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クリューのブログ一覧

2024年09月29日 イイね!

あれから50年

あれから50年今年の10月6日で「宇宙戦艦ヤマト」の放映から50年になるそうだ。初回の放送は1974年10月6日だったそうだ。

おもえば、当時「猿の軍団」や「アルプスの少女ハイジ」もこの時期放映されていることから視聴率は伸びなかったという。わたしはというとこの初回放送から見たのを覚えているのだが、どういうわけか、最後までみた記憶はなく、再放送でようやくみることができた。

また、自分の興味をさらに強くさせたのは、オープニングソングもさることながら、当時アニメ雑誌のOUT創刊2号を当時の親友が持っており、その表紙に描かれたヤマトに心を撃ち抜かれたからだろうと思う。また、この友人の兄弟がプラモデルのウォーターラインシリーズに傾倒しており、少なからず軍艦に自分も興味を持っていたのもヤマトに夢中になったのではないかと思う。
そして戦艦大和への興味もあったと思う。また、ゼロ戦ではなく、「コスモゼロ」だったり、万能戦闘機の「ブラックタイガー」も憧れたものである。

オープニングソングは以前もブログに書いたけれども、当時のアニメの主流であった武器の名前を連呼するものではなかったことや、視聴率低迷に対する対策だったのかオープニングが数パターン用意されたのも面白かった。

また、それまでロボットものとは違って、宇宙船というそれまでの描かれていた地球から離れ、星から星へ旅をするというのも「宇宙」に対する知識の意味での興味を引いた。
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今では自分の含め、戦争には多くの人は反対だと思うが、当時は敗戦からまだ30年ほど経っており、兵器に対する興味を持つ人も多かったように思う。しかし、同じ世代の人には「星間戦争」よりも広大な「宇宙」と言うところにも興味を持つ人が多かったのではないだろうか。先日放映された「新プロジェクトX〜はやぶさ〜」の回でもイオンエンジンを担当した國中均氏はその耐久試験で1000時間ごとに「宇宙戦艦ヤマト」のシールを貼ったという( このプロジェクトでごく潰しと言われたのはどこかの自動車メーカーでもそういわれたような…)。

つまり、多くの世代がこの宇宙戦艦ヤマトに何かしら影響を受けたのは事実で、後の『機動戦士ガンダム』『超時空要塞マクロス』『機動戦艦ナデシコ』『新世紀エヴァンゲリオン』などの先駆けとなっていると思う。

また、木村拓哉さんを主人公にした映画版「宇宙戦艦ヤマト」やリメイク版「宇宙戦艦ヤマト2199」も作成されたし、また、ラジコンでヤマトを製作した人もいる‥‥。

私はというとこのヤマトからセリフにある言葉を今もって大切にしているところがある。
たとえば、佐渡酒三が第23話でイスカンダル到着直前には古代に「百里の道を行くときは、九十九里をもって半ばとせよ」と古代達を引き締める。

また、自分の理想の人物像として、沖田十三を機関士徳川彦左衛門が、「万に一つの可能性を発見したらそれを信じ、沈着冷静に行動する人」と表す場面がある。今もってのそれは難しい理想であるが、そうありたいと思う。

そして自分を一番支えた言葉は、これも第一話の冥王星海戦で古代進の兄の守が
「男だったら、戦って戦って戦い抜いて、一つでも多くの敵をやっつけて、死ぬべきじゃないんですか!」
諦めない意思を吐くのに対して、艦隊司令の沖田十三は
「明日のために、今日の屈辱に耐えるんだ。それが男だ! 」
と返すシーンがある。
自分の人生を振り返ると何かと馬鹿にされたりすることが多かったが、この沖田十三の「屈辱に耐えるんだ」は、私を支え続けた言葉である。(↓の動画の5分位の辺り)

もちろん、他のアニメでも有名なセリフや重みのあるセリフはあるのだが‥‥。
50年(半世紀)にもわたって多くの人に影響与えた「宇宙戦艦ヤマト」は、多くのアニメの作品の中にあって名作の一つと言えるのではないだろうか。

Posted at 2024/09/29 11:15:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | テレビ番組 | クルマ
2023年04月02日 イイね!

