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2021年06月30日 イイね!

ルマン優勝30周年…あれから30年…

ルマン優勝30周年…あれから30年…先日、NHKのBSプレミアムで「プロジェクトX4Kリストア版「ロータリー47士の闘い 夢のエンジン開発」が放送された。今月はご存知の通りマツダがルマン24時間耐久レースで優勝してから30年になるのだ。


当時私は社会人として働き始めた年だった。そして当時はグループCカーは全盛期から衰退期に入り始めていたが、1990年に予選でニッサンR90CKがトップタイムでポールポジションを取り、いよいよ日産が次はと思っていた。私自身「90運動」によって開発されたフェアレディZ、スカイライン、ローレル、シルビア、ブルーバード、パルサー、サニー、マーチといった魅力的な新型が続々とデビューしていたことから、熱狂的な日産党であった。
 だから、正直言うと、マツダの優勝はそう嬉しいことではなかったが、当時の親友が熱狂的なマツダファンだったこともあって、テレビの放送をみながら親友に電話で祝福の言葉を伝えた思い出がある。

 しかし、この数週間後、「AUTOSPORT」でルマンの特集記事が掲載されて取材記事を見て、大きく私は感銘を受けた。
① マツダ本社が最初から関わっていたわけではなく、一ディーラー店(マツダオート東京)が中心となってルマン挑戦が始まっていること
② 優勝までの間、クラス優勝はあっても完走か、リタイヤの繰り返しで参加することに意義がある程度でしかなかったのが、マツダがルマンの挑戦し始めて20年、マツダスピードとして、13度目の挑戦で総合優勝であったこと。
③ ロータリーエンジンでの参加は1991年が最後の年であったこと。

この三つが当時仕事で行き詰まっていた私には大きな影響を与えた。リタイヤや完走のような目立たない結果であっても継続していたら大きな結果に繋がるのではないか…自分の支えになるようなことだった。
翌年「ル・マンへ熱き涙を」が放送され、マツダ社内でも当時の経営不振からレース参加に対する風当たりが強かったことを知る。当時はレースへの参加が喜ばしく思えていなかったのだ。

そして決定的だったのは2000年11月に「プロジェクトX」で2回にわたり、「ロータリー47士の戦い  夢のエンジン・廃墟からの誕生」「ル・マンを制覇せよ ロータリーエンジン・奇跡の逆転劇」として放送されたことだった。
特に、ルマンを制覇せよでの番組の終わりに、マツダ787Bのエンジンを寺田陽次郎氏が空ぶかしをする場面では何故か、涙が止まらなかった。
仕事のきつさとマツダの歩んだ歴史が何か自分の中で勝手にバッティングしたからだろう…ロータリーサウンドが私の心にとても響いた…。

ルマン24時間レースで最後にステアリングの握りながらも脱水症状で表彰台に上がれなかったジョニーハーバードがレストアされた787Bを20年ぶりに再びルマンを走行してからも10年が過ぎた。

1991年 ルマン優勝から2年後、バブル崩壊で経営不振になる。しかし、2001年10月、新ブランドメッセージの「Zoom-Zoom」を打ち出すとともに、新生マツダブランドを体現する商品の第一弾である中型セダンのアテンザと、ロータリーエンジンを搭載したスポーツカーのRX-8を公開する。
2008年 リーマンショックで再び経営悪化、ところが2011年にはSKYACTIV-Gをデミオに搭載して発売し、他社のハイブリッドカーと同等の燃費性能を実現する。しかし、この年ロータリーエンジン搭載のRX-8は2012年をもって生産中止をすることを発表。
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そして2017年ごろから自動車業界に大きな影響与えた内燃機関搭載の車の販売禁止が打ち出されたが、2021年の今年、ついにマツダもEV車やマイルドハイブリッド車、そしてロータリーを搭載したマルチ電動化技術が発表された。
この10年毎に生き残りをかけて息を吹き返すように動きがあるのは偶然なのだろうか?

マツダがそもそもロータリーエンジンを取り入れたのも、自動車業界の大編成が予想され、合併から逃れるために取り入れた技術だ。
大きな困難が押し寄せるたびに、それに抗って乗り越えてきたマツダ。多くの社員の方々のリストラや関連企業へ出向という大きな犠牲の上に今があるのだが、やはり度重なる困難から何度も何度も息を吹き返してくるこの会社は、決してあきらめてはいけないというメッセージを私たちに伝えているように思えるのだ。
また、山本健一氏の「飽くなき挑戦」という言葉にも通じる。
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また、寺田陽次郎氏がプロジェクトXの中での
「何回も何回も出て、人の土俵を借りて何回も何回もあのレースに苦労しながら出て 風が吹いたんですよね。」
という言葉も同じである。

だから、私はマツダが好きなのだ。この30年間、マツダがロータリーエンジンでルマン優勝したからこそ、今でも仕事の辛さに耐えてきたと言える。

プロジェクトXのエンディングテーマ「ヘッドライトテールライト」の歌詞に
行き先を照らすのはまだ咲かぬ見果てぬ夢 遥か後ろを照らすのはあどけない夢」というところがある。失敗して終わったことを振り返ってばかりいてはいけないというメッセージのようでこのルマン挑戦に似ているところがある。

ルマンから30年…あっという間の時間だった。でもルマンの優勝から学んだこと、またマツダから学んだことは今の私を支えてきてくれた。
ありがとう…マツダ。
Posted at 2021/06/30 23:04:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | ルマン24時間 | 日記
2020年06月13日 イイね!

