
『お前みたいなドライバーがさ、同僚のドライバーとか殺しちゃうんだよ!!!』
そう山路さんから一喝されたのは2006年初めて海外シリーズ参戦となるPCCAの第2ラウンドの決勝後でした。
その年山路さんも違う日本から参戦しているチームからPCCAに参戦し一緒に戦ってました。
その日のレースで最終ラップ山路さんが2位、私が3位を走行していてブロックラインを取った山路さんに追突!
山路さんをスピンさせてしまう、私は2位でゴールはしたものの後で4輪レースで初めてペナルティを受けて後退する事となりました。
冒頭の怒号はレース後私が山路さんの元に謝罪に訪れた際のもの。
まだまだ若くて、飛び出したり壊したり、目一杯で走っていて、大先輩であり同郷(千葉県野田市出身)のドライバーだからこそ
絶対に負けたくない!という思いがその瞬間裏目に出てしまったという出来事でした。
その年山路さんと私はお互い表彰台の常連で私は予選で山路さんの前でも決勝は負けてしまう事が多かった。
プロドライバー・仕事人としてのレースの戦い方を教わったのではなく山路さんから学んだと後から思います。
その年の最終戦は自身も初参加となるマカオGP。
ここで予選は山路さんが2位、私は3位からでしたが、決勝で山路さんはセットアップが明らかに不調でペースが上がらず
リスボアコーナーで追い越して私が2位、そして山路さんが3位というエンディングでした。
(シリーズは山路さんが2位で私が3位でした)
ゴール後のパルクフェルメを出たところで記者に取り囲まれて写真タイム。
その時山路さんから『これからは澤の時代、世代交代だな!』って冗談で言っておられたのを今でも覚えてます。
→ 冗談でも大先輩ドライバーからそんな事を言われたのは嬉しかった。
その翌年、山路さんがGTに復帰するというお話の際にも結局は実現しなかったのですが、一緒に組むドライバーとしてチームに推薦してくれた事もありましたし、2008年のご自身の体調が思わしく無くて、暑くて厳しい鈴鹿1000キロの第3ドライバーとして一緒にユンケルタイサン号で出場する事を推薦してくれたのも山路さんでした。
最近は競技長やFSWのレッスンインストラクターとしての山路さんと、ワンスマレッスンで行ったFSWのパドックでお見かけする程度でしたが、決まって・・・ 『FB見ているけど、お前稼ぎすぎだろ~~~!!』といつもの山路節でチクチク言われてました。
→ 返答『山路さんみたいな大御所じゃないから単価が違うんですよ!山路さんの3倍は働かないとやっていけない!ですよ。』(笑)
これも後輩ドライバーの1人としてではなく、一回り違う先輩ドライバーに認められたような気持で嬉しかった。
皆さんが山路さんに思うのとは違う印象なのかもしれませんが、私は冒頭の一喝を食らった以外は全然説教をされた事もなく、後輩想い、そして業界の今後を真剣に考えて体現してらっしゃる姿だけでした。
今となっては体調が思わしくないと関係者から聞いていたのに、何故もっと早く会いに伺わなかったんだ!という後悔。
今日、ご自宅にお邪魔して最初で最後のお説教を頂きに・・・と思いましたが、今はやりの3Dプリンターでリアルに作った山路人形が寝ているだけのように感じました。(笑)
そして、山路さんがFSWの競技長をされたり等を通して目指そうとしていたこの業界のあるべき姿を私達プロドライバーは少しでも知って、個々が自分たちが出来る形で何かを発信し続けなければならないと改めて強く感じました。
志半ばで旅立ってしまった山路さんはさぞかし無念だったろうと。
でも10年以上前に余命宣告を受けた方がその後も第一線で活躍されて語り継がれる存在となった事、これはもの凄い精神力と実現力の塊だと思います。
山路さん、本当にありがとうございました。安らかにお休みください。。。
こちら は2006年のマカオGPの時のレポートです。(懐かしい!山路さんと戦えた事を誇りに思います)
画像は色々探したんだけど、こんなのしか無いのが悲しいです(泣)
Posted at 2014/05/27 20:41:15 | |
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