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2025年03月31日 イイね!

魔法使いサリーの傑作「ミスター雪だるま」公開中

 東映アニメーションの公式youtubeでは、魔法使いサリーの第一シリーズが公開中です。確か1965年頃から放送されたこの作品は、後に続く魔法使い少女ものアニメーションの元祖となり、大人気を得ました。そのため以後何度も再放送されており、私も2-3回は見たように記憶しています。

中でも記憶されているのが、私が小学校6年生の夏休み期間の放送です。その頃私は学習塾に通っており、塾から帰宅するとちょうどサリーちゃんの放送時間だったような気がします。塾から解放された時間帯の楽しみとして、毎日見ていたようです。

一方でこの頃のドラマ類理解度を振り返ると、少し前の小学校5年生の頃だと「いわゆる男の子向けアクションアニメーション(ロボットや宇宙戦艦が活躍するもの)」は、シーンのカッコよさで視聴可能、1時間もの実写ドラマは、シーンを切り取ってかっこよいシーンだけを追って見ていたように思います。伏線はもちろんのこと、登場人物の心情になることなどとても不可能、アクションのないアニメーションやドラマは、何が楽しいのかわからない、という気持ちでした。

そしてこの時期にサリーちゃんを見ていると、なぜか急に心に染み入るようになってきます。サリーちゃんの時期の経済事情が関係しているのか、まれに困っている人や悲しい運命に会ってしまう人も描かれるのですが、見終わった後にいたたまれない気持ちになったこともあったかもしれません。

その作品の一つがこの、「ミスター雪だるま」です。雪だるまを擬人化し、季節が進むと溶けてしまうことから、期間が限られた友達として描かれたものです。この



あらすじ

サリーちゃんが住む町に雪が降った。サリーちゃんは庭に雪だるまをつくるのだが、カブが魔法をかけて雪だるまを動けるようにしてしまう。雪だるまは動き出すのだが、サリーちゃんを主とし、カブを召使にしようとする。

雪でできている雪だるま故、サリーちゃんの家の中は暑すぎると、水をかけたり冷やしたり、氷まみれにしてしまう。あまりの寒さに風邪をひくサリーちゃんとカブだった。

人間のことを何も知らない雪だるまは、サリーのために薬屋に行って風邪薬を買おうとする。ところがお金を持っていないために、薬屋の主人は「店の前に看板を持って立っていたら売ってやる」と、雪だるまを店の前に立たせる。日が出てきて気温が上昇、雪だるまは溶け始めてしまう。

約束の時間がたち、雪だるまはサリーの家に戻る。腹が立って収まらないカブは、雪だるまに魔法で出したたいまつをかざし、溶かしてしまおうとする。たいまつを放り投げてやめさせようとするサリーちゃん、ところがたいまつは魔法の本の本棚のところに落ちてしまっており、このままでは魔法の本も家も燃えてしまう。

雪だるまはとっさに本棚のところに行って火を覆って、消火をする。火は消えたが、すっかりやせ細ってしまった雪だるま。泣いて非を詫びるカブだったが、雪だるまは言う。
「もとより限られた命、少し早まっただけのこと。それよりカブ、サリー様にお仕えするのだ」

息絶える雪だるま。

しかし雪だるまはサリーちゃんの魔法で蘇り、北の国へ送られるのだった。


 古い話ゆえに未消化なところがありますが、雪だるまが自信を犠牲にしてまでサリーを守ること、カブのいたずらと自責の念、最後はカブも許す雪だるま、と、アニメーションの得ながらキャラクターに命が吹き込まれていることを感じました。

小学校6年生の頃に話に戻ると、塾の同級生も何人か見ていたようですし、2学期になって学校の同級生に聞いても、男子の何人かは見ていたようです。そしてこの頃私は、「女子向けのアニメーションは、男子向けのアニメーションよりも内容に深みがあって大人っぽい。」と思ったものです。

これを機に、それまでやや国語を苦手としていた私は、文章を読むと登場人物の心情が出に取るようにわかるようになり、比較的得意な科目になったのでした。
Posted at 2025/03/31 22:26:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 過去のテレビ番組 | 音楽/映画/テレビ
2025年03月31日 イイね!

