
この日は都区内に出張し、普段の日よりも早い時刻に直帰しました。電車に乗る時間帯が異なると客層も異なるようで、私の近くには母娘連れがいまして、お嬢さんは高校生のようでした。母親の方は、青いプリーツスカートにショートブーツが目立つ、恐らくお嬢さんにとっても自慢のきれいなお母さんであるように見えました。服装は、「Domani」や「Very」などの女性誌に出ているような服装で、おしゃれな感じでした。
母親は、かなり大きな声でおしゃべりをしているものですから、2mほど離れている私にも、話の内容が良く聞こえてきました。どうやら大学進学の話をしているようです。きっと、三者面談の帰りなのでしょう。ただし、娘は私に背を向けていたために、会話としての内容は聞こえてきませんでした。
母「ママのママはね、お友達(?)から「どこの大学に行かれたのですか?」と聞かれたんだって。高校を出て通ったのが〇〇専門学校だったから、「お宅が〇〇を経営しているのですか?」って聞かれたんだって。悔しかったので、ママには「どこでもよいから、絶対に大学に行きなさい。」って言ったの。だからママは、どこでも良いからとにかく行ける大学っていうことで、文学部を探して大学に行ったの。」
娘「(黙ってうなづく。)」
母「法学部なんかいいんじゃない?日本の国の仕組みをあれこれ学べるから。」
私はその場で、「この親子が30年(≒1世代)遅れているのか?それとも私が30年前にタイムスリップしたのだろうか。」と思ってしまいました。その母親が言っていることが、その場では非常に時代遅れに聞こえてしまったためです。
30年前の1991年とは、短期大学、女子大学を含む大学進学率で女子の割合が男子の割合を抜き、大騒ぎになった年です。女性が進学する可能性がある文学部以外の学部は、理工系では建築、土木、化学、生物、薬学、医科歯科に留まっていましたが、経済学部や法学部へ進学する女子はもう多かったのではないか、と記憶していたためです。
しかし、この日から今日まで落ち着いて考えると、当時確かに女子が法学部や経済学部へ進学することが推奨されていました。しかし、推奨されるということは、黙っていれば女性は法学部にも経済学部にも進学しないことを意味しています。またとある名簿を見たら、女子の進学先に共学の大学はあれど、ほとんどが英米国文学部ばかりでした。やはり30年前の女子大生は、文学部に所属する例がほとんどだったようです。
そこで色々な学校の成り立ちを調べると、以下の傾向があることがわかりました。
「昔の女性が女子教育の発展を願って設立した女子大」
「教員養成学校などで、歴史的に女性が多かった大学」
「都心にあり、中距離通学が一般的でなかった時代でも女性が通学しやすかった大学」
これらの学校から、女性の数が増えた傾向があるようです。また、各種の数式よりも、文字にかかわることの方が取り組む障壁が低そうですから、大学進学当初は、文学部から増えていくことは自然です。
そんなことから、先の母娘の会話は2021年でも「まあまあ自然」であると思い直したのでした。人や風習の変化というものは、このように非常にゆっくりと変化するものなのでしょうかね?
この日見たお嬢さんが、進学して後悔せず、時代が変化しても対応できることを学んでいってほしいと願うのでした。
ところで、このブログを書いていて、私が高校生から大学時代に聞かされた「ジェンダー」にかかわる事実を、色々と思い出しました。以後、断続的に書いてみますね。
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Posted at
2021/12/17 22:12:14