2026年07月05日
昨日は年老いた母とこちらでは唯一の百貨店、「山形屋」に行った。
鹿児島の地元の百貨店なのになぜ「山形」なのか。それは歴史を紐解くとわかる。
ウィキによれば
山形屋の創業者は、近江商人の血を受け継ぐ山形県庄内地方で生まれ育ち、山形から上方にベニバナや呉服の行商をしていた北前船商人の源衛門。源衛門がベニバナの行商を始めたのは1751年(宝暦元年)。その後、呉服も扱うようになった源衛門は、薩摩藩主である島津重豪が、商業振興のため日本各地から商人を招いていることを知り、一家を挙げて薩摩藩への移住を決意。1772年(安永元年)、薩摩藩主の許可を得て今の鹿児島市金生町に鹿児島城下唯一の呉服店である山形屋を創業。呉服と古着の販売で礎を築く。
とある。
また、山形屋のロゴである丸に岩は百貨店として岩元信兵衛が基礎を作ったことから、この岩元家の岩が由来である。
しかし、御存じの通り、鹿児島市において、イオンショッピングモールの進出や鹿児島中央駅にアミュプラザができたこと、またコロナ禍には、長期休業、営業時間の短縮、催事の中止を余儀なくされ、外出自粛も長引いた影響で来店客数と売上高も大幅に減り、赤字額が膨らみ、ついに山形屋は事業再生ADRを申請し鹿児島銀行の支援を受け経営再建に乗り出すこととなった。
しかし、地元の高齢の世代を中心に「山形屋」はプレミアムブランドであり、この山形屋に行くことは、お洒落をしていくところである。また、贈答品を山形屋の袋に入れて、お世話になった方に渡すと喜ばれることもある。
さて、昨日は、年に数回開催される「黄札市」だった。季節の変わり目にある「在庫一掃セール」がこの黄札市である。母は、この山形屋の黄札市があると知ると、じっとしていることができない。一昨日も、朝職場についたとたんに、母から電話で「あしたぁさぁ、黄札市があるのよ。連れて行ってよ」と言われた。
しかし、山形屋の現在のネックは駐車場の問題である。立体駐車場は旧式化してしまい、閉鎖。さらにはもともとの駐車場も昭和の設計のため、3ナンバーにはかなり狭い。そのため、嫁に依頼をして途中まで乗せてもらい、母を連れていくことになった。母も年齢が80代になり、足がおぼつかないため、10数分歩くと休憩をしてしまう。そのため、信号のある交差点を渡ることはまず、困難である。そのため、山形屋に近いところで降車した。
そして山形屋では、車椅子で移動することに。
今週末はこちらの「おぎおんさぁ」という祭りが夜からあるということで観光客も含めてかなりの人手があった。
目指すは6階で、ここではよくイベントが開かれている。今回もごった返していて多くの人がいた。あちこチの有名な食べ物の販売コーナーでは行列ができていた。車椅子で移動するにはなかなか難しいほどで、時折店員さんに客の流れを止めてもらうほどだった。
母のお目当てはブラウスなどの衣料と地下街の食べ物である。店員さんといろいろ探すこと30分。
6階で目ざとく自分にお気に入りの服を見つけると地下街へ。
地下街も有名どころの洋菓子はもとより和菓子の老舗の店舗やお惣菜が活気があった。こちらも行列があちこちにできていた。佃煮やちょっとしたお菓子を購入したあとは、定番の「金生まんじゅう」の列に。昔から母に連れられてここに来るとこのまんじゅうを作る機械がガラス越しに見えて、何十分でも待つことができたものだ。
今回は嫁方の親戚に配るものをいくつか購入。そして母も満足したか帰りたいというので1階へ。
1階は高級ブランドのバッグ、宝石、時計が並ぶ店舗がある。冷静に見ていると何となく歩いている人もおしゃれである。中年男性、初老の男性もカジュアルスーツに革靴という人もいればカンカン帽のような帽子をおしゃれに着こなしている男性もいた。また、女性もイヤリングや光り物が目立った人もいた。また、ホットパンツを穿き、サングラスをかけて歩く若い女性の姿もあった。
今持って山形屋に行くのはこちらでは特別なのだ。しかし、なぜ山形屋が気軽に行けなくなったか、今回その理由が少し見えてきた。もともと山形屋がここで隆盛を迎えたのは、交通の要衝だったからだ。鹿児島市の市電の停留所の前であり、鹿児島交通のバスターミナルがあり、そして鹿児島駅に近く、桜島フェリーの港にも移動できる距離だった。
しかし、今や交通機関の主流は自家用車になり、駐車場も設置したが、ハイルーフ軽やSUVにはついて行けなかった。さらには広大な駐車場を持つショッピングモールと比較すると確かに劣る。また、店内の移動も建物が旧式化したことで少々手狭である。
ただ、ショッピングモールやアミュにないのは働く人々のサービスである。困っている人を逃さない。あちらこちらに立っている店員さんの動きは早い。それだけに年齢の高い客には安心感があるのだろうと思う。
