
関東では、土曜内とドラマ枠(午後11時15分~)で、「M 愛すべき人がいて」の放送が始まります。なんでも浜崎あゆみの半生をつづる作品とのことです。ここ数年は、奇行(?)が話題にもならなくなってきてしまっている浜崎あゆみですが、その全盛期をつづったドラマだそうです。引退していないのにもう半生とは複雑な感じですが、人としてはあとは版権管理だけで暮らせるほど稼いだことでしょうから、あとは余生なのかもしれません。また、ドラマとしても’90年代末の情景を描くとのことでしょうから、その点も楽しみです。
さて、その浜崎あゆみのこれまでと私の関係を、簡単に振り返ってみます。なお、歌手としてのデビュー以前に女優として活動していますが、アニメ声優のような声が目立ったという点以外、大した活躍はしていません。
浜崎あゆみは、1998年4月に「poker face」でデビューしています。この頃なぜか日本テレビにて午後4時に、「太陽にほえろ!」の第一回目スコッチ刑事活動期の再放送が始まりました。既に太陽にほえろ!4800(円)ビデオシリーズが発売されていましたが、全作品ではありませんでした。特にスコッチ刑事第一期はビデオ化作品が少なく、当然毎日録画しました。その中にこの「poker face」のCMが毎回入っており、会社の力の入れぶりがよくわかりました。
しかし、声のトーンが高く、声量はあまり感じられない程度の印象しかなく、私はほとんど注視しませんでした。漂ってくる世の中の反応も同様で、その割にはCMの多さが目につきました。その後、6月に「YOU」、8月に「trust」、10月に「For My Dear...」と矢継ぎ早にリリースしますが、反応は変わりません。ただし、一部に熱狂的なファンは出てきたようです。私としては、歌詞や雰囲気の世界観から「意気地なしが聴く曲」「都会の負け犬が聴く曲」「ネクラが聴く曲」という悪印象すら持ったほどです。当時は、レースクイーンブームから始まる、体格が良い女性がもてはやされた時期です。藤原紀香、斎藤陽子、高島礼子などがその代表格でした。
この年に流行っていた曲というと、speed一強でした。私はspeedはあまり好きではありませんでしたが、それでも春の「All My True Love」は、アップテンポで勢いがあり、聴きがいがある良い曲だと思ったものでした。avexは若干勢いが低下していた年でした。Every Little Thingは一時休み、MAX、安室奈美恵、フェイバリッドブルー、相川七瀬も失速気味、m.o.v.eはそれほど火がつかず、という状況でした。もちろん、失速と言っても伸びが無くなってきた、というだけで、人気が無くなったということではありません。avexとしても、次なる人気者が欲しかったのでしょうね。仕込んだ浜崎あゆみに火がつかないことに、焦りがあったのかもしれません。
私が浜崎あゆみの転機と感じたのは、5曲目の「Depend on you」です。この曲はアルバム先行曲として発売され、1998年12月か1999年1月ごろのエンディングテーマとして毎週流されました。これまでの曲のか弱さが若干薄れ、J-POPとしての雰囲気を強めてきたことが特徴でした。私は、すぐにアルバムが発売されることを知りつつも、我慢できずにシングルCDを購入したのでした。
そして、1999年2月になると、初のアルバム「A SONG FOR XX」が発売されました。このアルバムが発売されると、「渋谷の女子高生に人気があるアルバム」として話題になりました。それまで女子高生のカリスマというと、安室奈美恵から持田香織となっていましたが、世代交代の印象が高まったものでした。そして同月に、シングル「WHATEVER」が発売されました。これはセブンイレブンのバレンタインチョコレートキャンペーンCMとして流されたのですが、何せバレンタイン直前の期間限定CM故に放送期間が短く、しかも「音を大きくしないと聞こえない」ほど小さな音で流されるという、いったい何のタイアップなのか、サブリミナル効果を狙ったのか、と思うのでした。
まだまだ浜崎あゆみの評価が高まらない1999年3月は、Every Little Thingのベストアルバムが発売されました。これは大ヒットで、浜崎あゆみの存在感を薄めてしまった印象でした。1999年4月には浜崎あゆみは「LOVE Destiny」を発売します。この曲はつんく♂の曲でした。私にはムード歌謡曲のように聞こえ、これはこれで味わいるように感じましたが、熱心なファンにとっては不評だったようです。
この頃になると、パソコンが徐々に普及をはじめ、インターネットを閲覧する人が増えてきました。avexではEvery Little Thingを皮切りに、浜崎あゆみにも専用サイトを設けました。そこには、現在ではすたれてしまいましたが「掲示板」というシステムがあり、ファンが思いをつづるページとして設定されていました。ところが、ファン同士の交流の場として機能をはじめたのでした。Every Little Thingはライトなファンが多かったのに対して、浜崎あゆみのそれは完全な信者でした。同じ会社の隣り合わせのサイトの掲示板なのに、雰囲気の違いを強く感じたものです。まだ限られた人しかこのような掲示板に書かなかったシステムのためか、浜崎あゆみの方には当人が現れたこともあったようです。そして無料サイトの時期が終わり、登録制、そして1999年の終わりごろには、「インターネット限定ファンクラブ」の開設につながったようです。