6月と言えばルマン24時間レース

6月と言えばルマン24時間レース久しぶりに「autosports」誌を買った。名車とテクノロジーの50年史と題してルマン24時間レースの特集号だった。
大きく取り上げられたのは、1970~2020年までの8台のレースカーだ。
ポルシェ917K
ルノーアルピーヌA442B/443
ポルシェ956
ニッサンR90CK/90CP
メルセデスベンツCLR
アウディR10TDI
そして
トヨタTS0030 ハイブリッド
の8台。

私にはやはりグループC、そしてGT1クラスの頃が一番もりあがった。
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ポルシェ956はグループC隆盛期で自分がルマンに注目し始めた頃は、参加台数も多くて様々なカラーリングのプライベートチームもこぞってルマンや耐久レースで活躍していた。
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さらにその956のエボリューションモデルの962もまた活躍したことから長い期間、このスタイリングをみていた。

そしてグループCの中でマツダ787Bと並んで私の一押し
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ニッサンR90CKと
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R90CP。
ご存知のようにこの時ルマンでニッサンはルマン制覇をもくろんで日米欧のチームが参加。ポールポジションをとったのがR90CKで、後にこの時の1000PSの予選用エンジンを巡ってチーム内で紛争が起きてニッサンは最大のチャンスを失ったことは有名。

そしてメルセデスベンツCLR
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もともとCLK GT-1としてデビューしたときのスタイリングはかなりのかっこよさだった。
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でも改良されてCLRモデルはかなり低重心なスタイリングになった。そしてCLKより宙を舞ったCLRの方が知名度は高いのではないだろうか?
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あの時はレース序盤から他のレースカーと比較してもフロントがバタついているのが目立っていたと思う。素人の自分でさえ車が煮詰められていないと思っていたが、まさかあのような事故になるとは夢にも思わなかった。

そしてベンツCLKほどではないが、ニッサンR390も取り上げられている。デビューの時はその流麗なスタイリングが私の中でヒットしたモデルだ。
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後にこれが実は開発に協力したにトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)のジャガーXJR-15がベースと知って驚いた。
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一時期ルーフのないレースカーが主流を占めた時代があったが、やはり私にとってはルマンはルーフのあるレースカーこそルマンだという偏見がある。また、コストはかかるが、やはり名のあるワークスがメーカーの名をしょって本気になって競い合っているシーンはルマンならではだと思う。

WRCはそのドライバーのテクニックが光り、F1は速さの追求という感じがあるが、やはりルマンカーは耐久レースという性格上チームワークやメーカーの威信や誇り、さらに人生を物語るようなその自動車そのものの耐久性が見え隠れするところに魅力を感じる。
 またいつか、日本のメーカーがこぞって参加する時代になってほしいものである。(画像の出展は→ここ )  

Posted at 2020/06/14 08:12:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | ルマン24時間 | クルマ
2015年12月14日 イイね!

駄目だ 涙腺が緩む

駄目だ 涙腺が緩む年の瀬を迎えて缶コーヒーのCMで中島みゆきの歌が流れてくる。
このCMではトラックドライバーとそのトラックの情景が描かれていて
この曲にひっかけている。この時期に一番大変な職種の一つである。


このCM、味があっていつもより笑いがないのもこれはこれでとてもいい。
特にそれぞれの家族のシーンはぐっと来るところもある。
ただ…
サビの部分で、私が思い出すのは

寺田陽次郎さんが円形のウェイトをステアリングのように持って鍛えているシーン

そして山本健一氏(元マツダ代表取締役社長、ロータリーエンジン開発者)が愛車ルーチェ4ドアハードトップ・ロータリーターボに乗り込むシーン

40代~50代の方には思いだされた方もいるかもしれないが、これらは、「プロジェクトⅩ 第29回 ルマン制覇せよ」のエンディングである。
「飽くなき挑戦」か…くそっ、重いなあ…。
いかん・・・・・涙腺が緩み始めた… ビデオでちゃんと泣こう…。
Posted at 2015/12/14 23:32:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | ルマン24時間 | 日記
2010年06月05日 イイね!

またルマンが始まる

 この時期になるとどうしても気になるのがルマン24時間レース。
今でこそ、人気も下火になりましたが、以前はテレビ放送もありました。自分が熱心にテレビ観戦を始めたのは89年から。
 当時日産党だった私にとってR89Cと言う車はとても憧れの車でもありました。グループCカーの中でも、流麗なデザインは大変魅力的でした。
 この車で当時F-1WRC、並んで3大世界選手権の一つになっていたWSPCに日産がデビュー。しかし、ルマンではトップ争いはするも3台ともリタイヤ。
 そして、日産は翌年米・欧・日からそれぞれにチームを編成。ルマン必勝体制へ望んだにもかかわらず、ポールポジションを獲得するも日本チームの5位が最高位。
 そして、翌年の91年、マツダ787Bが総合優勝。日産のグループCの比べコンパクトな787Bはライバルのベンツやジャガーが自滅していく中でロータリーエンジン出場が最後と言われた年に優勝。
この優勝から、マツダに自分は好感をもつようになりました。

 すごいなあと思うのは、後にも先にも国内メーカーで優勝したのはマツダのみ。豊富な資金を投入したトヨタも優勝は出来ていません。この話については、皆さんの中には某国営放送「プロジェクト○」でご覧になってご存知の方もいると思います。

 あれからもう20年近くが過ぎました。一時期GT-1と言うカテゴリーができてグループCと似た車が走り、参加するメーカーも増えた時期もありましたが、それ以後は昨今の不況から国内メーカーは一時期の参加の話はありません。

 またいつか日本メーカーと欧州メーカーの激突を見てみたいものです。今年はどうなるんでしょうか・・・。
Posted at 2010/06/05 01:19:25 | コメント(7) | トラックバック(0) | ルマン24時間 | 日記

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「今日は久しぶりに逆煽り運転するドライバーがいていつもより帰宅に時間がかかった(泣)」
何シテル?   06/13 21:40
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