
この日は、新海誠監督の新作、「天気の子」を見てまいりました。開始から終了まで集中力し、ストーリーを全力で追ったのですが、私は「未完成作品?」と思うのでした。
時に昭和50年代後半、すでにアニメーションが子供の娯楽となり、多数の作品が放送されていました。その一方で、現在まで続くアニメーターの人材不足の問題が当時からありました。作品は増えたのに作業者が相対的に少ない結果、
「色を塗っていると放送に間に合わないので、一部は線画のまま」
「そもそも絵が間に合わないので、ほとんど静止画」
「過去の絵を使いまわして話を作る」
などという事態が起こりました。現代なら、ほとんど放送事故です。
そして時が流れた2019年、私は「天気の子」に、
「絵はきれいだし動きも滑らか。でも、ストーリーが完成していないよ。」
と思うのでした。
あらすじ
2020年夏の東京、1か月以上連続して雨が降り続いていた。ところどころでは、それこそバケツをひっくり返したように雲から水が流れたり、小さな魚のように見える雨粒が見られたりしていた。
一方、主人公穂高は、神津島での生活に飽き、東京へと家出してきた。すぐに生活は困窮し、ホームレスにも似た生活を強いられた。そんな中、ごみ箱に捨てられていた拳銃を手にしてしまった。
ある日、ハンバーガーショップで陽菜という女店員に出会う。毎日のように穂高を見ていた彼女は、憐れんで(?)穂高にハンバーガーをこっそり分け与えるのであった。
穂高は、東京行の船で出会っていた圭介という怪しげな男を頼った。圭介はオカルト雑誌中心の編集プロダクションを営んでいた。取材のネタをつかむために、穂高は街を駆け巡るのであった。そんなある日、陽菜が暴力団員風の男に連れられて建物の中に入ろうとするところを目撃した。とっさに救おうとした穂高は、拳銃を発射してしまう。
再開した穂高に陽菜は、「私が祈ると雨が止む」と話す。生活資金を稼ごうとした穂高と陽菜は、「晴れを売るアルバイト」を始める。次々と晴れを実現する二人に、雑誌やワイドショーはこれを報道、二人は仕事ができなくなってしまう。
一方、警察は防犯カメラの映像から、拳銃を発射した少年ということで、穂高を捜索していた。また、児童相談所は陽菜とその弟を保護しようとしていた。追いつめられる三人だった。逃げ込んだホテルで、陽菜は穂高に
「晴れを祈れば祈るほど自分の体が透けていくこと」
「祈ると晴れるようになったのは1年前に母親が入院している病院の窓から、代々木の廃ビルに差し込む光の筋を追い、その場に行ってからであること」
を話した。
そんな中、雨はどんどん強くなり、都内は大洪水になっていた。翌朝、雨はやみ、何か月かぶりに太陽がのぞいていた。しかし、陽菜がいなくなっていた。陽菜を追って、遠くに見える積乱雲に向かって走り出す。
「代々木の廃ビルにヒントがある」
警察に追われながら、穂高は廃ビルの屋上に向かう。そこには圭介がいて、警察への自首を勧める。だが、陽菜を思う気持ちを悟った圭介は穂高を助ける。ビルの屋上にたどり着いた穂高は、不思議な力によって積乱雲上部に運ばれる。そこには庭園が広がり、陽菜が倒れていた。
「天候を晴れさせるための「人柱」」
だった。陽菜を救い、地上へと舞い降りる穂高。
人柱がなくなった積乱雲は、再び東京へと大雨を降らせる。そしてついに都心部分を水没させてしまう。警察に捕まった穂高は神津島へ送還される。
そして3年間の時が流れた。大学進学を機に東京へ来た。3年前の記憶をたどり、陽菜が住んでいたアパートにたどり着く。成長した陽菜の姿がそこにあり、再会を喜ぶ二人。東京は水没してしまったが、二人、いや、人間は水没した都市で新たな生活をするのであった。
感想
「困難を乗り越えるために、知力を尽くして戦う」
「市民の安全を守るためなら、命を懸けて戦う」
部分に、人間が感動する要素があると思っている私には、主人公たちの「市民の生活よりも私たちの愛」を選ぶストーリーには、まったく感動できませんでした。
しかも、積乱雲から降る魚に似たものの姿は説明されず、東京に積乱雲をもたらしている「主体」がいないので、クライマックスが盛り上がりません。架空の出来事ですので「メルヘン」でもよいのですが、メルヘンならメルヘンでその中の整合性やストーリーは描いてほしいのです。そんなことで、「君の名は」につづいて、moto('91)版「天気の子」を書きます。何しろ素人ですし、帰りの電車で考えただけなので、プロットに過ぎないこと、少々短いことは勘弁してくださいね。
