
人権にかかわる研修会を受けたことがあります。出身地や信条、性別などによって他人を差別してはならない、という内容でした。そこには身体障がい者も含まれておりましたが、精神・発達障がいの方も含まれておりました。
もちろん、私も差別をするつもりはないのですが、精神・発達障がいの方と関わる場合には、訓練を受けなければこちら側が参ってしまい、うつを発病する恐れがあると危惧しております。そのため、安易に「差別はやめましょう。平等に接しましょう。」と言うことは避けたいと考えております。
この日、初対面の方々といろいろ雑談をする上で、こんな会話が繰り広げられました。いずれも「普通」とされている方々ですが、私は普通と障がいの境目にある方と認識してしまいます。
Aさんとの会話
私「今、「ガンダムオリジン」という初代ガンダムが立ち上がる以前のことを描いた映画を見ていましてね。」
Aさん「立ち上がる以前って何ですか?モノクロ作品?メイキング?それとも寝ているときのこと?私、ガンダムは見ていましたが、何が何だか話がわからなくて。」
考察
「立つ」の対になっている言葉は「寝る」かもしれません。しかし、「立つ」は行動を起こすことなども含んだ幅広いことを指し示し、戦うことを描く場合は戦いを起こすことであると、言葉の前後から読み取れます。
また、ガンダムはアニメーション作品であり、ガンダムが立つシーンはアニメーターによって描かれています。アニメーターがガンダムのセル画を描くシーンを撮影したドキュメンタリー映像が残っているかもしれません。しかしその場合は、メイキングであると私は説明したことでしょう。
もう、会話の成立が困難です。障がいがある方は、その時その時の言葉しか理解できない、会話の内容から類推できず、事細かに説明しないと理解できない、などの特徴があります。もうこれだけで私はグッタリです。
Bさん(東京都区内に居住、勤務)との会話
私「(私の居住地は既に伝えてあり、そこからはJR線でしか行けない)新宿駅に行きまして。。。」
Bさん「新宿駅ってどこですか?京王線?」
考察
新宿駅には、JR東日本、小田急、京王、東京メトロ、都営が乗り入れております。大阪の梅田周辺の各駅のようにそこそこ距離は離れておりますが、西梅田や東梅田、大阪、北新地のように駅名を分けておらず、待ち合わせの場合以外は「新宿駅」として話すことが一般的になっています。それをわざわざ待ち合わせでもないのに「どこですか?」と聴き直し、なぜトップに京王が出てくるのか、、、私はまた疲れてしまいました。
いちいち対象を限定する必要があるようです。
Cさん(都内在住、都内勤務)との会話
私「イオン○○○タウンというショッピングモールがあるんですよ。」
Cさん「それって何ですか?」
考察
イオンという会社は、商業を行っている一民間企業に過ぎません。しかし、これほどあちこちに大規模なショッピングセンターを作っていると、私たちの生活に根ざした、一般的な業者であるといえます。ましてや、私は会話の中で特定の場所に築かれたイオンを指しており、なおかつショッピングモールであることも言っております。そのため、イオンさえ知っていれば会話は進むはずですし、ましてや元素が電離したり電子過剰な状態を示していないことは、会話の筋から読み取れます。それをして「何ですか?」と聞き返されると、もうそれだけで疲れてしまいます。
いちいち、上記に書いた内容を指し示し、イオンという業者の成り立ちや化学用語のイオンでないことを説明する必要があるようです。
ということで、土曜日は「過去のおすすめドラマ」ブログの続きを書こうと思っていたのですが、この経験のあとで頭が痛くなり、さらに頭がボーっとしてしまって「自分の方がおかしいのか?」とすら思えてしまって、早寝を強いられたのでした。
皆さんは、こういう会話をする方々と出会った経験はありますか?私は思い起こせば何度かあります。10人と会うだけでは一人もいない場合がありますが、母数を100人とすると3人程度思い当たります。もちろん事前に防衛本能が働き、特に親しくなることはありません。「話し手の心が、相手に意図はなくても攻撃される」おかしな感覚にとらわれると感じます。
身体に不自由がある人に対しては、目視によって何を手伝えば良いのかが感覚的にわかります。しかしこの種の方は、、、「当たり障りなく接し、困っていることがあったら手伝う」程度に留めることが、「互いに幸せに暮らす」ことではないか、と思います。
Posted at 2017/02/26 11:53:55 | |
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