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2016年04月24日 イイね!

三菱自動車燃費偽装に思う。

三菱自動車燃費偽装に思う。残念なニュースだ。
VWに引き続き、ましてや三菱は2度もリコール隠蔽も過去あったにもかかわらずだ。
かといって他人事でこのような事例を見ていいものだろうか。

軽自動車市場は現在販売が落ち込んでいるという。しかしダイハツがムーブやウェイク、キャストと新型ながらも低燃費モデルを投入。スズキもこれに負けじとアルト、ハスラー、スぺーシアを投入。さらには、ホンダはプレミアム化させてNシリーズと市場は群雄割拠だ。

そしてどのメーカーにも言えることだが軽自動車の小ささを感じさせない様々モデルやスポーツモデルを投入している。
その中で三菱はというとekワゴンやekスペースをNMKVから投入したが、やはり競争力は日産に頼っているところが現状であったことは言うまでもない。今後三菱にとって存在自体を問われかねないのではないだろうか?

三菱のリコール隠しは、企業として、致命的だったはずだ。それは目に見えて分かった。販売店の閉鎖、車種整理は他社に比べ顕著だった。NMKVも三菱水島製作所を閉鎖することを回避するためだったとも聞いている。

となるとこの問題はなぜ起きたのだろうか?
市場の厳しさゆえに燃費を偽装する理由?
自分はまず、この軽自動車開発が日産主導だったからではないか?と考える。NMKVは部品調達、企画デザインを担当。三菱は製造開発が担当になっている。となるといい方を変えると日産は「これだけのもので、こんなものを作ってくれない?」という要求に三菱は「ハイ、喜んで!」という上下関係ができていたのではないか?
三菱は現在I-miEVやアウトランダーといった電気自動車に集中しているためガソリンエンジンの開発は縮小しているはずだ。ましてやどうしても企業としても今後の企業の行く末を考えても軽自動車よりも電気自動車の方が、未来は明るいが故に資本も投入しやすかったはず。ところがガソリンエンジンはというと技術は日産頼みだったのではないだろうか。日産も電気自動車やハイブリッドモデルに傾倒しているので昨今モデルもダウンサイジングのノートのHR12DDRが投入されているがその他は市場投入されていない。
となると三菱に提供される技術は何があったか?非常に疑問である。それを裏付けるようにエンジンやその他のエンジンに対する新しい技術ではなく、タイヤの抵抗値や空気抵抗の不正と聞いている。
次に当時の社風が原因ではないかと考えられる。
二度も偽装発覚した以上経営陣は偽装について当然厳しくしたはずだ。しかも、社全体が国内市場での凋落を感じたはずだ。しかし、それが良い方向に行かなかった。となると社内の中に開発目標に対して「無理だ」という雰囲気があったのではと想像できる。だれだって不正を喜んでする者はいないだろう。ダイハツやスズキといった軽自動車トップ企業に比べ後れを取った三菱にとって燃費目標もかなり要求が高くなったはずだ。


時間を遅らせて目標の数値を上げず、期限に合わせることを重視したのだろうか。開発チームに本社三菱と大切なパートナーたる日産に発表を遅らせる訴えができなかったことは予想できる。つまり「NO」と言えなかったと言える。
三菱に甘い見方かもしれないが、そのような背景があったと予想される。開発の現場の社員もきっと本意ではなかったと思う。このような現場の雰囲気は他の職場でもあり得ることだ。

いまや自動車工業もこのような不正が発覚したのはそれだけ企業の生き残りがかかっていると言える。それはインドや中国や韓国の企業の台等や新しいテスラなどに見られる既存の企業以外の新しい企業の参入もその理由だと思う。さらに環境という視点からそれまでの技術とまた違った新しい技術を要求されるようになった。そのことからもその技術を求めて大きな企業(VW)はもちろんだが、そうでない企業にも合併や提携がないと資本も不足するし、開発も遅れて投入も遅れることになる。
これからの企業は確かな技術やオリジナル性が求められるだけに難しい時代となったと思う。
Posted at 2016/04/24 21:44:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自動車産業 | ニュース
2016年04月17日 イイね!

