2011年10月25日
いや、確かに「恋愛」できない女たちを描こうとしているのは、わからなくもないのですよ。ところがところが、登場人物3人の恋愛事情が全く溶け合わず、活動がほぼバラバラです。
加えて、書き手はこれらのシーンを並べ、いったい何が描きたいのかが全く伝わってきません。「前の瞬間はこうしたから今はこれをして、次の瞬間はこれをします」と、のんべんだらりと登場人物の行動を見せられているような気がして、だんだん腹が立ってきます。
ドラマ感想批評では何度も使っている表現ですが、ドラえもんにおけるのび太のある日の日記
「朝起きて昼寝して夜寝た」「昨日と同じ」
のように、普通の人の生活を見せられても、こちらはなんの感動もないのです。
もしかしたらこのドラマ、企画書段階では、
「結婚どころか恋愛にも遠くなってしまった現代の若者を生き生きと描き、視聴者へと訴求します」と、美辞麗句が書かれていたのかもしれません。そうです。群像ものというのは、ドラマの基本スタイルの一つです。太陽にほえろ!、Gメン’75、特捜最前線、いずれも一種の群像ものです。
ところが、「生き生きと描く」は抽象的な言葉であり、具体的な主題ではありません。こういう企画書で企画を通しても、これは問題を先送りしただけです。脚本家は、初回から最終回までの主題を考えず、毎回毎回前回の脚本を読み返して、「これだったら次は・・・」と書いているような気がしてなりません。
そもそも群像ものドラマは、企画しやすく、芸能事務所にとっては人気急上昇中の、まだ主役はできない人を売り出しやすく、脚本家やプロデューサーにとっては、工夫次第でいくらでも面白い作品に出来る要素があります。
しかしこの作品、なんと退屈なことでしょう。挫折候補としてロックオンしました。
ドラマの中身では、こんな感想を抱きました。
劇中、田中圭男は香里奈女と「フレンドリーかつフランクに」話します。たとえて言うなら、小中学生の男女、とでもいう雰囲気かな。一方で、田中圭男には、香里奈女も知っている位置に婚約者がいます。その婚約者のいる前でも、二人はフレンドリーに話します。「親友だから」ということのようですが、これは婚約者にとっては耐え難い物でしょう。
婚約者自身は田中圭男に大切に扱ってもらっていますが、あまりフレンドリーには話していません。さりとて仲が悪いとかよそよそしいとかそういうことでもないのですが、まあ、遠からずこの関係で喧嘩するだろうな、という描写です。
でもしかし、普通は婚約したり結婚したりすると、多くの人は身近な異性とやや距離を置くのが多くの人だと思うのですが、これはちょっと「無神経」だな。香里奈女もね。普通は、やや遠慮します。
そんなことで、香里奈女の視点で描くと「親友との交流」であるところが、田中圭女の視点で描いたとすると「立場をわきまえない女への嫉妬心」のドラマとなります。
そうそう、香里奈さん、第一話は「化粧をほとんどしない女」だったのが、いつの間にかいつものきれいな香里奈さんになっています。あと、現実にはこういう「サバサバした女」はほとんどいませんね。結構、この役柄は好きです。
妹がランチをせびりに、派遣社員の姉の会社の受付に来るか???
題目のとおりです。大島優子女は派遣事務社員で、今回、妹がいる設定がわかりました。その大島優子女を、妹(売り出し中の新人だね)が勤務時間中に訪れます。それも、勤務時間中に今時珍しい「有人受付」に、堂々と面会を申し込みます。非常識と言わざるを得ません。しかも受付、社用でない者を派遣社員に取り次ぐな!!!
もうなんだか、「バカばっかり」、と言いたくなるドラマになってしまいました。(あ、なんだかんだ言って、ドラマに取り込まれているかも!?)
Posted at 2011/10/27 00:39:16 | |
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テレビドラマ感想批評 | 音楽/映画/テレビ
2011年10月25日
そろそろ撮影が追い付かなくなってきたのか、スタジオ撮影が中心の回です。でも、だからと言って犯人確保シーンがない回というのもどうかと思いました。
今回は10年前の殺人事件の犯人を捕まえようとする回です。
その事件があった日は、登場人物の一人である和久井和美女が現だんなからプロポーズされた日であった。そのだんなは指名手配所の似顔絵にそっくりで、当時もいろいろ事情聴収を受けていた。しかも当日の彼の行動は不明点が多く、被害者の一人とは何らかのパーティーで会っていた。そのため、和久井和美女としては、口には出さないながらも彼を犯人と思う気持ちが残っており、捜査に加わる気分にならなかった。
彼女らの捜査の過程では、ますます犯人の線が濃厚になってくる和久井和美のだんな。本当に犯人かどうかを確かめるため、声の変換機を使って事件に関係する場所を連れまわすのだった。ところが途中から彼は勝手に行先を変え、なんと、和久井和美女にプロポーズした店に入ってしまうのであった。事情が分からない和久井和美。そこへ入ってくる彼女の子供と米倉涼子女。和久井和美旦那は、和久井和美女が夫婦げんかの仲直りをしようと、彼をわざとその店に呼んだのだろう、という。そして彼は、プロポーズの日は親を説得するために時間を費やしていたのだ、という。犯人の疑いが晴れる和久井和美旦那。
そして犯人は、彼女らの活動とは無関係に、警察に捕まるのであった。
ええ~、この回を見ていた50分を返せ!散々振り回した上に、結局犯人逮捕も何もないとは何事でしょう。これは探偵ものの限界を超えているなあ。かつて、「太陽にほえろ!」でも、テキサス転勤(殉職)前のある一日を描いた、事件という事件を描かなかった「七曲署一係、その一日」と、これまた雑多な事件が続いた「本日多忙」はありますが、もうちょっと見られましたよ。
それと、刑事は職務ですが、この4人の探偵はまさに探偵ごっこです。活動を世間から求められていないし、彼女らも「事件を解決できてお金を稼げたら良いなあ。」程度の思い出活動しているからです。そのため、事件を放ったらかしても責められることはありません。登場人物にも、「お金を稼ぐのも目的だけど、世間の役に立ちたい」という気持ちは、これっぽっちもない模様です。いくら探偵ものでも、最初はお金稼ぎであったのが、誰かから涙ながらに「本当にありがとうございました」と感謝され、心を入れ替える回があるのならまだしも、全域コミカルで済まそうとしているようです。
で、ドラマを見ていた私は、「身内に犯人がいるかもしれない不安感と、探偵としての活動に挟まれ、さいなまれる和久井和美女」の心理を描くのかと思いきや、いまいち接続が悪いストーリー展開でまとめられてしまったので、すっかり取り残されてしまいました。劇中も、ほとんど小料理屋の席に4人がいるシーンの撮影で終わっていますしね。
たった3話ですでにネタ切れの傾向を示す本作、見続けるとさらに怒りがわいてくると考え、ほかに見る作品もあるので、さっさと挫折することにしました。
Posted at 2011/10/26 23:56:50 | |
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