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2025年04月29日 イイね!

セダンといえば…その52  トヨタカリーナ いつも新しい2人に ときめきのカリーナ

セダンといえば…その52  トヨタカリーナ いつも新しい2人に ときめきのカリーナセダンといえば…今回は80年代後半に販売されたトヨタカリーナである。それまで「足のいい奴」というキャッチフレーズがあったが、この代では「いつもあたらしいふたりに。ときめきのカリーナ」に変わったのである。

そしてこのころ、姉妹車となるコロナやカローラ、スプリンターなど1.5ℓの排気量を設定してどの販売店でも一番販売台数を稼げる車種をそろえ、トヨタのセダンの全盛期を確立させたモデルの一つでもある。
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それだけに、それまでのスポーツ系は影を潜め、ファミリーカーセダンとして販売を拡大させたようである。CMでも20代から40代の前半の結婚している世帯にターゲットを絞ったようなモデル/タレントを起用していた。デビュー直後は、CM女王として知名度が上がった松本孝美をは起用、後期からは山口智子・冨家規政を起用している。




エクステリアはセダンの王道ともいうべきスクエアな3ボックスの6ライトキャビン。コロナやカローラとは違うのは異形ヘッドライトの形状であろうか。奇をてらったともいえる、オーソドックスな車に見えた。高級感を醸し出すグリルやモールを多用せず、かといって安っぽいデザインでもなく万人が受け入れることのできるデザインだったと思う。
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インテリアは以前のスポーツモデルを彷彿させるような3本スポークのステアリングにメータークラスターやインパネがドライバー側にスラントされていた。
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エンジンは1.5ℓ、1.6ℓ、1.8ℓと2.0ℓのディーゼルでカローラ/スプリンターよりも広範囲に設定をしていた。そのため、このモデルを巷でも通勤時間になるとかなり多く見ることができた。カローラのような大衆車でもなく、コロナよりも年配のイメージも少ないところが受け入れられたのでないだろうか。ちなみに先代モデルの販売台数(約39万3526台)を超える45万3103台を販売した。
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↑6代目カリーナ T190系
しかし、この販売の拡大はキープコンセプトと思える後継の6代目モデル同様にカリーナの個性を薄めたと思える。「足のいい奴」というキャッチフレーズは3代目までセリカとシャシを共用していたからで、FFモデルとなった4代目以降はコロナと共用したあとはのちの「アリオン」までオードックスなセダンの代表されるようになったことが、新規の購入者を引き寄せることができなくなったのではないだろうか。
トヨタにとって販売店ごとに販売台数を稼げる車を設定したことは、大きな力となったと思うが、カリーナ自身の個性が不明瞭になったのではないだろうか…。
Posted at 2025/04/29 13:44:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | セダン | クルマ
2025年04月13日 イイね!

セダンといえば… 番外編  日本車キラー クライスラーネオン 

セダンといえば… 番外編  日本車キラー クライスラーネオン セダンとは言えば…今回は1996年に「日本車キラー」として日本市場に投入された意欲作、クライスラーネオンである。
ネオンは、本来クライスラーが生産し、「ダッジ」と「プリムス」という二つのブランドで販売されていたセダンである。
エンジンは1.8ℓと2.0ℓとが用意された。当時の北米市場を席巻していた日本製や韓国製の小型車に対抗して企画された。そのため、かなりのコストダウンをして足回りやトランクルーム内側の塗装を省略したり、方向指示器やワイパーのレバーは中抜き式、後席のパワーウィンドウも設定がないなど、極端なコストダウンが行われていたようだ。5MTと3ATというミッションは当時4ATのオートマが普及してきた日本では少々残念な装備である。国内では1996年6月から12月の間に日本で販売されたのは994台にとどまった。なぜ日本ではヒットしなかったのか…。
このネオンが対抗していた当時のライバルは、トヨタカローラ
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ニッサンサニー

