抑圧された消費行動は、多少はありそうに思います。

これから先の半年間、経済動向を見ていてください。当たれば私の勝ち、外れたら「ブログなんかに書かれたことを簡単に信用してはだめだ。」と、また一つあなたは賢くなることでしょう!
Posted at 2020/05/25 21:22:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記 | 暮らし/家族
2020年05月23日 イイね!

控えめにドレスアップされたマークⅡを発見!

控えめにドレスアップされたマークⅡを発見! 系列の最終手前モデルとなった、トヨタ マークⅡ(JZX100)で、適度にドレスアップされた個体を発見しました。この車は、1996年に発売されて1998年にマイナーチェンジを受けた、後期型です。

この車は、一つ前の代のJZX90型のシャシーを基本とし、エンジンを連続可変バルブタイミング化し、ターボをシングルターボに変更しています。景気が悪い時期でしたので、スキンチェンジとも見なせます。JZX90時代はマークⅡとクレスタが売れていたように思いますが、この代ではチェイサーが最も人気が高く、次いでマークⅡの印象でした。(実売台数は分かりません。)マイナーチェンジでの変更点はわずかで、ヘッドライト脇のフラッシャーランプがクリアレンズ化、テールランプの並びが変わった程度と記憶しています。

 そしてこの個体です。外観は変更されていないようです。車高はごくわずかに下げられている程度のようです。ホイールは、BNR32型スカイラインの16インチのものが流用されています。タイヤも太くなく引っ張り気味でもなく、適正サイズが装着されています。このように、ホイールハウスとタイヤの外側の間に少々隙間がないと「詰まった」気持ちになってしまうので、これは良いと感じます。同時に地上高が上がり、全高も上がるので、堂々とした感じが出ます。

ホイールハウスとタイヤが、「ツライチ」になっていないのも良いです。タイヤやホイールが適当にホイールアーチから引っ込んでいることで、エレガントさが増します。

タイヤの厚みが適当にあることで、タイヤの存在感が強調されます。同時に、私は安心感も感じます。

ホイールはスカイライン用そのものですが、車よりも古いのにきれいに残っていることが素晴らしい上に、車輪としての逞しさも出ています。

 車のカスタマイズの好みは人それぞれですが、私は
「車の出荷状態を維持する」
「できるだけ、後付け感が出るものは付けない」
「全体のコーディネートを行う」
「サイズが選べるものは、極端なものは装着しない」
「色は流行があるので、地味目にする」

ことが、品よく飽きずに長く乗れるカスタマイズだと思います。派手なカスタマイズはすぐに飽きて手放され、中古市場では誰かの好みにマッチすれば良いものですが、買う方も誰かの痕跡が強い個体は避けるものです。結果として、早期に解体されてしまいます。

 そんな上品なカスタマイズに、つい写真を撮影してしまいました。
Posted at 2020/05/23 23:25:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧型車 | クルマ
2020年05月12日 イイね!

古いジムカーナ動画を見る

 1984年のジムカーナの様子を記録した動画がありました。



4:42 カローラレビン(B-TE51)がいます。私はこの車が実際に走っている姿を初めて見ました。当時はそれほど古くなかったはずですが、他の車と比較すると古く見えます。リヤサスペンションがリーフスプリングのリジッドですと滑りやすいと聞いていたのですが、それほどでもないようですね。

8:15 スプリンタートレノ(TE27)もいます。こちらもノーマル車が走っている風景は初めて見ます。吸気音が聞こえません。速さも旧車雑誌が言うほどの、じゃじゃ馬のような感じではありません。他の車と同等、と見えます。旧車雑誌がこの車を神格化しすぎているように感じます。

10:13 カローラレビン(E-AE86)が、スピンターンをしながらもグリップをして、強力に加速をしています。ジムカーナとは、後輪を滑らせる競技ではなかった、ということを改めて教えてくれます。

 2020年現在、ジムカーナは大変な状況になっているのだそうですが、この頃はまだ「各地の腕自慢が競う」すそ野が広い競技であったことを教えてくれます。
Posted at 2020/05/12 20:53:24 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧型車 | クルマ
2020年05月05日 イイね!