帰ってきたウルトラマン

帰ってきたウルトラマン先日、団次郎さんが逝去された。それがきっかけではないが、動画サイトでは様々な動画が流れるようになった。私と同世代の方も同じようにそんな動画で昔を振り返られた方も多いだろう。

思えば、「帰ってきたウルトラマン」という作品は後々に影響を与える作品だったと思う。
たとえば、近年「宇宙戦艦ヤマト2199」ではコスモタイガーの出撃シーンのBGMはこの「帰ってきたウルトラマン」のオマージュともいえる。音楽に合わせて男性コーラスが「ワンダバ」というフレーズをうたうのだ。また、「機動警察パトレイバー」のOVAの中で「ワンダバ」というパトレイバーとウルトラマンと思しきヒーローとのコラボがあったと記憶している。これらは「帰ってきたウルトラマン」のMONSTER・ATTACK・TEAMことMATのテーマからの影響である。

また、それまでのウルトラマン、ウルトラセブンを初めて兄弟として繋げたのもこの作品である。それまで別作品のように取り扱われていたのだが、この作品以降、全てのウルトラマンが家族のように取り扱われていく(ウルトラマンレオ/アストラは別)。ウルトラセブンが登場し、最強怪獣ベムスター攻略のために「ウルトラブレスレッド」という万能武器を渡すのである。また、ナックル星人とブラックキングの話では初代ウルトラマンとウルトラセブンが登場し危機を救うのだ。

結局のこのストーリーをきっかけにウルトラマンのシリーズの中で他のウルトラマンが出演することができるようになったわけだ。
後にビールのCMでもこのウルトラ兄弟の関係づけたものがあった。

途中でマット隊長の交代劇というのも当時としては珍しいと思う。劇中では加藤 勝一郎隊長(塚本信夫氏)から伊吹 竜隊長(根上 淳氏)へ交代。体調のユニフォームも、他の隊員と区別するために一本ラインが入るというものだった。
たしか、ウルトラマンに変身するときも当初のコンセプトである「命が危険に見舞われたとき」ではなく、変身したいときに変身できるようになったと思う。

この帰ってきたウルトラマンは視聴率も非常に高く、ほとんど12%以上だったと聞く。あの「相棒」ですら13%を超えたのでヒットしたと言われるのに、帰ってきたウルトラマンは後半ではほとんど20%以上だったという。それだけに影響を受けた人も多いだろう。

当時のオープニングを聞くと好きだったんだなあと思う。現在の流行の曲は前奏が短いのだが、このオープニングでは歌が始まるまで前奏が結構引っ張る。ウルトラマンやマットアローの影絵もスピーディーなのとMAT隊員が一列に整列してから銃をもって構えるシーンには痺れたものだ。

時代とともに支持されるドラマは変わるものだが、多様化の時代に多くの支持を受ける作品作りは難しいと思う。昭和というテレビ全盛期の時代に作られた「ウルトラマン」シリーズは、今後はどのように発展していくのだろうか。

Posted at 2023/04/02 07:23:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | テレビ番組 | 音楽/映画/テレビ
2022年10月12日 イイね!

私を車好きにさせたこの番組

私を車好きにさせたこの番組わたしは、どうしてこんなに車が好きになったのだろうと振り返ると…一つの番組にたどり着く。それは1989年テレビ朝日で放映された「サンデープレゼント ‛89モンテカルロラリー 熱き闘いの全記録」という番組だ。
当時バイトの給料を貯めて初めて買ったのがVHSビデオレコーダーだった。その時初めて録画したのがこの番組だった。まだ学生だった自分はそれなりに車好きではあったが、この番組でさらに車の魅力に取りつかれたのだ。
1989年という年はご存知の通り1987年よりスタートしたグループAにによる車両でのWRCとなって強豪ランチャデルタに対してTTEセリカGT-FOURが台頭した頃のものだ。
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しかし、この番組はモンテカルロラリーを通してチームマジョルカというプライベーターを中心にラリーに対する情熱を記録したドキュメンタリー番組だ。「コンセントレーション」「サービスポイント」「SS」などの言葉も新鮮に感じたものだ。
マジョルカ―のドライバーは前年は、石川英正氏と「竹ちゃんマン」こと竹平素信氏が務めていた。そして二人がステアリングを握るのはニッサンパルサー。よって残念なことにトヨタセリカやマツダ323の走行シーンははカットされている。代わりに今では珍しいニッサンマーチを駆るベテラン「ポー・エクルンド」を見ることができる。
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さて、私をぞっこんにさせたのは、SS13の峠のシーンだ。グループAのデルタを駆るミキ・ビアシオン、ブルーノ・サビーら安定したステアリング裁きでコーナーを曲がる中、BMW・M3を駆るマーク・デュエツが、これぞラリーのドリフトとばかりテールを流してくれる。またFFのがプジョー205がサイドブレーキを使って後輪を止めて曲がっていく…。 さらにBGMはあの神曲映画「デルタフォース」のオープニングである。これは普段サーキットのレースとはまた違う興奮を覚えたものだ。
そういえば、この峠ではないかという場所でのCMも後に放映されたことがあった。

