
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ
この職場の業務量は、まったく自由でした。前日に配布や回収案件の封書入れや地図の作成、近隣案件2から3件まとめ業務が完了しており、当日は「誰がどこの配布/回収先に行くか」を申し出るだけだったと思います。
その申請時に、
「2件?ちょっと働かなさすぎじゃない?」
や
「9件!?時間内に終えられる?」
などと、件数を数えられたりチェックされたりすることはなく、もしかしたら申し出る必要もなかったかもしれません。その代わり、案件1件を対応したら、その都度出先から電話をして、
「次、〇〇に行きます」
と、本部に確認をしてから次の業務に移っていました。まれに、「〇△に緊急対応してほしいので、向かってください。」と指示を受けることがあったと思いますが、私がそのようなことに出会ったかどうかは、覚えておりません。そのため、2件だけ取って外出をして定時まで戻らなくても、誰も何もわからないのです。
1シーズン目の私が着任2日目だった2月3日のこと、天気は良かったのですが、ブーブー文句を言った鉄腕女子大のそばつゆさんはいるようですし、ホウセンカ大学の竜次さんからは
「辞めちゃったかと思ったよ」
と言われましたので、私の気分は最悪でした。
1日目は誰かに付いて行ったのと、1件だけ回収に行っただけでしたが、この日はもう一人で業務でした。定時になるとみんな案件に群がっていましたが、たぶんいくつかの山は余るような状況だったと思います。余ったものは、一体どうしていたのでしょうかね?中には昼間時に一回帰社する人もいたかもしれませんので、午後に誰かが回収に向かったのかもしれません。
私は気分が悪くなりそうな詰め所にはなるべく居たくなかったために、3山(7~9件程度)を持っていったような気がします。その山を取るときにも、「そことここ、近いですよ。」と、他の人に言いたくなる気持ちを抑えておりました。
例えば、東京の日本橋一丁目と二丁目の件が組み合わされていて、隣には京橋一丁目と三丁目の件が組み合わされていて、さらにその隣に銀座一丁目と四丁目の案件があったとしたら、日本橋の件と京橋の件を取って取るのをやめるのではなく、全部取りますよね??さらに内幸町一丁目の17時時間指定案件があったら、「ああ、それなら最後のまとめに行ってこようか?という気分になりませんか?私はそのようにどんどん取っていったので、最低7件どころかやはり最低9件にはなっていたと思います。
そんなこんなで、早春の東京をおさんぽ気分であちこち練り歩き、日が落ちて気温が下がった頃に社に戻る、というルートが私の中に描けて、請負労働者のような自由な気持ちになっていたと思います。もちろん、回収や配布が終了したら社に電話をしましたよ。なお、1シーズン目は他の人とコミュニケーションを取りませんでしたので、他の人がどうしていたかはわかりません。
そんな楽しいおさんぽを済ませ、18時頃に帰社しました。椅子に座りきれないほどいたアルバイト要員は、この時間になるとちらほらしかいませんでした。私は心地よい足の疲れを癒すために、椅子に座ってくつろぎます。すると職長が驚いた顔をして寄ってきたので、私は
「回収した案件の品物は、職長にお渡しすればよいですか?」
と聞き、渡します。
「大丈夫だった?どこに行っちゃったのかと、皆で心配していたんだよ。こんなに仕事をして。これ、誰かにこれだけやれって言われたの?」
と聞いてきましたので、私は、
「回収のたびに電話はしましたよ。それに、自分の意思で案件を選んで行ってきたのですよ。」
と答えました。
職長は、まるで私を10歳未満の子供がお使いに行った後のように頭をなで、
「がんばったね」
と言ってきます。こういうのは、なんだか嫌でしたね。私はこの頃、成人こそしていない年齢でしたが、SM社では普通に接客をしていましたからね。
しかし、こういうことを職長から言われるということは、9件は他の人と比較してかなり多い件数、ということですよね。おそらく他の人は、4~5件/日程度の対応だったのではないか、と思います。しかし、案件ごとに地図はあるし、電柱には住居表示はあるし、所々に案内地図はあるし、冬季だからどんなに歩いても汗はかかないし、で、9件位はすぐにできると思うのだけどなあ?
よく、「うちはチームワークだから、誰がどれだけやったかは関係ない。皆を信じている。」と言っている職場があります。しかし、それは単に無管理状態というだけで、必ず不正をする人が現れています。やはり「出来高制」の論理を入れることが、「働かないおじさん」や「チームワークと言って、自身はいつも助けられる側に回るだけの人」の抑制につながるのだ、と思っています。
Posted at 2025/08/11 00:13:58 | |
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