
この「殉職刑事たちよやすらかに」は、すでにビデオテープで持っていますので、今さらの感じがしますが、非常に味わい深い物語であることを再確認しました。
・殉職した「○○とかいう人ですか?」
「~とかいう」というところが良いですねえ~。ブルースがボンに、デュークがデンカに使います。皆さんの職場や学校にも、皆さんと会ったことがない、伝説の人というのがいるでしょうが、「会ったことはないけど話は知っている」という人に対して「とかいう」を使います。歴史の深さと、物語では描かれない語りあいがあることを想起させます。
・「彼の後に配属」
ボン刑事の家に訪問したトシさんと、ラガーの家に訪問したデュークが使います。これも上記と同様、歴史の流れを感じさせる言葉です。
・回想シーン
本放送当時の昭和年60年当時は、まだまだビデオデッキが非常に高価(15万円くらい?)でしたが、それより以前はもっと高価でした。私もまだまだ幼かったので、昔の刑事のことはほとんど記憶のかなたでした。そんな刑事の殉職シーンが見られて、懐かしい気持ちになりました。特に、マカロニ、ジーパン、テキサスは、全く記憶にありませんでした。おかしいなあ?再放送は見ているんですがねえ。
・石塚幸吉
ゴリさんのお父さんです。山さんが尋ねました。山さんの質問にそっけなく答えるも、山さんが帰ろうとすると「お茶入れます」と、無理に引き止めます。初めはゴリさんのことを悪く言っていたものの、話しているうちに格好つけていた(?)殻が落ち、「息子のことを話してください」と涙ながらに頼みます。
・ボンの家族
トシさんとのくだりもそうですが、岸部シロー(義兄)も亡くなっていました。実は、岸部シロー氏の都合が合わなかっただけらしいのですが、それだけで彼は殺されてしまったのです。何とも安易な設定ですが、思いもよらず「ボンの死後も良いことないながら、遺族が助け合って生きていく姿」になりました。
・テキサスのお母さん
テキサスのお母さんが3年前になくなり、彼の遺族はいなくなった設定になっています。生前の彼には、両親と電話で話すシーンが描かれたのみで、実際にお母さんが描かれることはありませんでした。が、物語に深みを与えています。
・マミーのお母さん
マミーがボスを恨んでいないかたずねました。「恨んでいる」と話しましたが、ほどなく「あれ、もうこんな時間だよ。このテレビ見たかったんだよ。」と、話を打ち切ってテレビの電源をオンにします。「ボスのことよりもテレビのほうが大事」=「ボスを恨んでいなんかいない」という意味です。最近の監督さんたちは、こういう遠回りな表現は使いませんね。
・ラガーのお母さん
明るく料理好きなお母さんなのですが、買い物袋から出てきたのはインスタント食品や缶詰ばかり。息子を失ったショックを買い物の内容で示し、明るく装う様がさらに悲しさを増長させます。こういう表現、今の監督さんたちはできますか?
*おまけ
熊本の花屋さんの店員さんは、おそらく「加藤正之さん」だと思います。ドラえもんののび太のパパの初代声優さんです。1992年ごろに、咽頭がんでお亡くなりになりました。
この作品を見たとき、マカロニ刑事の衣装がパンタロンのスーツであることにびっくりしました。私にとってパンタロンはすでに歴史上の服装でした。「「太陽にほえろ!」はいつから放送していたのかは知らないけど、大昔から放送しているんだ。」と感動した覚えがあります。
当時マカロニ刑事は13年前に登場した刑事、今から13年前というと、アルテッツア登場前年、ブルーバードやプリメーラにSR20VE追加(?)、CF,CH,CL系アコード登場の頃です。なんだ、「この前」ではないですか。
車以外で言えば、携帯電話はN204とかいう折りたたみ機種が大流行していたかな?着メロが流行り始めていましたが、当然手入力でしたね。
音楽で言えば、ELTやspeed、MAXが大流行、アムラーの名残からまだ日焼けサロンがありましたが、ストリートファッションの反動でサテンのシャツなんかが流行りました。
経済では、たくぎんや山一證券が破綻でしたっけ?バブル崩壊を耐えた会社が、息切れをして倒産することが多々ありました。
年をとると、あれもこれも最近のことのように思えてしまいますね。でも、「ドッグイヤー」といわれるほど、街の風景が変わらないように思えるのですが、いかがですか?
昭和47年というと、街の建物はモルタルの汚い外壁の家々、ビルは工夫のないタイルないしはコンクリートづくりのところ、昭和60年にはダイブ明るい外壁材を使った家やビルが増えています。アルミサッシも、アルミむき出しではないですしね。それに比べると、1997年から今年までの変化が少なく思えてなりません。
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Posted at
2010/06/14 23:24:11