自助 共助 公助 熊本大地震

4月14日(木)21時26分に起きた熊本の大地震。
当初はこの1回のみと思っていたがこの地震が前震でその後16日(土)1時25分本震。




熊本市内に昨年から一人住まいだった子どもは無事だったものの、度重なる夜中の地震に精神的にまいってしまっていたため、迎えに行くことになった。
 木曜日の1回目の前震の際は、アパートの最上階に住んでいたため、その揺れはとても大きく、ガスコンロが吹っ飛び、電子レンジが落下し、冷蔵庫の中から食品が飛び、皿が床で割れ、室内のドアが外れたという。幸いにも一人住まいのため家具が少なかったことでケガもなかった。しかし、避難場所に移動してからは本震が発生し、津波予報も出された。その直後、ラインで何度も何度も「助けて」を訴えてきた。その揺れは恐怖だったに違いない。
遠方にいて何もできないことから言葉や声でしか勇気づけることしかできない自分が無力に感じた。 
 そのため、本震後すぐに行こうとしたが真夜中であることから道路の被害が分からないことと二次被害にあうことも懸念されたため一旦見合わせることに。
 その後義母の鶴の一言から、決行。JR、高速・路線バス、飛行機全ての公共交通機関がストップしていたからだ。しかし、一般道で出発は午後3時。到着予想時刻は午後8時。当時(16日午後3時現在)現地のガソリンスタンドは供給がストップしたことで順番待ちの車が並んでいること、高速道路の被害の影響から物資不足になっていること、ライフラインの欠損から水道がストップしていることなど様々な不安要素が報道されていた。プレマシーであれば、疲労感も少なく、余裕があるが、大きいだけに小回りにかける。また渋滞の際に消費燃料も大きいことからデミオを選択。
一般道で北上していくとやはり被災地に近づいていくに従って同方向に行く車は少ないが、対向車が増えてきた。また、毛布を片手に移動する人も見られた。
特に八代に到着する頃(16日午後6時ごろ)には対向車は長い渋滞になっていた。また道の駅には避難してきた車で駐車場は満車になっていた。その車の横には高齢の方やその方につき添うように毛布を持った人々、その横ではしゃぐ小さな子ども…。車にそばには多くの人々がいた。
 国道3号線で熊本市に入ると(16日午後7時30分ごろ)、熊本市街から離れる方向には車の長い列ができていた。道路は地震のためか道路に凸凹が目立ち、そのたびにスピードを落とすことが増えた。救急車とも何度もすれ違った。熊本中心街のネオンは少なく、普段より暗く、そして交通量もかなり違った。テレビで報道されているような倒壊した建物があったのかもしれないが、運転している自分にはわからなかった。また熊本城横は崩れた岩が車線をふさいでいた。

 子どもが避難している中学校に到着。その中学校では、避難している方のために校舎の全てと体育館を開放しているという。門の近くには赤色灯があり、避難場所を示していた。門の前に若者が立っていて、「避難ですか、お迎えですか」と聞かれた。「迎えです」と答えると駐車場の場所を指定しくれた。しかし、その場所の前は「緊急車両駐車場」と書いてあった。それだけ避難した車の多かったのだと思った。
 避難場所でトイレを借りた。水道がストップしていため、トイレのドアの前に45ℓぐらいのバケツがあった。避難している方のために、避難している若者がみんなでプールからバケツをくんできたとのことだ。玄関の前には子どもが子犬をつれて走り回っていた。教室や廊下には多くの人が座っていた。そしてコンセントの周りにはリールにたくさんの延長コードがささっていてスマホや携帯電話を充電していた。もう自分にはそこに長くいることはできなかった。
 ほどなく子どもと子どもの友人と遭遇。二人を乗せて帰路についた。