日本では既に百貨店というコンセプトは終焉と言われる。あらゆる県で閉店していく百貨店が報じられる。
山形屋が再生していくにはかなり困難な道程のように思える。しかし、働いている人々は地元唯一の百貨店として踏ん張っていると感じた。今持って山形屋の◯◯物産展ではかなりの収益があるという。コロナ禍以前はイベントがあると周辺の道路は混雑するほどであった。もう、山形屋でなければ手に入らないというのは金生まんじゅうぐらいしかない。
山形屋に行けば、夢が見られるようなことや楽しいイベントがあればきっと人が戻ってくるのではないか。近くに駐車場を確保したり、思い切った店舗の改装を行ったりすれば、また、あのときの活気が出てくるかもしれない。
Posted at 2026/07/05 19:22:29 | |
トラックバック(0) |
雑感 | 日記
2026年06月27日
先日、朝の通勤時間でのことだ。
自宅を出てすぐ、信号待ちをしていると、後方からそれなりの速度で初代ヴェゼルが走ってきた。
信号が青になり、いつものように走り始める。前方200m先にある次の信号も今は青だ。しかし、この信号は「青だ」と思って走っていると直前で黄色から赤に変わることが多く、よっぽどタイミングが良くない限り連続で青にはならない。
そのため、速すぎず遅すぎず、タイミングを計って時速40〜50kmほどで安全に走行していた。
すると突然、後ろのヴェゼルがライトをオンにした。
「?」と思っていると、なんとハイビームだ。
こちらの速度は遅すぎるわけでもなく、文句を言われる筋合いはない。最初は操作ミスかとも思ったが、えらく長く照射してくる。後ろにピタッとつかれてトラブルになるのも嫌なので、道路脇に車を寄せて停車し、先に行かせてやり過ごすことにした。
ヴェゼルは速度を落とすことなく前方へ進んでいった。しかし、私の予想通り、先の信号は赤に変わった。
しばらくしてこちらの信号も青になり、あのヴェゼルがフル加速していくのが見えた。
最初は私も「この野郎!」と少し頭に血が上り、ほんの0.何秒かはアクセルを踏み込んだが、「いやいや、この先の信号もまた赤になるな…」と冷静さを取り戻した。
案の定、その次の信号も赤。
ヴェゼルは当然、先頭で停止して待っていた。私が追いつく頃にちょうど青信号に変わったため、私は停止することなく、そのままスムーズに加速。また煽られたり変な誤解をされたりしないよう、十分な車間距離を保ちながら走行した。
下り坂に入り、ヴェゼルとの車間はだんだんと開いていったが、やがてヴェゼルの速度が落ちてきた。見ると、前方にのんびりと走行する現行ステップワゴンがいたのだ。当然、ヴェゼルも速度を落とさざるを得なくなった。そして次の信号が見えてきた頃、そのヴェゼルは信号が赤になるのを見るやいなや、脇道へ左折していった。
さて、それから数日後のこと。
大きな片側2車線の主要道路での出来事だ。私は法定速度ほどで走行していた。前方にはかなりの車間が空いており、後方も遥か遠くに車が見える程度だった。
私は目的地に向かうため、そろそろ左折専用車線に入ろうとしていた。そのタイミングで、後方から青い旧型のN-WGNが猛スピードでやってきた。私はそのN-WGNが直進するものだと思っていたら、私と同じように左折専用車線に入ってくるではないか。
「いや、これはかなりやばい。せっつかれそうだ」と感じた私は、追突などの危険を避けるため、伝家の宝刀?MT車の技術(ブリッピングとダブルクラッチ)を使ってスムーズにシフトダウン。あらかじめ安全な車間距離をしっかりと確保することにした。
幸いにも信号はまだ青、歩行者専用信号も赤だったので歩行者はいなかった。予定通り4速→3速→2速へと落としてスムーズに左折をクリアし、そのまま加速。直進に入ってから後方をちらっと確認すると、そこへようやく左折してくるN-WGNの姿が見えた。ひょっとするとこのN-WGNは信号が赤なのに左折したかもしれない。
その先の交差点でも、私は左折をするために再び左折専用車線に入り、赤信号で停止した。すると、後方からやってきたあのN-WGNが、今度は私の右隣の直進用車線に停止した。
やがて信号が青になり、私がステアリングを左に切ろうとしたその瞬間、右側にいたN-WGNがこちらの車線へと寄ってくるではないか……!
停止していた時よりも明らかに距離が近く感じられ、「これは嫌がらせではないか…」そんな気がしてならなかった。
自分自身、他人にそんな嫌がらせをするようなドライバーにはなりたくないものだと、しみじみ思った出来事だった。
Posted at 2026/06/27 20:56:03 | |
トラックバック(0) |
モラル | クルマ