ホンダシビック

といった当時の日本車が、北米での市場で席巻しており、そのためコスト削減をして日本市場に乗り込んだのだが、当時バブル期に入った日本では高級感を求められており、特にトヨタカローラはかなりコストがかかった車であったし、ニッサンサニーも先代トラッドサニーから高級感をうたったものであった。
また、車幅が1714㎜で3ナンバーになったことがその原因の一つでもある。これにより、ライバルより大きな「通常サイズの乗用車」税率区分に分類されたこともその原因である。そうなるとネオンの装備面でも見劣りするわけで日本市場では撤退せざるを得なかったのである。
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ただ北米では、ネオンはこのクラスで唯一の利益を上げることができたアメリカ車だったようだ。セダンのSOHCとクーペのDOHCの両方で利用可能だったACRというグレードは、クラスで最も競争力のあるものの1つであり、4輪ディスクブレーキ、アービンまたはコニの調整可能なダンパー、太いアンチロールバー、高速レシオステアリング、ヘビーデューティフロントホイールハブ、および数値的に高い5速ギアボックスとファイナルドライブレシオを備えた5速マニュアルトランスミッションを備えていた。車として面白いところもあってRTといわれるスポーティーなクーペもありセダンも含め、本国では、3代目まで販売されていたようである。
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その後、トヨタキャバリエ、トヨタ・ヴォルツとアメリカ車をトヨタが販売したこともあったが、いずれも失敗している。その理由を考えると一つにアメリカで開発されたものをそのまま販売していたことや、日本市場と北米市場の違いを研究することをせず、価格面だけで対策をたてたこと、輸入車に求められる高級感などよりも販売台数だけでを重視したと思われるような施策をしたことが要因でないかと思う。
今や日本市場ではアメリカ車に対する関税は自由化によってかからなくなっているという。しかし、現アメリカ大統領のドナルド=トランプは、日本市場は閉鎖的だとして追加関税を25%を設定したが、果たしてアメリカの自動車メーカーは今後その失敗を生かしてくるのだろうか…。
Posted at 2025/04/13 11:53:40 | コメント(3) | トラックバック(0) | セダン | クルマ
2025年03月09日 イイね!

セダンといえば…その51 特別編 MAZDA6/アテンザ

セダンといえば…その51 特別編 MAZDA6/アテンザセダンといえば…今回は国内生産を終えるMAZDA6/アテンザである。今年、春マツダのセダンとフラッグシップとしての役割を終えて生産を終了することはご存じのとおりである。
90年代「クロノスの悲劇」といわれたバブル崩壊と販売力を見誤ったMAZDAが急場しのぎに9か月で開発した6代目カペラ、そして3ナンバーボディを纏い、質感のアップと熟成をさせた7代目カペラからバトンを託されたのがアテンザであった。
当時のマツダは個性を打ち出すために走りを中心に添えたことからRX-7、ロードスターに続く3代目のスポーツカーとして5ドアのアテンザスポーツをイメージモデルに据えた。デビュー前にはマツダがサーキットを借り切ってアテンザとBMW3シリーズ、メルセデスベンツのCクラスともプレスを呼び試乗会も行ったこともある。
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そして満を持してアテンザのデビュー。2002年には世界で20の賞、翌年は50の賞を受賞した。
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その中でセダンは地味な存在となり、当時のRVブームも相まって販売は5ドアスポーツとステーションワゴンを中心に据えられた。また、販売促進のために「TAXI」の映画監督リュック・ベッソンを招き、「RUSH」というショートフィルムを制作している。
またこれをさらに自虐ネタとして映画監督の井筒和幸氏を起用したCMもあった。
その中でセダン23Eをベースに、スポーツ23Sに準じたエアロパーツを装備した特別限定車「23E S-Limited」(限定500台)を発売。なお、内装はブラックのモノトーンインテリアとし、既存のスポーツ23Sとの差別化を計っている。
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 そして、フェイスリフトと同時に怪物、いや、じゃじゃ馬、MAZDASPEEDアテンザを発売。その心臓には272PS(200kW)/5,500rpm、38.7kgf·m(380Nm)/3,000rpmを埋め込みAWDとしてデビューを飾った。
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そして2代目アテンザにバトンタッチ。販売の中心たるエンジンが2.0ℓから2.5ℓになったことで北米市場では国内より大柄なボディになった(国内ではナローサイズで初代とほぼ同等)。
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デビュー時は、発売1か月で月間販売計画(3つのボディタイプ合わせて1500台)の3倍に当たる4,500台に達したが、新車効果が消えたことから、スポーツよりセダンとステーションワゴンに中心に据えエンジンも2.0ℓを中心に据え、装備を充実させて販売をしたが、やはり初代ほどの注目は浴びることはなかった。
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その後、フォード傘下からの離脱、またリーマンショックからくる不況から瀕死の状態になったマツダは、SKYACTIV TECHNOLOGYを投入することを決断。そしてそのイメージコンセプトモデルとして「マツダ 靭(しなり)」を発表。
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第1弾はCX-5であったが、次期アテンザのコンセプトカー「雄(たけり)」を発表。
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そしてデビューしたのが3代目アテンザであった。そしてスポーツは消滅させ、セダンとステーションワゴンの2モデルに絞った。
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そしてこのモデルではセダンを中心に据え、「セダンが退屈だなんて誰が言った?」というキャッチコピーを打ち出し、そのエクステリアとクリーンディーゼルエンジンの良さを訴えた。セダンを中心に据えたのは、ロシアと中国でのセダンの販売が伸びていたこともその理由の一つだという。また「ソウルレッドプレミアムメタリック」というMAZDAでしかできない赤をアテンザに採用し投入。このことでマツダの赤は多方面に影響を与えた。これによって他メーカーでも赤色を採用した車が増えたのは言うまでもない。
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しかし、時代はSUVブームとなり、アテンザよりもCX‐5のほうが販売の主力になっていく。基本のプラットホームを同じにするCX-5とアテンザは装備の共通化を図りながら、セダンとしてのフラッグシップの役目を負うようになる。
ちなみにこのCMは他メーカーのプレミアムセダンと比較するようなものになっていると思うのだがどうだろう?