以来、私はラリーの虜になっていく。そしてカーグラフィックTVでは1989年のラリーの総集編が放送され、以後段々と様々なメディアによってトヨタやマツダ、ミツビシ、スバルのワークス勢の活躍が報道されるようになってきたのだ。

カーグラフィックTVで1989年のWRC総集編のオープニングはBGMに「ファイナルカウントダウン」が流れ、カルロス・サインツのセリカの車載カメラがグラベルをテールを流しながら走行する迫力ある場面が収録されていた。そして1000湖ラリーで、デルタが、セリカが、ギャランが飛ぶのだ!

そして先日のその動画と約30年ぶりに出会ったのである。時間の流れを感じつつこれらの動画をじっくり見入ってしまう自分がいた。1980年代後期から日本車のモータースポーツでの活躍が始まったわけ(WRC、WSPC、F-1)だが、私はやはり自動車市場の活況な時代と合わせて車を好きになったということが分かる。

今はトヨタのルマン3連勝、WRCのチャンピオン獲得、F-1のレッドブルホンダ(2021年)の活躍など目覚ましい結果を残しているにもかかわらず、なかなか盛り上がに欠ける。しかし、いつかはまた日本車勢の活躍するときが来ることを期待したいものである。

Posted at 2022/10/13 21:13:04 | コメント(3) | トラックバック(0) | テレビ番組 | 音楽/映画/テレビ
2022年09月23日 イイね!

相棒が始まると

相棒が始まると今年の秋から相棒が始まる。とはいっても今までは「ふう~ん」だったが、今年はちょっと違う。あの男が帰ってくるからだ。そう、亀山薫。
やっぱり、杉下右京の相棒は亀山薫でしかない、と思っている。
右京さんと性格の違いがきれいにマッチングしているように思うし、また、一課の伊丹から「特命係の亀山~」のセリフから掛け合いが始まるのも定番で面白い。
だから、新メンバーとのどういった絡みになるのかも期待してしまうわけだが‥‥


亀山薫っていうと、フライトジャケットがトレードマーク。

出演中は全く気にも留めていなかったのだが、自分が購入するようになると、どんなフライトジャケットなのか気になってくるもので‥‥。

昔購入した「相棒オフィシャルブック」を取り出してみると、意外なことが分かってくる。毎回同じようなフライトジャケットと思っていたが、…

MA-1という私らが学生時代に流行したSAGEカラーで、インがオレンジ色のものを着ていたり、
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アルファのフライトジャケットCWU-45/PやCWU-36P、
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L-2(シーズン7で着用)L-2A(シーズン6や映画で着用)と数種類のものがあったようだ。
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参考サイト 

そしてフライトジャケットのバッジもよく見ると様々…
空軍使用もあるようだし、海軍仕様もある…
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特にトップガンからの流れで見ている私にはVF-154ブラックナイツのものとVFA-195ダムバスターズのフライトジャケットには気が付いたが、毎回毎回違うものではないかと思うくらい、フライトジャケットを着用していたようだ。
上下2枚の画像はダイヤモンド商会より引用
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さらに今年は「TOPGUNマーベリック」が大ヒットしている。どうもフライトジャケットもCWU-36/PはグリーンのSEGEカラーは品薄のようだ。今後、相棒でもフライトジャケットが注目浴びるようであれば、今年の冬辺りフライトジャケット着る人は増えそうな気がするのは私だけだろうか…

Posted at 2022/09/23 00:34:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | テレビ番組 | 音楽/映画/テレビ
2021年05月23日 イイね!