 熊本市役所の周辺の道路に非常灯を点滅させた車がたくさん並んでいた。その先頭にはトラックが駐車しており、そこから段ボールがたくさん下ろされていた。そしてテントが張られてそこには人々の1列ができていた。きっと支給された食糧か何かを配っていたと思われた。市街地を走行すると後部座席の子どもは,私が気付かなかった熊本市街の変貌に驚いていた。
 そしてほどなく渋滞にやはり巻き込まれた。来る時とは違って完全停止ではなく時速20kmぐらいで進むことができた。スマホで八代から高速道路に乗れることが分かった(16日午後9時)。八代周辺ではかなり交通量が減った。そこから高速道路にのって順調に帰郷することできた。
 
 災害が起きた時に大切だと言われる言葉に「自助・共助・公助」というのがある。自分の取った行動は正しかったのか。確かに家族を助けたが、避難をしている人に何ができたのか疑問が残った。もし余震に巻き込まれたら自分という被害者を増やす結果になったわけでもある。また渋滞の原因を作った一人ということも否定できない。自分は正しい行動をしたのか?すっきりしない気持ちが残った。

 被災地では、まだ多くの方が避難生活を送っている。支給されている食料は不足していると聞く(17日正午現在)。高速道路や道路の分断で物資の輸送が順調にできないことから問題の解消は時間がかかると思われる。この何年かの間に日本は大きな災害を経験して、以前の時よりも避難場所の設置や物資の供給方法も編み出され対処方法も改善されてきた。でも行政が行う「公助」には限界がある。行政で働く人々も実は被災者であるし、また隣県の速やかな連携が無ければ解決は難しい。
一刻も早く被災された方が安心できる生活ができるようになることを願うしかない。
Posted at 2016/04/17 11:11:17 | コメント(4) | トラックバック(0) | 時事 | 日記
2016年04月11日 イイね!

プリメーラカミノワゴン回顧録 その2 (終章)

プリメーラカミノワゴン回顧録 その2 (終章)前車を振り返る2回目
プリメーラには、サニー系列のカミノとプリンス系列から販売される本家プリメーラがあった。それまでオースターとスタンザというブルーバードのコンポーネンツを共有していた姉妹車があったのだが、

オースター

スタンザ
初代プリメーラの登場で販売店の引き合いになったのだと推測できる。
サニー系列にはそれまで前出のスタンザとローレルスピリットがあったのだが、B13の登場後それらが廃止されカミノとプレセアが登場する。

プレセア
さて説明はさておいて、プリメーラというブランドに盲目になった私は最下級グレードでもワゴンはディスクブレーキという装備に惹かれプリンス店と近所のサニー店を交互に訪ね見積もりを取った。ただ、それまで自分の買えるであろう車は試乗を繰り返してきたが、ミドルクラスの試乗などしたこともなかった。そこでプリンス店に試乗の話をすると本家らしくセダンのマイチェンの目玉、2ℓHYPER CVT セダンはあるがワゴンは展示車のみという。

ところが近所のサニー店に行くと1.8ℓの展示車があるが試乗車はないという。ところがこのサニー店の担当者さんが手配をして試乗車を回してくれたのだ。
プリンス店は前車からのイメージでセダンへの乗り換えを、サニー店では新規の顧客を狙っていたのだろう。
結果的に値段は変わらないものの近所のサニー店の小回りの良さと利便性からカミノを購入することになったのだ。 
だが…
この車選びは購入後、不満が残ることになった。大きな原因はやはり無理をして購入したことだ。

