以前紹介した、「五番目の刑事」、付録リーフレットには、当時のテレビ雑誌に掲載されたインタビュー文が掲載されていました。その文章は、1970年初めに週刊テレビガイド誌に掲載されたものです。
当時の雑誌記者といえば、時代の最先端を行く職業だったと思います。そしてその当人は、昭和ひとケタから10年代生まれではないか、と思います。その時代の最先端を行っていた言葉が、この2020年に読むともはや古文書なのでした。
たとえば昭和50年代に大正時代の文章を読めたか、というと、ごく一部の文学作品や新聞のような、かしこまった文章しか読めませんでした。それが、日常をよく表す文章を読めるようになったのも、過去の作品を楽しむ文化が生まれたからにほかなりません。そんなことから言葉の変化はごく一部の人のみが知るところでしたが、いよいよ普通の人でもわかるところになったのです。
奈落
「奈落の底」という言葉は今でもありますが、「奈落」のみで使う用法は聞いたことがありません。仏教の言葉で「地獄」だそうですが、聞かない言葉です。
いざござんなれ
「こざんなれ」は「であるらしい」という意味で、推測の言葉の様です。このリーフレットで、初めて見ました。
ズッコケ、はみ出し
子供向け小説の「ズッコケ三人組」以降、意味が変わってしまったようです。ここでの「ズッコケ」は、「多くの人が通るであろう「道筋」をはずれた」という意味で使用されています。「ズッコケ三人組」は、「ドジで間抜け」という意味で使用されています。今や、「ズッコケ」も「ドジ」も「間抜け」も、あまり使用しない言葉になっていると思います。
はみ出しも、「はみだし刑事旅情編」というドラマがありましたが、「ズッコケ」とは異なり、そのまま死語になっていったように思います。そもそも、他人の領域に入り込んで、「その方向性は合っているだの合っていないだの」あれこれ言うことが、古い風習になっていったのではないか、と思います。
「演じちゃいるが」の「ちゃ」
「ているが」の「TEIRU」の「TEI」が「cha」に音便化したものです。こういう用法があることは知っていますが、なんとなく時代劇的、もしくは、過剰に江戸弁化しているように思えます。砕けた感じを出すために使ったのでしょう。
朝鮮料理
今や、世界各地の料理をしてどこの料理、などということが減っています。しかも、焼き肉は韓国・朝鮮由来であるものの、それをわざわざ朝鮮料理、とは呼びません。それでもなお、昭和50年代になって家庭にホットプレートが普及する前は、ほとんど焼き肉を食べていなかった、と思います。そんなことから、当時焼き肉は特別な食べ物だったことでしょう。
「早く身を固めて…」
記者がインタビュー相手に、こんなことをいうことが特別です。今や、相手が一般人であれ芸能人であれ、他人の領域に入り込んであれこれ言うことが急速になくなっています。
角瓶の水割り党
酒を飲まない私でも、ウイスキーの水割りであることはわかります。しかし、飲む酒で人をグループ分けするというのは、なんとも酒社会で古いなあ、と思うのです。
ゴーゴー
ダンスの種類の様です。当時はまだ「クラブ」はもちろんのこと、「ディスコ」という言葉もなかったことがわかります。でも、ゴーゴーもディスコはもちろんのこと、クラブも古い言葉になってしまいました。
ハレンチ
「ハレンチ学園」というテレビドラマがありました。「破廉恥」と書きます。恥を忘れて行動する、という意味の様です。しかし、いつしか性的なこと寄りの意味になり、その後死語になったと思います。
てめえ
「手前(てまえ)」の「ai」が「ee」に音便化したものです。江戸弁の音便化です。自分自身のことを指しています。しかし、いつの間にか相手を罵倒して呼ぶ際の言葉になり、そしてその言葉もそのまま死語になって来たと思います。他人を大切に扱うことが、ごく一般的になって来たからだと思います。乱暴な言葉を使って過剰に男性性を演出することは、現在では古いことです。
50年という期間は、25年の二倍の期間です。計算上はそうですが、やや時代性が残る25年と比較すると、二倍とは思えない期間となっていました。30年で歴史になり、40年で歴史が忘れられ、50年で化石になる、と感じました。そんな「自然風化」を少しでも無くすべく、これからもブログを書いていこうと思います。
Posted at 2020/12/13 21:16:25 | |
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