1月30日、ついにマツダは創立100周年を迎えた。他のメーカーを見ても会社としての創業は古い方で、ダイハツ、いすゞに次ぐ長い歴史を持つ。
他のメーカーもそうだが、1930年代から自動車市場に参入して現在を迎えているのはご存知の通り。
どの企業も危機的な状況を乗り越えて今の位置があるのだが、やはりマツダは危機的な状況を乗り越えたときに大きな財産を見出しているのが、興味深い。
ロータリー、BDファミリア、ロードスター、ルマンの優勝、初代デミオ、SKYACTIV…。
マツダが苦しいときに見出した技術や車がマツダを救ったのではないか。
ロータリーエンジンは、当時の通産省の自動車業界の再編でマツダが他のメーカーに吸収合併から逃れるために取り入れた技術である。
これが結果的に後々の石油ショックでマツダを危機的状況を陥らせる要因にもなったわけだし、またマツダのブランドイメージを向上させた要因でもある。
それが、ルマン24時間レース優勝である。燃費の悪さを払拭するべく挑戦し続けたことが欧州市場を中心にマツダのファンが増えたのではないか。

また、1970年代後半から経営に行き詰まった頃にBDファミリアがヒット。流行を作ったことは言うまでもない。

またバブル期に販売網を5チャンネルに増やしていたころ、社内では冷ややかな視線の中スタートした企画に少人数で開発がスタートしたのがロードスターだ。(「名車を創った男たち」より)

初代デミオは5チャンネルの失敗「クロノスの悲劇」によって経営危機に陥ったときにヒットした車であることは言うまでもない。ブームに乗ったといえばそれまでだが、開発に当たってはあの小早川隆治氏が関わったという。ほぼ同じタイミングでデビューしたダイハツパイザーはデミオの後塵を拝したことは言うまでもない。
また、マツダはフォードの世界戦略に組み入れられ、マツダのエンジンやプラットフォームがフォード車に導入されたことは、結果的マツダの車作りが変わり、後のアテンザの登場と、「ZOOM-ZOOM」というキャッチフレーズに繋がった。

さらにリーマンショックの影響でフォードの経営不振から筆頭株主から降りた頃、再び経営困難に陥ったときに現在の基本的な技術のおおもとになったSKYACTIVが発表され、ハイブリッドしか実現できないといわれた低燃費技術を市販車で実現させた。

このようにマツダが危機的状況に陥るとそれを挽回するようなことが起きて、マツダを救ってきている。もちろん、何人もの人が余儀なく配置転換やリストラされてきていることは間違いない。多くの犠牲を払いながら、マツダが存続しているのはきっと広島という町があったからではないだろうか。世界に展開する企業ではあっても広島にある関連企業をはじめ、多くの人々が支えたことが100周年を迎える大きな要素になったと思う。
2011年、あの13度目の挑戦で勝ち得たルマン24時間レースの優勝は20年後、ル・マン主催者側より招聘され、レース開始前のル・マンのコースで、787Bのデモ走行が行われた。マツダファンにとって喜ばしいことだった。改めてマツダを認知する格好のイベントだったと思う。
ロードスターは世界で大ヒットをして2000年には生産累計53万1,890台を達成し、「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネスブックの認定を受けた。そして2016年4月22日にはついに生産累計台数100万台を達成した。昨年は30周年記念イベントも行われた。
2020年、自動車業界はCASEやMasSといった大きな変革を迎える。しかし、面白いのは危機的状況を乗り越えるため、取り入れたロータリーがここではマツダの財産としてレンジエクステンダーやシリーズハイブリッドなどxEV化として応用される。

苦しいときに諦めずに取り組んだ人々の情熱や思いが多くのマツダファンを作り、マツダを支え続けた。それがマツダの100年だったのではないか?
世界的なオイルショックや経済危機から社長もフォードや銀行から受け入れたながらも数奇な運命をたどったメーカーであることもマツダを応援したくなる所以である。
「マツダ最強論」の執筆者の迫 勝則氏はその中で「愚直と独創であることがマツダの美学の核」であるという。自動車雑誌ではよくマツダは真面目過ぎる、アピールに欠けるという評価をよく見かける。また、マツダは他のメーカーとは違った方法でゴールを目指そうとする。自身のコマーシャル動画でも「変り者」と評していた。だからこそ、危ういところもあるのだが、ファンを引き付ける魅力でもあると思う。
マツダ創立100周年おめでとう…。
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2020/02/02 23:00:56