数度のフェイスリフトやエンジンの改良ををしながら、2019年名称もMAZDA6に変更された3代目はついに初代アテンザから2022年には、20年を迎えるに至った。
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このアテンザの3代のモデルが一番ヒットしたのは中国市場である。2003年に中国で発売を開始した初代のマツダ6(アテンザ)は、現地中国でカー・オブ・ザイヤーを獲得するなど、高い信頼を得ることに成功。マツダ6(アテンザ)の「馬6」という中国での通称は、「マツダ」のブランド名よりも知名度が高いほどだという。2013年度でもマツダ6は9万4000台を販売した。そこで、マツダは3代目導入に対して、むやみに旧型を廃止することはせずに、併売というスタイルを取った。そのため、3代目を導入したマツダ6においては、初代マツダ6、第2世代『マツダ6ルイイー』、第3世代『マツダ6アテンザ』という3世代併売を実施した。
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今では国内ではあまり話題にならなくなったかもしれないが、MAZDA6/アテンザは世界の自動車業界に大きな影響を与えたモデルだったといえないだろうか?
Posted at 2025/03/09 19:48:36 | コメント(4) | トラックバック(0) | セダン | クルマ
2025年03月02日 イイね!

セダンといえば…その50 トヨタコロナ サブネームのないコロナの最終モデル

セダンといえば…その50 トヨタコロナ サブネームのないコロナの最終モデルセダンといえば…、今回はトヨタコロナである。現在は、コロナというと感染症のほうが知名度が高いが、トヨタコロナは、日産のブルーバードと「BC戦争」という販売台数を争ったこともある。

今回はサブネームが付かないコロナとしては最終モデルである。ちょうどこの時代RVブームが訪れ、セダンの売れ行きが落ち始め、この10代目のモデルの後はプレミオというサブネームがつけられ、そのあとはコロナのネーミングは消滅したことはご存じの通りである。
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T19系コロナは欧州での生産を念頭に開発をされ、欧州基準を踏まえ、パッケージングや空力特性を考慮したモデルである。この辺りは日産の初代プリメーラと共通するところがある。それだけ日本市場が、アメリカ車から欧州車に移行したことも言える。したがってスタイリングは先代の9代目の直線基調から、丸みを帯びたエクステリアになった。欧州では「カリーナE」と名称を変え、セダン、5ドアハッチバック、ステーションワゴンとモデルをそろえた。
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そしてこのステーションワゴンは実は国内では「カルディナ」と名称を変えヒットした。歌手の佐野元春がカルディナと並走するCMを覚えている方も多いだろう。
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しかし、セダンはそこまで受けなかった。同じく真面目に設計をされ欧州基準で開発されたプリメーラと違って「親父セダン」と揶揄した人もいるという。それだけ時代はRVブームに移行していたのかも知れない。