南大阪さんと悪畑さん

南大阪さんと悪畑さんアルバイトの記憶 スペード社シリーズ

 南大阪さんは、オープンマインドな方であることはすでに書きました。仕事がやや落ち着いてきた3月初め頃か、お疲れさま会が開催された3月末のことだったと思うのですが、詰め所の中央の方から南大阪さんの声が聞こえてきました。南大阪さんは、上村栄二作画監督が描くグレートマジンガーのようなスーパーロボット体形の方で、その体系からか声のトーンは低めで、しゃべっていても目立たない方だったのに、です。

またその日、ホウセンカ大学の悪畑さんという人も出勤していたことを確認しました。悪畑さんは4年生の方で卒業なのですが、年末から姿を見ていないような気がしました。髪の毛は元々の茶髪のストレートで、目半立ちくっきりで山口智子か今田美桜に似ていたように思います。聞こえてくる声によると、この時期まで就職活動をしていてようやく内定がとれたか、あるいは就職先の研修会のためにアルバイトに来られなかった、といっていたような気がしました。

そこの話の輪に加わっていた南大阪さんが、「え?これまで悪畑さんの姿を全然見なかったのですが、今まで〇〇していたんですか!?」と言ったように思います。しかも悪畑さんは、「短大卒以上の一般事務職」枠にようやく内定を取れたとも聞こえました。悪畑さんのパーソナリティはよくわからないのですが、同級生の女子などに

「悪畑さんは、黙っていれば「かっこいいオンナ」なのに、しゃべるとドジっぽくて面白いよね~」

と言われるような人だったと聞いています。私はシャープなお顔にしり込みしてしまい、それまであまりお話しできなかったのが残念です。

そして南大阪さんは、西日本の出身でコーヒー大学の2年生、奨学金をもらっていたか、学費か生活費か家賃のどれか一つをアルバイトをして負担をしていたと聞きました。もし南大阪さんが2年後を卒業し、短大卒以上の一般事務に就いたとすると、損をしてしまうというのです。すなわち、2年間の学費と生活費と家賃を払ってあと2年学校に通うと、生涯年収がただ2年分減少して基本給も短大程度となります。すなわち、2年間分以上の損が出てしまうという計算です。

そうなった場合は、学校をやめて地元に戻り、高卒以上の一般職に就いた方が良いというのです。また、「そういう一般職になりたくないから四年制大学に行ったのに、これじゃ無駄になっちゃう。」とも言っていました。

周りの4年生の女性たちは、「あと2年頑張って学校に通えば、きっと景気も回復しているよ。」と言って引き留めていました。南大阪さんは落ち着いている方だったのに、意外な反応をした出来事として記憶されています。その後、風のうわさで南大阪さんは無事卒業はされたと聞きましたが、それだけみんなパニックになっていたのだと思います。
Posted at 2025/03/31 21:46:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | スペード社 | ビジネス/学習
2025年03月24日 イイね!

鉄腕女子大女子とコーヒー大学女子

鉄腕女子大女子とコーヒー大学女子アルバイトの記憶 スペード社シリーズ

 このアルバイトは、職長を除いて大学生や専門学校生に限って採用されていました。理由は、おぼろげながら「フリーターは質が良くない」という考えで組織作りをしていたと聞いた記憶があります。当時はまだ、フリーターの社会的地位が低かったのです。

都市部各学校の人がいましたが、なぜか国立大学の人はいなかったなあ。こちらの理由はわかりません。先日も書いたように、友達同士での応募もあれば私のように公募に単独で来た人もいますが、鉄腕女子大とホウセンカ大学と西郷里大学、来月大学のゼミやクラブで代々受け継がれていたようでした。

多くの人は、通う大学・専門学校は1校です。すなわち、どこかの学校に通いながら他の学校の雰囲気に触れ合うことは、ほとんど不可能です。しかし、この職場では都市部各校の人がいて、学校ごとの違いと思われる雰囲気の違いを感じることができました。

女性同士はどのようなかかわりをしていたのかはわかりませんが、どういうわけか鉄腕女子大の野比さん・三田村さんと、コーヒー大学の南大阪さん・山町さんの愛称は良かったようでした。というのも、職長が野比さん・三田村さんに対して、

「誰かと一緒に仕事をしたら?」

と言う機会があったのですが、野比さん、三田村さんは、

「えー、色々な人がいて、南大阪さんと山町さん以外、誰が誰だかわからない。」

と言いました。コミュニケーションが活発とされる女性でも、男性と大きくは変わらないようです。

 野比さんと三田村さんは、中学校から大学までずっと同じ学校だったようです。もしかしたら、その期間ずっと女子校だったのかもしれません。一方で南大阪さんと山町さんは、それぞれ異なる地域の公立中学校、公立高校と進学し、大学は私立共学の4年制大学の2年生でした。

