
昨年末に購入した、「太陽にほえろ!1986(年)+PARTⅡ(1987年)」を、先日見終わりました。既に「ファミリー劇場」にて全話を見終えていますので、今回が初めての完全視聴ではありません。また、「ライフルが叫ぶとき」他の欠番作品も見た、ということではありません。
今回の1986年、1987年の初めのこれらの作品を見ることで、当時の世相がありありと伝わってきました。今回は、太陽にほえろ!としての感想ではなく、作品と当時の世相について書いてみます。
1.いじめ問題
「太陽にほえろ!」には、度々実社会問題を取り上げ、太陽にほえろ的解釈を加えて啓発する、社会貢献ともいえる放送回があります。これまで、子供の自殺問題や老人問題など、いろいろ取り上げてきました。
1985年のDVDには、ずばりそのもの「いじめ」と題する作品が放送されました。いじめられて学校を休みがちになった中学生に、マイコン刑事が「君の気持はわかる。強く生きろ!」と呼びかけていました。
当初現実の世の中では、
「非行少年、少女問題が片付いたのに、また問題?!もう勘弁してよ」
といった、もう子供の問題はこりごり、という意見から、
「いじめは昔からあった。非行少年少女問題がなくなって、昔ながらの中高生に戻っただけだよ。」
「子供同士の問題に、親や教師といった大人が入り込むものではない」
などの楽観視が見られました。
1986年になり、東京中野区で実際にいじめ自殺事件が起こるなど、ますます社会問題化したいじめを、再び取り上げたのが、「わが子へ」です。
この作品では、いじめられていた子の親が、いじめていた子を殺害するなど、描き方が深刻になっていました。それだけ1985年から1986年の間で、いじめに対する世間の目が変わってきた、ということです。子供だけの問題から、社会全体で取り組まなければならない問題へと、視点が変わっていったのでした。
しかし、いじめはテレビドラマで簡単に啓発できるようなことではないとなったのか、以後の刑事ものでいじめ問題が取り扱われることは、なかったように思います。
2.服装
1986年終わりごろから、刑事さんたちのスーツが急速に変化しています。男性刑事のスーツは肩パッドが入り、肩がいかつくなります。ワイシャツは襟が硬くプレスされた混紡から、柔らかく「くしゅっと」なった綿100%を着る人が出てきました。ネクタイは、細身のものが増えてきました。
女性刑事の服はより変化が大きかったです。それまではその刑事が未亡人だったこともあり、まるで「お母さんが子供の授業参観日に着て行くような服」だったのが、色使い鮮やかなスーツなどを基本としたものに代わっていきました。「働く女性の服」が明確に定義づけられ、デザインの方向性が決まったように感じました。
いずれも、「DCブランド」ブームの影響です。登場人物はスターですからよい服を仕立てているのですが、世間一般の服も「DCブランド風のノーブランド」となっているようです。この時期はフォーマル服が急速に進化したと考えられます。
その一方で、若年刑事や若い犯人が着る服の方は、「まだまだ」です。「スタジアムジャンパー」や「綿のブルゾン」にジーンズなどと、基本的に「小学校高学年男子が来ている服のデザインテイストそのままの服」でしかないのです。
3.「地方から上京して挫折した若者」
「太陽にほえろ!」の犯人と言えば、「地方から出てきた若者が都会で挫折、犯罪に巻き込まれてしまう。」が定番でした。主人公刑事がその若者に同情して逮捕をためらったり、教え諭して若者が再び生きることを決意したりすることに、特有のドラマ性があったのです。これは、プロデューサーの岡田晋吉さんが青春ものドラマで成功した人ということにも起因しています。これが、第一次オイルショック後の景気低迷期にマッチし、視聴率の上で大成功をしていたのでした。
しかしこの頃になると、いささか時代錯誤になってきます。そもそも景気が上向いている時期でしたので、挫折をしても自暴自棄になるほどのことにならなかったり、若者の側の教育水準が向上したために、自暴自棄になることは自分の人生をふいにするだけで、もったいないことに気づくようになったためかもしれません。
現在、倒産した企業で事業に見込みがある場合、債務を「〇〇株式会社(旧)」とし、事業を「〇〇株式会社(新)」として、債務と事業を切り分けることをします。私は経営のことはよくわからないのですが、なんだか蛇の脱皮のようで、こちらとしてはキツネにつままれたような気持ちになります。
この場合と同様、運悪く挫折しそうな事態に出会ってしまった若者は、挫折した分を特別損失として計上、「自分(旧)」として切り離し、転職などですぐに別の人生「自分(新)」として切り替えるようになっていったのです。
こうなると、犯罪が起こらなければ刑事が関与する必要もなくなり、ドラマもなくなります。そもそも、「真剣に悩む」こと自体が「かっこわるーい」とされていた時代でしたから、ドラマ中で扱い事件もどんどん無機質なものになっていきました。
まとめ
この時代になってくると、太陽にほえろ!の影響力はどんどん低下していきます。シリーズも14年目と長くなり、色々なことをやりつくしてしまったこと、目占めに職務に取り組むことが「ダサい」こととされ、仕事はほどほどにして余暇を楽しむ風潮が、まじめな刑事ものを受け付けなくなっていったのでしょう。
太陽にほえろ!は、主演の石原裕次郎氏の病状の悪化に伴い、1986年11月に放送終了、脚本消化と次シリーズ「ジャングル」の企画のために、1987年2月まで「太陽にほえろ!PARTⅡ」を放送して終了しました。
その後の情勢を見てみると、1991年初めには「東京ラブストーリー」など、軽い作風のドラマから転向する動きが見られます。1992年には「ずっとあなたが好きだった」など、恋愛ものとは言えないような作品が支持されます。1994年には「家なき子」と、貧困が一つのテーマとなっているような作品が人気を得ます。
すなわち、浮かれに浮かれたドラマは、1986年頃から1990年頃までしか続きませんでしたので、「太陽にほえろ!」も適任の新ボスを得て、往年の格闘アクションを取り戻していたら、さらに延命出来たかもしれません。
ところがところが、「太陽にほえろ!」の次の次の作品、「NEWジャングル」の2話では、「太陽にほえろ!」で挫折する若者を描いた55話「どぶねずみ」をリメイクして放送、時代と合わない暗さとなってしまったのでした。
Posted at 2022/04/11 21:02:40 | |
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