エンジンの非力感とコーナーリング
まずは1.8ℓというエンジンは走ることには、何ら問題はなかったがやはりここというときにパワーが無かったのだ。もちろんミッションを選択したので一般道ではよかったものの、登坂車線や曲走路や高速に乗ると如実にその差は明らかにでた。
山間の道に行くとその素生からコーナーはきれいに回るもののコーナーから脱出するスピードには不満が残ってしまった。そこで前車の経験からショックアブソーバーの交換をすることにした。ところがP11の適合するものが余りにも少なく、結局カヤバを選択することにした。その交換を某店舗に要請したのだが、経済的な理由から工賃を低く設定したことでブッシュの交換を省かれてしまう。
その結果、走行距離が延びるごとに乗り心地が悪化した。
またミッションを選択をしたがそれでも高回転までまわしてしまうことが多くなったため、燃費が悪化。高価なものを購入できないのでサイクロンⅡ(ネット上で紹介されているページ)なる吸気のパイプ内で空気に渦を作り速度を上げるというものを装着。確かにトルクが上がったものの大きな変化には至らなかったが、ある程度は改善された。
ヘッドライト
また、購入1年後にマイチェンが行われHIDが装備された。そのため、古さを隠すが故にヘッドライト球の交換を繰り返すことになった。当時はPIAAが6000kbの色温度で販売していたが実際購入すると雨天時の夜は全く路上が見えないことが分かった。そこで様々なものを試した結果BOSCHが一番安価で耐久性があることが分かった。しかし、それでも半年すると切れる。そこでついにBOSCHから当時販売されていたHIDのキットを取り付けることになった。


エクステリアの課題
やはりグリルに不満があった。当初簡単に純正品で交換できるだろうと思ったがそうはいかず、結果的に5年ぐらい放置していた。ところがネットでMSデザインから本家プリメーラのグリルをさらに強調したグリルが販売されていた。

番号は5
このパーツ、被せるだけだったがぱっと見,本家プリメーラに見えるのでやっと満足。

ぱっと見は本家のようでしょ

ところが、エアロを予算が無くて購入できないため、いまいち。
そのため、フロントとリアに黒いクイックエアロフォルムを装着してみたが・・・

インテリア
当時はナビなんて高くて手が出なかった。しかし、この車の時はちょっと追加メーターを装着。
今でこそもう会社は無くなっているが、大森の電圧計にブリッツのバキュームメーターをCDデッキ下に埋め込んで見た。しかし、3つ目のメーターでいろいろ悩んだ結果室内の温度計を装着。オイル系のメーターの様ざまな器具をつけるのが面倒になったからだ。

このようにグレードの廉価版の購入は何となく不満が残るものになった。もう少し自分の身分に見合ったクルマ選びをすることが良いという勉強になった。

さて、当時はみんカラのサイトについては知らなかったため、このプリメーラのサイトをバイブルとして見ていた。このサイトの中でのオーナーは今はどうされているのだろう。ひょっとしてみんカラに登録されているのだろうか?気になるところである。
Posted at 2016/04/12 00:33:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2016年04月03日 イイね!

プリメーラカミノワゴン 回顧 その1~購入まで~

プリメーラカミノワゴン 回顧 その1~購入まで~シルビアサニー、そして今回は現在のプレマシーの前に乗っていたプリメーラカミノワゴンを取り上げたいと思う。
まずは、前車サニーの頃の状況に戻る。愛車サニーが13万キロを超えたころ、自分にはついに家族ができ、後席で嫁が子どもの面倒をみるということが増えた。
サイドビュー
また、同時に車で出かけようとするとベビーカーや紙おむつ、ブランケットや着替えなど、どうしても荷物を積むことが多くなり、いろいろな物をトランクに積むことが多くなった。ただ、容量はあるのだがトランクから紙おむつやブランケットを取るには面倒で、後部のシートを片方倒したままというのもいまいち。ましてやチャイルドシートを後部座席に装着すればそれはできない。さらにスタイリングがなかなか良かったサニーだが、Cピラーが寝ていることから日差しが後部座席に入ることとなり、これまた不評だった。とその頃、レガシィーツーリングワゴンに端を発したワゴンブームが到来した。




当然頭の中では、その後の車中泊や家族でのキャンプの夢を妄想することが多くなってきた。


そんな折、サニーの持病たるラジエーターファンの故障が起こり、高速道路でオーバーヒートしてしまう。
その車の牽引してもらったディーラーの工場長さんがぽそっと「プリメーラのワゴンが出ます」と告げられた。