野比さんと三田村さん、南大阪さんと山町さんはそれぞれ異なる経歴だったためか、馬が合ったようです。第一期に見た、鉄腕女子大の人同士の呼び捨てで呼び合う女子間とはまた違った関係性で、ごく自然な感じでしたよ。一方、ホウセンカ大学の女性と鉄腕女子大の女性は話しているのをほとんど見たことがなく、下地大学の左官さんは良く話していたようです。南大阪さんと山町さんは、誰とでも仲良くしようとする平和派だったと思います。

 この場で感じたことは、女子大の人は「私は女性です」感を強く出していることです。女性だけの学校になると、誰か何かをしないと何も動かないと聞いたことがあります。例えば小学生の頃によくいる、おどけて周りをわららせる男性の役を女性が演じていたりします。例えば、ゴリラの真似をするサザエさんなどがその例です。そのため、その場の盛り上げ役になる傾向を強く感じました。

一方で共学の学校の女性は、「女の性を担っている人」とでもいう感じです。さっぱりとしていて、飾り気が薄い印象です。飾り気は化粧や服ではなく、人となりですね。話をしていても、男性や女性の違いを感じさせず、ごく普通に話をする傾向です。

 このように、スペード社内のアルバイトの人たちとかかわることは、私にとってはヤマト産業大学以外の世の中を見ることとなり、学校や経歴の違いによる人となりの違いを知る良い経験になったのです。
Posted at 2025/03/25 00:02:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | スペード社 | ビジネス/学習
2025年03月23日 イイね!

アルバイト期の馬車馬的働き方

アルバイト期の馬車馬的働き方アルバイトの記憶 スペード社シリーズ 

 アルバイトをしていた頃は、それこそ馬車馬のように働いていました。ここのところは第二期のことを書いていますので、それに倣って書きます。

 スペード社の営業日は月曜日-金曜日で、確か隔週土曜日営業だったように思いますが、繁忙期に土曜日も営業していたかどうかは記憶にありません。勤務日は午前8時30分頃までに出勤しました。タイムカードを押した後に詰め所へ向かいます。詰め所には昨日仕分けをしておいた方面別便があるために、それを当日勤務する人同士で分け合います。

 多くの人が、良く行く方面や通学定期が有効な方面を選んでいたように思います。また、集配先には日本橋や大手町、港区が多かったように記憶していますが、まれに北区もあったように思います。その日に出勤する人は必ずしも決まっておりませんので、人が不足している場合は郵便や「無理」によって振り分けます。訪問にも限度があり、1時間1件の1日7件が限度だったかなあ?よほど近い訪問先が重なれば1日10件も可能でしたが、なかなかそんなことはありません。また、一人当たりの受け件数に限度はありませんが、少なく取ってもだれも非難はしませんでした。

 集配業務を行うのは男性で、女性は内勤で製品検査や工程管理をしていたようです。工程管理専門の期間限定社員さんが4人いて、その4人の指示を受けながら働いていたようです。製品検査ですから、責任もあり、目も疲れたようですよ。女性の製品検査所と男性の詰め所は衝立で仕切られており、まるで男女がおしゃべりをしてはならないかのような雰囲気が醸し出されていました。とはいえ男性は定時が来たら外出してしまいますので、談笑している余裕がないのも事実です。

 9時になると男性は出発します。JR線だったり地下鉄線だったり歩きだったり、男性同士が談笑する余裕はありません。中には時間指定がなされている場合もあり、10時と早い時間指定だったり、反対に17時指定と遅い時間だったりすることもあります。もちろん、時間指定なしもありますが、12-13時や17時過ぎは失礼なので訪問しません。地図を頼りに周囲を見ながら目印を探して、集配先に向かいます。現代とは異なり、スマートフォンはありませんので、地図アプリもありません。自分の位置を電柱の住所で判断し、行先を探しながら歩きます。すぐに見つけられるような大きなビルであることもあれば、細長くて探すのも大変なこともありました。時間指定がある場合の遅刻は厳禁ですから、結構時間が厳しいこともありました。私は、太陽にほえろ!の刑事のように、街中をスーツ姿で走ったこともありました。時間に余裕がある場合は集配先を特定したのちに、付近の街を散歩して時間をつぶしたこともあります。

 中には午前中に出かけて昼食時間帯は会社に戻り、再度出かけていく人もいたようです。私は出ずっぱりのことが多かったですね。昼食は抜いたことが多かったかもしれません。お店の方も現代のようにファストフード店はなく、駅の周りにハンバーガーと牛丼のお店がある程度です。コンビニも少なかったように思います。記憶にあるのは、港区内の古い高層ビル付近で昼食時間帯を迎えた日のことです。そのビルには外部の人でもはいれる食堂があり、メニューを見ると「青椒肉絲飯 1100円」とあったことを記憶しています。昼食で前1時間分の時給が吹き飛んでしまうのはバカバカしかったので、抜いたりお菓子を食べたり物陰でパンを食べたりしていたのかな?