市中で二代目カリーナを見る

市中で二代目カリーナを見る ゴールデンウイークは、珍車や旧型車、老人車が街中を走るものです。今年もこんなきれいな車に出会えました。二代目トヨタ カリーナ(A40型)です。



初代は人気と排出ガス規制への対応からフルモデルチェンジが延び、1970年から1977年まで当時としてはかなり長期間生産されました。

二代目は、排出ガス規制への対応が落ち着いた1977年8月に登場し、1979年8月にフロントマスクを変えるマイナーチェンジを実施し、1981年9月まで生産されました。この日出会った車体は、1979年8月までの前期型です。

車に近づくと、エンジンルームからは若干ながら「ドロドロ」とノイズが聞こえました。エンブレムを見ると、「TTC-C」「GT」とありました。



18R-GUエンジンを搭載していると推察されました。バンパーは黒いウレタン製でした。その場では18R-GUエンジンとウレタンバンパーの組み合わせに違和感を感じましたが、



帰宅後二玄社刊「日本車検索大図鑑」より、1978年2月にオプションで装着できるようになっていたことがわかりました。その後このカリーナは、1978年9月にエンジンを18R-GEUに換装していますので、この車は前期の中期型(C-RA40)と断定できました。若干違和感が残りましたが、リヤクオーターパネルの「CARINA」エンブレムが無くなっているようです。また、純正のマグスタイルホイールが、私の記憶の中の色と比較すると、少々黒いように思います。

とはいえ、きれいに修理または維持されている車であることは確かです。新車の頃からきれいに維持されているのか、それともレストアされたものなのか、いずれにしても大切に扱われていることは確かです。ドライバーの運転も丁寧で、左折時にはしっかり巻き込み確認をし、エンジン回転を上げず(すなわち、独特な吸気音もほとんどせず)2速へとシフトチェンジをしていました。

この個体を見たのは二度目のように思いますが、いつまでも大切にしてほしいものです。

 車としては、最近の一般の人に向けた旧車解説記事では、「排出ガス規制に悩まされたモデル」と書かれれいたことでしょう。しかし、当時のカーグラフィック誌を見ると「排出ガス規制前のモデルと比較すると若干パワーダウンをしているが、それでも高性能を実現している」とあります。こういう私も排出ガス規制移行期モデルには乗ったことはないのですが、当時の書物を見る限りは昭和50年排出ガス規制対策モデルはいろいろ急造ぶりがうかがえ、触媒コンバーターが過熱したり燃費が悪かったりしたそうですが、昭和51年排出ガス規制対策モデルではだいぶ落ち着きを取り戻してきたようです。

しかし、車両個体としては、先日のスプリンターもそうですが、よくぞ生き残ってくれた、と言えます。この車が2回目の車検である4年を経過した1982年には、ターボ付きエンジン車が大ブームになっていました。ブルーバードが大人気で、カリーナも次のモデルへ移行し、160馬力のDOHCターボエンジンを搭載しました。10年を経過した1988年には、DOHCターボに4WDが加わったハイパワーモデルが増えていました。2000ccで130馬力のこの車は、まったく時代遅れになっていました。その後はバブル景気が本格化し、4-5年もたった車は「’70年代後半の車なんか、ただ時代遅れで古臭くて乗れない」かのような風潮すら生まれていました。’80年代前半の車でも、どんどん解体されていたことでしょう。この車は、そんな時代を生き残ってきた、まさに「隠れ物件」だったのかもしれません。

余談
 この車が登場した時代は、景気としては良くなかったものの、第一次オイルショックと学生運動が落ち着き、世の中が安定してきた頃です。「太陽にほえろ!」が視聴率30%を超える怪物番組となり、学生を中心に「宇宙戦艦ヤマト」「さらば宇宙戦艦ヤマト」が人気を博していました。音楽は、キャンディーズが人気を下げつつ、ピンクレディが人気を得ていました。団塊の世代や全共闘世代は当時の大学生を「ノンポリ」「無気力」と評価していましたが、レジャーが生まれ、旅行やサーフィン、スキーなどがレジャー化を始めた頃だと思います。色の流行も、’70年代初めの深緑や深い青から、この黄色、黄緑、橙色などのビタミンカラーに移っていきました。

そんな若者のライフスタイルの変化を受け、車もやや変わりつつあった時代です。レジャーの道具としての車の役目が出てきた結果、リヤにハッチを加えた「リフトバック」「ハッチバッククーペ」が増えてきた頃です。スタイル重視のハッチ付き車から、レジャー道具を入れるためのハッチに変わってきた頃だと思います。この時代背景にあっては、もしかしたらこのセダン型GT車は、少し懐かしい車だったのかもしれませんね。しかし、その後レジャー車は本格的なハッチバック車(マツダ ファミリア)へと移行し、セダンGT車はブルーバードの大ブームで復活しています。車の流行は、片時もとどまっていない、ということを改めて意識しました。
Posted at 2020/05/05 22:58:17 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旧型車 | クルマ

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何シテル?   01/19 13:39
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