またこのモデルは国内ではグレードに「GT]を置かなかったモデルでもある。GTを置いてもヒットしないことをトヨタの販売サイドは見切っていたのかもしれない。カルディナは次期モデルでは「GT」「GT-T」のグレードを設定する。
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国内ではあまり注目されなかったセダンであるが、セリカと同じ3S-GEを搭載し200km/h以上で余裕の巡航が可能であった。このように欧州ではもスポーツイメージの強いセダンとしてロングセラーとなった。そしてモータースポーツでは結果を残し、「BTCC」に参戦。
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BMWやプリメーラ達と戦い、93年は総合で上位を占めた。当時、WRCでセリカがカストロールカラーを纏い、チャンピオンシップを争っていたことも相まって、BTCCでも同様のカラーを纏って戦ったこともあった。また日本ではJTCCでチャンピオンカーとなっている。
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車としては非常によくできた車だったという。しかし、ブームに負けた悲運のセダンともいえる。
Posted at 2025/03/02 11:07:00 | コメント(2) | トラックバック(0) | セダン | クルマ
2025年02月01日 イイね!

セダンといえば…その49 長く乗りたい いすゞ アスカ(初代)

セダンといえば…その49 長く乗りたい いすゞ アスカ(初代)セダンといえば…今回は今では乗用車市場から撤退したいすゞが、1983年にGMとの提携により「グローバルカー(世界戦略車)構想」へ当初より参画して作られたJカーといわれたモデルのの一つであるいすゞアスカである。

いすゞフローリアンの後継車として1.5〜2.0Lクラスのオペル・アスコナC、ホールデン・カミーラ、キャデラック・シマロン、シボレー・キャバリエ、シボレー・モンザなどの姉妹車の一つとして投入された。
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左上からホールデンカミーラ 右上オペルアスコナ 左下シボレーモンザ 右下キャデラックシマロン

しかし、オペル、GM、いすゞの3社が個別で同時進行したため、足回りや一部の外装以外、部品の共通性は無いといわれる。
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さて、この車の知名度上げたのは、ディーゼルターボの高性能だと思う。ガソリンターボはインタークーラーは未装着なのに、なんとインタークーラーが装着されたターボディーゼルは、エンジン出力グロス150馬力(ネット値120馬力)を誇り、このクラスの車としては比較的軽量な1,000kg少々の車体とあいまってゼロヨン15.3秒を叩き出したという。これは当時の世界最速値であったそうだ。

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さらには「NAVi5」というセミオートマを搭載したり、>ハイパフォーマンスモデルとして、2リッターターボ車をベースにドイツのチューニングメーカー、イルムシャーが監修してサスペンションチューニングや内外装のドレスアップを施した、『アスカ イルムシャー』を投入したこともあった。
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さらに面白いのはこのイルムシャーの人気に乗じてアスカの中古車に特別仕様車として新たにパーツを組み替え、「カゲムシャー(影武者)」として販売したり、「ワカムシャー(若武者)」と命名して販売していたと言う。
余談だが、その当時のジェミニやピィアツッアにも同様のシリーズを設定し、ムシャー(武者)シリーズとして販売していたと言う。なんともシャレた販売方法である。
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 以後アスカはスバルのレガシイやホンダのアコードのOEMを受け入れ販売するようになった。今でこそ、海外メーカーとの提携関係が薄くなったことから海外のチューニングメーカーが国産車を監修することはなくなったが、またいつかそんなチューニング車が出てきて欲しいと思うのは私だけだろうか?
Posted at 2025/02/02 09:03:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | セダン | クルマ

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「ロシア怖いよ〜! "EU委員長の搭乗機に電波妨害 手動操縦で着陸、ロシアが関与か" https://l.smartnews.com/m-67y6tk0E/evWaGi
何シテル?   09/02 20:40
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