
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ
4年生の早期勤務終了と3年生以下の選別及び異動が決まりましたが、確か実施まで数日空いていたように思います。異動が指示された人の中には、監督社員さんに、
「異動でなく、辞めても良いですか?」
と聞いた人もいましたが、
「辞めても良いよ。」
と答えていました。結局、異動を指示された人はクビということですよね。そんな風に扱われたら、いったい誰がやる気を出したりまじめに仕事をするでしょうか。学年問わず、即日来なくなる人もいましたよ。一方で仕事は細々とあり、社内事務なら男女がおしゃべりしながら楽しくのんびり仕事をしたり、仕事をさっさと終えておしゃべりをするような風景も見られました。ゾウさん大学の日野さんという人は
パターゴルフセットを持ってきていたという部長に、
「お前の口を動かさせるために雇っているんじゃないんだ!」
と怒鳴りつけられたそうです。日野さんは、
「怒鳴りつけられてももう辞める時期は決まっているので、気にもしないさ。」
と言っていました。
さらに競馬新聞やタウン誌を詰め所で読む人がいたり、仕事の突発便があっても「昼食休憩」として勝手に2時間も休んだりするなどです。
私は私で、それまで全く話したことがなかった不実行女子大学の猿島さんという方と共同で仕事をし、さらにたくさんおしゃべりも出来て楽しい時間を過ごせましたよ。私も気づかないうちに荒んでいったのだと思います。
他にも、コーヒー大学の太山さんは私に、
「好きなカップ焼きそばは何?」
などと話しかけてきて、後の焼きそば好きを開眼させる談義をした記憶もあります。
職長はこの状況についてどう思っているのか、おしゃべりの場か何かで語っていました。職長は常勤アルバイト契約でしたが、監督社員さんから正社員か契約社員にならないかと声を掛けられていたそうです。監督社員さんは、
熱い食べ物を「ママに食べてもらえ」と私に言ったのと同様に、言葉の節々に刺や嫌味があるので、絶対社員になりたくないと言っていました。
そんなことを話していると監督社員さんが来て突発便仕事を依頼してきました。その行先について職長が中心となり、ゆで太郎さん、私で行き方を談義していたら、
「〇〇(一昨年に卒業して退職した人)がいればよかったな。それならすぐに出発していたのに。」
と言ったのです。「いない人がいればよかった」、というのは何とも侮辱的なことです。私もそんな談義するほどの行き先ではないと思っていたのですが、職長にとってはそのような嫌味が続く毎日は耐えられないとのことでした。
また、後のトラブルにつながる種を、私がこの時期に撒いてしまいました。勤務期間が1年になり、仕事の進行や問題もわかってきたので、
「新しい人が来たら、みんなに紹介したり教えたりすれば辞めないのでは?」
「毎日開始時に朝礼をして、その日の状況を皆に伝えたら?」
「日々のスケジュール管理や勤務者数管理をしたら?」
と提言をしました。すると職長は
「moto('91)君は、年長者の言うことを「ハイ!ハイ!」と聞いているだけで良いから。」
と、私を煙たがるようになっていきました。
長年勤務をしていた4年生の中では、楽しい思い出があったこの職場が、不景気というあらがえない原因だったとしても急速に荒んだことを悲しみ、早期に来なくなった人もいたほどです。
本来、アルバイトと言えど職場では職務に専念しなければならないのですが、荒み方は相当なものでした。今思えば、私も早く辞めて別のアルバイトに専念すればよかったと思っています。
そのように、職場は荒み、人間関係も個人におしゃべりは出来たとしても、全体としては良くない状況になっていったのです。
Posted at 2025/04/05 23:13:20 | |
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