あらすじ
時に2020年夏、日本列島を台風8号が通過した。台風通過後には太平洋高気圧が日本を覆い、晴れた夏が来るはずだった。
しかし、梅雨前線が再び日本に南下、日本全国が大雨に見舞われてしまった。次々に全国で洪水が起こり、騒然となる。その洪水で、陽菜の両親は川に流され、死亡していた。都内の高校の科学部に所属している陽菜は、同じ部員の穂高とともに、異常な雨の原因を探るべく、独自に捜査を開始する。
二人は、事件の直前に通過した台風8号にヒントがあるのではないかと考え、九州北部に急行する。九州北部の被害は大きく、古代の史跡が損壊されていた。そこは、古代の日本で栄えた、邪魔台王国の王宮があった場所であった。
邪魔大王国は、豊かな国であった。女王のヒミカ、弟のイキマ、ミマシ、アマソを中心に、農業や漁業などを生業とし、自然と共生していた民族であった。しかし、大陸から狩猟民族が攻めてくると、争いを知らなかった邪魔台王国は滅ぼされてしまった。その狩猟民族の末裔が現代の日本人であったのだ。
その邪魔大王国の史跡には、大きな岩がった。その岩が台風による土砂崩れで動かされ、そのあとには大きな穴が開いていた。陽菜と穂高がさらに調べを進めると、台風の大風が吹く中、穴から一人の女性と三人の男性が空に向かって飛んでいく様子が目撃されていた。
日本を襲っている梅雨前線と男女に関係がある、陽菜と穂高はどうにかして空を飛び、前線の上空に行かなければこの謎は解けないと考えた。再び科学部の部室と帰る二人。そこには、部活の道具である気象観測用の気球があった。気球をつかめば空を飛べるかもしれない、果たして二人は、気球で上昇するのであった。気球は積乱雲頂部へと到着、するとそこには水と緑に囲まれた土地があった。着陸し、周囲を見渡す二人。
そこへ来るヒミカ、イキマ、ミマシ、アマソ。三人と対峙する陽菜と穂高。ヒミカは陽菜に対し、こう言うのであった。
「1700年前、邪魔大王国は狩猟民族に滅ぼされた。争いが嫌いな自分たちは無抵抗を貫き、結果として滅ぼされた。それは自然の摂理でもあるから仕方がないことだ。しかし狩猟民族は地球をも侵食し、ついには同じ民族同士で争っているではないか。地球にとって邪魔なのは、狩猟民族だ。地球に代わって狩猟民族を駆逐しているだけだ。」
陽菜はこう答える。
「今、あなた方がしていることは、あなた方の思いとは正反対なことだ。雨は海水を薄めて魚を殺し、土砂崩れで動物は死んでいる。人間だって、全部が全部悪いわけではない。結局あなた方は、むかし狩猟民族にされたことを、いま、仕返しをしているだけに過ぎない」
ヒミカは気づかされた。そして、こう言い残して去っていくのであった。
「陽菜よ、お前の言うことは確かに事実だ。雨を降らせるのはやめよう。しかし、今そなた達がしていることで、地球は滅ばないだろうか。そなたの力を見せてもらおう。しかし、30年を経過して変わらないのなら、その時は日本を水没させる。」
陽菜と穂高は気を失ったまま、地上に倒れていた。あれは夢だったのだろうか。しかし、雨はやんでいた。ヒミカ、イキマ、ミマシ、アマソの姿はなかった。しかし、三人は自分たちの行動をどこかで見ているであろう。日本の運命は、陽菜と穂高にかかっているのであった。
おしまい
まだまだ肉付けが必要ですね。サイドストーリーや中盤の盛り上げも必要でしょうね。何より、ロマンス色が完全に廃されてしまっています。その点も含めて検討は必余ですが、まあ、個人ブログですからこの程度で勘弁してください。しかし、物語上の最後の敵やクライマックス、視聴者への問いかけなどもあり、整っていると思います。
それにしても、最近の映画アニメーションは「知弱銭ふんだくりファンド」になっています。絵さえきれいで萌えお色気シーンが挿入され、若者言葉を入れて一丁上がり、というものです。ストーリーを理解せずに、個別のシーンが現代若者的であれば満足してしまう、というものです。
「クールジャパン」として、アニメーションは国の経済を支える重要な産業と位置付けられていますが、なんだかこのバブルもはじける時期が迫っているように感じます。
Posted at 2019/09/13 23:04:54 | |
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