
先月の終わりに、千葉県の八街市で小学生の通学列にトラックが突っ込む事故が発生しました。目下のところ、ドライバーが酒酔い運転をしていたことや、所属会社の運営体制に批判が集まるなどしています。
私としても、酒酔い運転が今回の事故の主原因であると思います。それにしても、昼間の業務時間中に酒を飲むというのは、どういう神経をしているのでしょうね。所属会社も旧態依然としたでたらめな会社で、酒盛りが日常茶飯事だった模様です。
今回このブログを書くにあたり、以前、八街市に仕事に行ったことを思い出しました。八街市は下総台地に位置しています。水田は一部にしかなく、畑が広がっています。この私にとって
「小学生の頃を思い出す、昔懐かしい風景」
が広がっていました。
道路の保安性が低く、砂利で出来ていた道をとりあえず舗装した、昭和40年代後半から昭和50年代までの雰囲気だったからです。
道路の幅は、2000年代にしては狭いといえます。県道級の道では、歩道はあってもガードレールはなし、人と人がすれ違う際にもやや気を付ける必要がありました。市道級になると、歩道もセンターラインもない道が多く、車がすれ違うには徐行をする必要がありそうでした。
これは、畑作地域ならではのことだと思います。水田地帯では、歩道がないと歩行者が車を避けた際に水田に落ちたり、運転ミスをした車が水田に転落するため、早い時期からガードレールが出来ました。
しかし、畑の場合には畑に人が移動するだけで何ら被害がないので、歩道もガードレールも施工が遅れたのだと思います。その、車道と畑の境界の雰囲気が、「昔懐かしさ」を感じさせたのでしょう。
昔懐かしさと言えば、私の通学路も毎日のようにダンプカーが通っていました。時には、「耳をかすったかな?」と思うくらいそばを通ったこともあったかもしれません。それらのトラックは、当然のように過積載をしていました。
荷台に差しを用い、積んでいる泥や砂はキャビンの高さよりも高くなっていました。概算ですが40トンは積んでいたのではないでしょうか?
そんなドラック通りだった中、小学校3年生の時の担任はこう言いました。
「君たち、トラックに轢かれたらどうなると思う?トラックドライバーは助けてくれないよ。ドライバーは様子を見に来て、手足がひどく痛んでいたら、バックですり潰すんだ。変に生き残られて一生面倒を見させられるよりも、殺して刑務所に行って終わりにした方が、楽だからだよ。」
教員としては、トラックドライバーを差別するようなもので、現代なら問題発言とされたことでしょう。しかし、その情報はあながち間違いではない、と考えています。私の父も、恐らくは仕事中に交通事故を目撃、トラックドライバーなどに、殺されかかったと思われる発言をしていた記憶があります。
周囲の大人からそんなことを言われていたものですから、歩いていても常に後方にも気を付けるようにしていました。
政府では、各学校に通学路の緊急点検を指示したそうです。しかし、たとえ子供でも「自分の命は自分で守る」を教えなければなりません。やはり、「死んだら自分が損をする」のですからね。
ブログ一覧 |
交通安全 | クルマ
Posted at
2021/07/02 23:50:29