田村正和さんを偲ぶ

田村正和さんを偲ぶ先月、田村正和さんが亡くられた。
みなさんは、どんな役柄を思い出されるだろうか?

私は「パパはニュースキャスター」とやはり「古畑任三郎」の2作品だ。
「パパはニュースキャスター」は1987年の1月~3月末まで放送されたコメディドラマである。酒癖・女癖の悪いニュースキャスターの前に突然、昔関係した女性との娘3人が現れ生活が一変してしまうというものだ。ドラマの冒頭では必ず?、キャスターの鏡は酒に酔って女性を口説く時、「そろそろ身を固めようと思っている。娘が出来たら名前は決めてある、「愛情の『愛』と書いて『めぐみ』、愛に恵まれるように」と口説いており、3人の娘の名前はすべて「愛(めぐみ)」と説明が入った。
当時の子役の3人(西尾まり、大塚ちか、鈴木美恵)は12~14歳。ドラマの中でその3人が集まるととても賑やかになり、田村正和さんが呆れるシーンは今でも思い出すことができる。それでいて、3人にアクシデントが起きるとパパらしく、ほろっとさせるシーンがあったりと、そのメリハリがとても面白かった。そして、劇中には本物の放送局名や著名人が本人役で登場したのも面白かった。
この子役の3人のうち2人は今でも芸能活動を続けているのは興味深い。もう40代後半になっているようだ。
そして、このドラマの主題歌は今は亡き、本田美奈子さんで「Oneway Generation」はテンポのいい曲だった。

そして田村正和さんの代表作として1番なのは「古畑任三郎」だ。
出演する犯人は主人公を張れるようなタレントばかり。日本版「刑事コロンボ」であった。もちろん脚本は三谷幸喜さんがコロンボをベースに制作したのだから当たり前なのだが、ただ、ドラマの始まりと途中に、古畑任三郎が、ドラマから抜き出したように一人で事件のヒントや解決について語るシーンは斬新だった。
全てのストーリーも面白かったが一番印象に残るのは明石家さんま扮する弁護士との対決だ。事件を解決のヒントは、犯人の弁護士水差しを、花瓶と言ってしまったばかりに自分が犯人であることが露呈してしまうというものだった。

この2作品はどちらも田村正和さんでなければ、成り立たないドラマである。二枚目で、二枚目の生活はこういう生活だろうという偏見と親という正反対を演じた「パパはニュースキャスター」。またつかみどころのない、生活感をほとんど感じさせず、刑事らしくない刑事でありながら、下手に犯人に近づきながら、犯人の油断したところを逃さない「古畑任三郎」。
田村三兄弟の兄の田村高廣さんでも弟の田村亮さんでも、代役はできない。当然、その他の俳優さんでも、このような役は難しいだろう。
先日の生島ヒロシさんのラジオで田村正和さんは人前では食事をすることは見せなかったという。どんな時でも楽屋で一人で食べていたのではないかということが話題になっていた。最近はSNSで普段の生活の一場面を公開するタレントさんが多い中、田村正和さんは全く自分の生活を見せなかったことが、そのイメージを崩さずに「田村正和」というイメージを継続させることができたのだと思う。
また、昨今二世タレントは多い中、親子二代にわたって、大成したことも素晴らしいと思う。畑は違ってもやはり親を超えるのは難しいけれど、自分なりの生き方で成功できたのは、あの表情やイメージには全く想像はつかないが、人には見せなかった努力があったのではないだろうか。(追記 本日放送のワイドナショーの番組での田村さんへのインタビューの中で 私は映画で失敗したんですよね…。との言葉があった。やはりそのことがテレビでの活躍に繋がったのかもしれない。)


古畑任三郎は演じたご本人は他界されたが、これからもきっと語り告げられていくドラマになったと思う。

田村正和さん、安らかにお眠りください…。

Posted at 2021/05/23 08:21:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | テレビ番組 | 音楽/映画/テレビ

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「@まーべりっきゅ さん ひょっとしてGGiですか?それとも…」
何シテル?   08/11 08:26
妙にこだわりのあるへんなやつですがよろしくお願いします。あまりうまくしゃべれません・・・・人付き合いが下手です。泣 最近、突然フォローの申請をされる方がおられ...
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