 午後も午前中と同様に仕事を続けます。17時以降の時間指定はありませんでしたので、17時に集配、17時20分くらいにその集配先を出て会社に戻ると、大体18時になってしまうものです。詰め所に入ると、何と人はほとんどいません。17時まで働いて戻り、18時には退社することは理論的に難しいです。おそらく、17時に帰社できるように集配案件の「取り」を調整していたのでしょう。そして先日書いたように翌日の準備業務を行い、22時に退社していました。

 これを月曜日から金曜日まで、2月初めから3月初めまで繰り返していたのです。土日は、、、パソコンの販売店でアルバイトだったと思います。平日働き土日も休んでいなかったのですから、20歳前後で1か月間とはいえ、体や心には無理がかかっていたのかもしれませんね。
Posted at 2025/03/23 23:48:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | スペード社 | ビジネス/学習
2025年03月20日 イイね!

不景気でも当初仕事は忙しかった

不景気でも当初仕事は忙しかったアルバイトの記憶 スペード社シリーズ

 アルバイトの記憶を振り返るシリーズを、「スペード社シリーズ」としてまとめることにしました。今後は、過去のブログにも「スペード社シリーズ」と記載することにします。

 景気後退に伴う不穏な空気が流れ始めていた職場でしたが、繁忙期の仕事は忙しかったです。コマンダーさんと王様さんを連れて行った1月20日か繁忙初日の2月2日に、私が午後6時頃に帰社すると、職長かホウセンカ大学のゆで太郎さんから、

「今日残業できる?」

と聞かれました。第一期は午後6時帰社後に清算をし、さっさと帰宅していた私にとっては意外な質問でした。忙しかったとはいっても配達・回収業務で、オフィス街を歩いたり電車に乗ったりすることが大半を占めてしましたから、疲れはさほどでもありませんでした。今から思えば、20歳前後でしたので疲労がたまりにくい体だったからかもしれません。残業代も出ますので、二つ返事で残業をすることにしました。

残業をすることになると、確か法令上食事代か食事を支給することが決まりになっていたと思います。この職場では食事を提供することになっていたようで、近くのイタリアンレストランから出前を取りました。何だったかは覚えていませんが、辛いか熱かったように思います。猫舌の私は、

「うわ、熱くて食べられない」

と思わず口走ってしまいました。これに対して監督社員さんは、

「だったらママに食べてもらえよ。」

などと言い返してきました。この瞬間も言い返し方に私は違和感を覚えたのですが、後になり徐々にわかってきたことです。

それよりも、この残業時間帯は待機時間が多くを占めていました。協力会社から試作品が出来上がってから業務が始まるため、午後6時から午後8時頃まで待機していたように思います。この時間帯は帰宅したり外出したりしなければ自由に過ごしてもよく、アルバイト同士でおしゃべりをしても良かったのです。

この繁忙初日は、確か職長、ゆで太郎さん、貧乏さん、花崎さん、野比さん、南大阪さん辺りがいたような気がします。おしゃべりは仕事上不要ではありますが、仕事を離れて互いの人間的部分に触れるようで、私にとっては心のオアシス的に感じられた時間でした。

 午後8時頃になると、協力会社さんに試作品を取りに行き、翌日の準備を始めます。翌日出勤した人がすぐに外出できるように、試作品と送り状を梱包します。そしてお届け先の住所から地図を付け、行き方などのコメントを添えます。さらにお届け先で近い箇所はまとめ、「〇〇方面便」とします。とはいえ9時過ぎから17時までに訪問を終えなければなりませんから、1人でこなせる量はせいぜい7件程度です。それを勘案してまとめますから、結構大変です。

大体午後10時頃に分配が終わり、監督社員を除いて帰途につきます。勤務時間は午前9時前から午後10時まで、昼の休憩時間は移動時間として私は考えており、食事はせずに「断食道場」としていました。

 いかがでしょうか?勤務時間は13時間、時給は当時の平均よりも100円ほど高い印象でしたから、当時の私にとっては楽しみを感じられる時間帯だったのです。
Posted at 2025/03/20 23:55:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | スペード社 | ビジネス/学習

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