この日の夜中、テレビをつけているとゴミの山の映像が出てきました。昭和40年代半ばに起こった、東京都特別区のゴミ戦争問題の映像です。
当時、都内にはゴミ処理場が数箇所しかありませんでした。処理が追いつかず、江東区の埋立地にそのまま埋め立てていたそうです。このため江東区民がストライキを起こし、ゴミ収集車の立ち入りを拒否しました。併せて、ゴミ収集業者もストライキ、区内にはゴミが溢れました。
この問題を東京都が重視、ゴミ処理場は基本的に区ごとに設置し、区内で済ませる原則を作りました。
当時の人のゴミ意識というのは、現在と比較するととんでもなく低いものでした。見聞きした例は、以下の通りです。
・車から抜いたエンジンオイルは、そのまま川に流す
・生ゴミは川に投げ捨てる
・粗大ゴミは、そのままゴミ集積場か近くの川に捨てる
・分別はしない
・噛み終わったガムや吸殻は、その辺にポイ捨て
自分のとって不要になったものは、とりあえず自分の目につかないところへ追いやることが「処分する」であり、あとのことは考えなかったそうです。
ゴミ処分は基本的には焼却ですが、焼却が追いつかないのでそのまま埋め立てられていたものが多かったそうです。ゴミには生ゴミも含まれ、生ゴミにはハエがわき、人家に大挙して押し寄せます。当時はエアコンはありませんでしたから、家々は窓を開けていますので、ハエが入ってきて困ったそうです。
なお、番組では語られませんでしたが、ゴミ処理場はし尿処理場も兼ねています。し尿は焼かれるはずなのですが、水分を多量に含んでいますのでなかなか燃えきりません。当時の処理場の煙突からは、燃えなかったし尿(特に糞)の固形物がよく出てきていて、近くの公園に行くとよく落ちていたものです。近所では、処理場がある南風が吹くととても臭かった記憶があります。
番組中では、ゴミ処理問題の後日談もされました。ゴミの分別が行われるようになってからは、ゴミ収集車の数が1/5にもなったとか。それだけ、紙やビン、缶、粗大ゴミがあったということです。また、7一時は各家庭による焼却も推奨されましたが、1990年代末期にダイオキシン問題が勃発、ゴミを含めて野焼きが禁止されました。
この映像から40数年、今ではゴミ処理場の煙が臭うことはなくなり、ゴミの分別収集は当たり前になりました。時代が変われば、常識も変わるものです。
おまけ
1990年代末期頃、新聞にこんな投稿がありました。確かゴミ収集を仕事にしている人の当初です。
ゴミ収集場でその人がゴミ収集車にゴミを入れている際、「母親が子供に、
「ゴミ屋さんは汚いから近寄っちゃダメでしょ!」
と言ったとのことです。
ゴミ収集車は危ないので子供に近寄らせることは御法度ですが、「ゴミ屋さんは汚い」はないですよね。今や、「ゴミは汚い」とも言わなくなりましたね。これも時代の流れです。
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Posted at
2015/12/23 23:02:25