実はそれより数日前に雑誌でプリメーラのワゴンがでるという報道があった。
当時トヨタはカルディナが2代目に以降。


初代に比べ、オーソドックスではあったが、エンジンはレガシィに対抗してターボモデルがあった。
ファイル:1997 Toyota Caldina 01.jpg
(ウィキペデアより)
そして日産はアベニールサリューが販売されていたが、モデル末期。
ファイル:Nissan Avenir.JPG
(ウィキペデアより)

ホンダはアコードワゴンがデビュー。

スタイリッシュでかつ3ナンバーそして2.3ℓエンジンが目玉だった。
ファイル:1997 Honda Accord-wagon 01.jpg
(ウィキペデアより)
レガシィは2代目に移行していた。初代に比べかなりクールなフロントフェイスでリーディングモデルらしい風情があった。





またサニーのクラスとなるとカローラワゴンは先代モデルに高出力エンジンを搭載したモデルがあった。
 
そのうちにいずれモデルチェンジをしそうで食指が伸びなかった。
ファイル:1995 Toyota Collora-Wagon 01.jpg
(ウィキペデアより)

またB13の頃にカリフォルニアとして販売していたモデルをウィングロードとしてリニューアル。


さらにはオーテックVERSIONでも販売していた。
ファイル:Nissan Sunny California 004.JPG
カリフォルニア(ウィキペデアより)
ファイル:Nissan Wingroad 105.JPG
オーテックversion(ウィキペデアより)

その他にもスタイリングのよかった3代目スプリンターカリブもやっと登場した頃であった。

ファイル:AE111G front.jpg
(ウィキペデアより)


また初代デミオもデビューしていたがデミオの出来には不満はなかったが、今一つモデルの大きさやパワーに不満を感じていた。その他様々なモデルがあったが予算はない上にモデルが古く感じるものも多かった。
 それもそのはず、どのメーカーもこのRV(レクレーショナルビークル)にはまだ開発が遅れ、まだまだ急ごしらえのメーカーが多かった気がする。カローラワゴンやアベニール、カリフォルニアは、商用車としても名を変えて販売していたように思う。その後カペラがプリメーラワゴン購入から2ヶ月後デビュー、アベニールはその翌年モデルチェンジをした。

 その中、初代で足回りの良さを評価されたプリメーラが、マイナーチェンジされたうえ、ワゴンも投入されるという。それは願ってもない話だった。
しかし、このクラスは価格が高い。廉価版グレードしか買えない状況だった。したがってカルディナの1
.8ℓのE、そしてこのプリメーラワゴンの1.8Gが対象となった。そのためディーラーで試乗をして決めることにした。装備面ではほぼ同等だったからだ。
 決定的だったのはブレーキの効き具合だった。カルディナのブレーキが甘かったのだ。それも2Lの試乗車であったにもかかわらず、踏み応えが甘かったのだ。カルディナはこのグレードはドラム、プリメーラはディスクだった。不思議にもプリメーラの同グレードのセダンはドラムだったのだが、ワゴンはディスクブレーキだったのだ。多分にセッティングの違いだったのだろうが、私にはこれが決め手だった。
ただ・・・・この2代目のプリメーラは本家プリメーラとサニー系列のカミノと2モデル存在していたのだ。(続く)


カミノ



本家プリメーラ



Posted at 2016/04/04 00:36:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記

プロフィール

「170円が110円に!ならガソリン車に買い替えを考えたくなる "もし「ガソリン税」がなかったら…「170円/L」のガソリンはいくらになる?“月100L給油”のケースで影響額を試算" https://l.smartnews.com/m-5ZcEIeA0/6581JG
何シテル?   08/11 19:04
妙にこだわりのあるへんなやつですがよろしくお願いします。あまりうまくしゃべれません・・・・人付き合いが下手です。泣 最近、突然フォローの申請をされる方がおられ...
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