
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ
異動先の部署は、はがきを仕分けているだけではありませんでした。仕分けたはがきを週に1回程度、依頼先企業にお返しに伺うのです。その日は仕分けをせずに、朝からアルバイト一同がそれぞれの企業へ向かいます。もうその頃には異動して行った人は私しかいません。指示された企業への行き先を考えていると、指導役の人が
「moto('91)さん、とにかく出発しましょう。」
と声をかけてきました。その部署の監督社員は、とにかくせっかちで、行先を検討することも許してくれないようです。会社を出る際に、指導役の人と色々話ができました。
私「この部署はフリーターの人が多いと聞いていましたが、指導役さんもフリーターなのですか?」
指導役「私は大学4年生ですよ。」
私「では、間もなく就職ですね。どちらの学校で、どちらに就職されたのですか?」
指導役「馬谷大学ですが、就職はできなかったんですよ。」
私「え?4月からどうするのですか?」
指導役「ここで働ける間はアルバイトをして、就職活動もします。」
私「それは大変ですね。大学院への進学や留年は考えなかったのですか?」
指導役「文科系なので大学院はありませんでした。留年は考えたのですが、単位は取れていました。学校に相談して学費は払うから留年させてほしい、と相談したのですが、単位を修得した者には留年は認められない、と言われました。」
私「そうでしたか。もし地方出身の方のようでしたら、実家に帰ることは考えていないのですか。」
指導役「実家は地方にありますが、だからと言って実家が農業や事業を営んでいるわけでもなく、ただ家があって両親がいるというだけです。生活費はかかりませんが、仕事もありません。」
私「それは、悪いことを聞いてしまいました。すみません。」
指導役「いえいえ、かまいませんよ。さあ、喫茶店によって行きましょう。」
私は、これまでつまらない部署の方だと考えて一切交流をしようと思いませんでしたが、不景気は男性文科系大学生まで到達していること、そこにいる人は血の通った人間であることを再確認しました。
それにしても、「朝からいきなり怠けるの?」と言う感覚に襲われました。聞いてみると、監督社員がうるさいので、会社の外でみんなでくつろいでいるのだとか。店内には、すでに出発したはずの他の方が多数いました。
そして、指導役の人はこう言ってきます。
「集配事業部の人は大学生が多くて、そのフロアに行くとおしゃべりをする声が聞こえてきて、甘ったれた部署だと思っていました。そのため、異動してきた人には厳しめに接していました。他の人は来なくなってしまいましたが、moto('91)さんは違います。1週間程度で仕事を把握するし、間違いはないし、私たちよりもずっと多くの仕事をこなす上、改善提案までしています。私たちは到底そんなことはできません。
moto('91)さんは3月いっぱいで辞めると聞いていますが、私たちはその後もここで働きます。仕事の速度が上がると残業ができなくなり、収入が減ってしまいます。それに、この部署に来て短期間で私たちよりも仕事が速くなったmoto('91)さんのような人がいるとなると、会社は私たちをクビにして新たに人を雇い直そうとするかもしれません。
moto('91)さんは、きっと他でも優秀に仕事をこなせるかもしれませんが、私たちはこれが精一杯です。それに、moto('91)さんも、適度に残業できた方がお金を稼げてよいのではないでしょうか。どうか、改善提案などせずに私たちのやり方に合わせて下さい。」
私は、悲しい気持ちになりました。誰もが日々改善の精神で仕事に臨めているとは限らないこと、ニュースで聞いていた就職からあぶれる人がいたということ、それらの人も収入を得て食べていかなければならないこと、などです。
この時は確か3月下旬に差し掛かり、私がアルバイトに来られるのもあと10日もありませんでした。その後は一時(実は恒久)解雇であり、この人たちにも今後会わないでしょうし、生活を脅かす権利もありません。会社は余分に人件費がかかりますがね。私は快諾し、以後はおとなしく言われたことだけをすることにしました。するとその場にいた人たちはホッとした表情になり、お届け業務に散っていくのでした。
おそらく、はがき事業部の仕事はその年の夏頃まで続く種類のものだと想像しました。私の勤務期間中でも、「急遽、内定が決まったので今日で辞めます。」という大学4年生の人がちらほらいました。景気悪化は予想以上に深刻だったのですね。そして、後年「就職氷河期世代」と報じられる人の中には、指導役さんのような方も含まれることになります。
皆さんは、この件をどう考えるでしょうか。
Posted at 2025/04/11 21:19:13 | |
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