画像は阿川弘之さんの著書「ヨーロッパ特急」、今から56年前、1963年に60日間でヨーロッパ一周をされた際の旅行記的な内容の本です。
昔、父の書棚にあって私も中学生くらいに読んだ記憶があるのですが、また読んでみたいなーということでAmazonで古書を購入しました。
乗り物好きでも知られる阿川弘之さんですから、タイトルにもある通りかつてのヨーロッパ横断特急TEEをはじめとした各種乗り物が登場します。
当たり前の話ではありますが当時から日本発ヨーロッパ行きのジェット旅客機が飛んでいたんだよなー。
さて、この本、例えば旧ソ連の話だったり、東西に分かれていた頃のドイツの話であったり、今読むと世界の情勢も隔世の感があるよなー、という感じですが面白いですよ。
で、その中でもフォルクスワーゲンの街、ヴォルフスブルグで本社工場を見学した話がありまして、これがなかなか興味深いんですよ。
ハンブルグでフォルクスワーゲン、恐らくビートルのレンタカーを借りてアウトバーンを走って向かうわけですが、『フォルクスワーゲンはいい車だけれども、アウトバーン上では、やや、第二京浜国道を走っている軽自動車の趣がある』なんて記載があります。
また、ドイツ人の運転マナーについて、『追い越す時以外は、絶対律儀に右のレーンを走っているし、白い線をまたいで走っている車などは到底見られないし、規則とあらば、きっと守るぞという趣があって』なんて書いてありますね。
もちろんそれについて素晴らしいと言っているわけですが、いささか融通が利かない国のように皮肉っているような感じもあります。
工場見学についても閉門5分前に訪れたら、紹介状もあるのに翌日また来るように言われて、『規則とあらば、きっと守る、国だから仕方ない、閉門5分前なんかに来るのが悪いのである』なんて書かれておりますね(笑)
そういえば勤務先での私の部下に、今はもう撤退してしまったフランクフルト現地採用のマネージャーがいるのですが(日本人ですけど)、ドイツで生活していただけあって生真面目なのはいいんだけどもうちょっと柔軟性を・・・なんて思うところもあったりするのは、やはり国民性なんだろうなぁと納得してしまった次第です。
ちなみに、当時のヴォルフスブルグの工場におけるビートルの生産台数は、日産5,000台だったそうです。
そのうち1,000台はアメリカ行きで毎日2時間から3時間おきにほかほかの新車を満載した列車がハンブルグとブレーメンの港に向けて出発している、なんて記載がありますね。
また、フォルクスワーゲンは当時から、ブラジル、南アフリカ、オーストラリア、フィリピン、メキシコ、ベルギー、アイルランドにも工場を持っていて全生産量の58%を輸出していることに触れて、日本の自動車工業界との彼我の力量の差を嘆いているような感じも。
昭和38年当時の国産車の状況は、まだそんな感じだったんですね。
そうそう、当時のビートルの工場渡し価格は4,900マルク、日本円で45万円程度とありますが、それでもまだクルマを持てない世帯も多いという内容も。
まだまだ工場見学についての記載はあるのですが、引用ばかりというのもあれなのでこの辺で(汗)
あ、その他にもとても興味深い記述もあったんですよ、この本に。
抜粋すると、『西ヨーロッパはもう次第に一つの国になりつつあって、そう遠くない将来にヨーロッパの共同通貨があらわれ、各国の通貨は次第にそれに吸収されて単一のヨーロッパ通貨になってしまうだろう』ですって。
おお、EUとユーロのことじゃんか ! なんてちょっと興奮してしまった私です。
現金通貨としてのユーロのスタートは2002年ということですから、1963年時点に約40年後の未来について予言してあったんだなー。
Posted at 2019/09/30 01:26:19 | |
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