そして1999年5月、「TO BE」を発売しました。これはJTの「桃の天然水」CMとなり、かなり多くの人の耳に入ったものです。この頃からなぜか「不思議ちゃん」的なキャラクターづくりをしていったようです。私は「不思議ちゃん」が生理的に合わなくてね。呆れたものでしたが、ファン層は確実に広がりました。この頃になると、中学生や小学生にもファン層が広がっていったのではないでしょうか。
1999年7月には、浜崎あゆみ人気を本格的なものにした「Boys&Girls」が発売されます。アップテンポで勢いがあり、カラオケで歌うのにもちょっとだけ技術が必要と、今でも名曲かつ当時を象徴する曲だと思います。化粧品会社のCMで、合わせて化粧品もよく売れたのではないでしょうか。のちに続く「ギャル文化」の第二弾とでもいう変革でした。
1999年8月には「A」というミニアルバムが発売されます。このCDは、確かいろいろな色で発売されたのではなかったでしょうか。曲も出色の出来の曲が入っており、お買い得感満点なCDだったと記憶しています。
やや時間を空けて、1999年11月には「appears」が発売されます。これは同時期に発売されたアルバムCDと合わせ、このシングルパッケージは「黒い浜崎あゆみ」、アルバムは「白い浜崎あゆみ」で、話題になったものでした。また、「ガングロブーム」の終焉を感じたものでした。曲も出来が良く、PVと合わせて壮大さすら感じたほどです。
私が感じている浜崎あゆみのピークは、ここでした。もちろん、人気としてのピークはもっと後の時期です。翌2000年2月に「Fly High」を発売します。これまでのイメージとは打って変わり、ライブハウスで明るく歌う様子のPVとなっています。余談ですが、この片隅に
私が映っています。カメラに映る先頭には、モデル事務所から派遣されてきた美男美女が配列されていました。浜崎あゆみ人気がまだ局所的に感じられた現象として、彼・彼女らは、「avexの社長に取り入って会社の力で売られている人らしいよ。」などとうわさ話をしている情景がありました。また、撮影は何度も何度も踊らされましたので、休憩時間に私が座り込み、浜崎あゆみと私が目が合い、私が立とうとすると「いいよ、座っていて!」と、場内の人に声をかけるのでした。その一方で、浜崎あゆみの背に位置した先頭列男女が踊っていないことに気づき、怒りをあらわにする場面もありました。
その後、2000年4月「vogue」、5月「Far away」、6月「SEASONS」が発売されます。比較的スローテンポでまずますの曲なのですが、あまり印象に残らないものでした。
また、前年夏に後藤真希を迎えて新たな人気を得ていた「モーニング娘。」の人気が本格化し、一部の男性はそちらに流れていきました。また、小さい子でも親しみやすく、お遊戯にも使える曲とのことで、幼稚園や保育園でも使われるなど、ファン層が厚かったのでした。
夏は子供が夏休みになり、若者向けの曲を出す人が多い中、浜崎あゆみは徐々に部分的な人を対象とするように変わってきます。2000年8月には新曲はなく、2000年9月に「SURREAL」、11月に「AUDIENCE」と発売しますが、率直にあまり印象に残りません。2000年12月には、「M」が発売されます。年の最後に、ようやく印象に残るような曲となりましたが、それでも前年と比較すると、ずいぶん落ちたもんだな、と感じざるを得ませんでした。
翌2001年1月には、「evolution」が発売されました。当時三菱自動車が発売している「ランサーエボリューション」が人気でしたが、それにあやかったかどうかはわかりません。途中から転調して急に早口になる曲調でしたが、それ以外の印象はありませんでした。この後は、急速に私の印象から遠ざかり、ピンポイントでいくつかの曲に記憶があるのみです。
2003年7月に、「&」というCDを発売します。ミニアルバム形式で、この中の「Graetful days」が印象があったかな。「短い夏が~」で始まるサビの部分、夏らしいPV、浜崎あゆみ専用番組での利用で、この夏を象徴する曲だったように思います。世間の人気のピークはここで、人気はこの曲後に低下していったようです。
2003年11月は、「No way to say」を発売します。雪の中のPVと、彼女特有のビブラートを効かせたサビの部分が印象的でした。印象的ながら、PVをじっくりと見ると、ストーリー性がありながらほとんど内容がないものになっているのでした!?
次は、2004年9月に発売した「CAROLS」でした。当時流行していたコンパクトデジタルカメラのCM曲として使用され、カメラと共に人気が出ていたように思います。
そしてこの後、やや売れた曲はあるように記憶しているのですが、私の記憶に残る曲はありませんでした。世間の方も、2003年から徐々に人気を出していった「倖田來未」がその代わりになってきたのでした。初期の安室奈美恵の第二弾とでもいえるダンスと曲調が人気となり、2005年後半からは倖田來未に人気を譲ったと思います。
まとめ
浜崎あゆみは、1990年代末期から2000年代初めを語る上で、かかせない存在です。都会の女子高生の意見が優先された時期、ギャル文化、そして末期は都市周辺のヤンキー文化、多大な影響を及ぼしました。髪を金色にする人が多くなったのも、この人がかかわっていることでしょう。
そのくらいかな?
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2020/04/18 22:40:54