
これまでのアルバイトは、訪問出来たり近くをかすめたり出来たのですが、ここで紹介するアルバイトは距離が離れすぎており、出来ませんでした。学校4年目の8月から9月にかけて働いた、自動車オークション会場での車両移動の仕事です。
中には珍しい車がありました。日産セドリックかグロリアの330型、三菱ジープなどです。他にも、X80マークⅡ・チェイサー・クレスタは全エンジンを試したり、V30型カムリ・ビスタとV40型カムリ・ビスタの比較を行ったり、日産シーマのターボエンジン車を全開で加速させたり、プレリュードの4WSを試したりしました。
車両に関する詳しい比較は、稚拙なら拙ブログの初期の頃「
涼しい日になると思い出すアルバイト」をご覧ください。
今回は、車以外の事情を書きます。
そのアルバイトは、毎年最高気温を記録する8月初めに開始し、9月中旬で終わりました。確か、月曜日、水曜日、木曜日、金曜日が勤務日で、月曜日は隔週だったかもしれません。日によってオークション会場を転々とする仕事でした。中でも、水曜日から金曜日にかけて行う、海沿いに近い場所での仕事が多かったです。
仕事中は制服を着用するのですが、これが何と「誰かが来て脱いだままの制服」を着用するのです。暑いさなか、他人の汗を吸い込んだであろう制服を着るのは、気持ち悪くなってしまいました。さらっとした汗、かつ湿度が低い年であったために、臭いはしませんでした。制服数は管理していなかったので、2日目以降は持ち帰って家で選択、また持ってくる方式に切り替えました。
時間中はほとんど車に乗っており、外に出るのはセリ場から戻って次の車に乗り移る間、しかも、会場係の人によって車はエンジンと冷房がかけられていましたので、慣れれば快適でした。
そんな、アルバイトとしては肉体労働に近い仕事だったのですが、そんな中にも「鶴」のような女子はいました。これが、「ピンクサファイア」というガールズバンドのボーカルによく似ており、上品さはないながら、その時代らしい女性でした。そういえばこの時期から、ロックバンドブームの頃の髪形や服が一般化、後に「ヤンキー女」風ファッションが確立されていったようです。
さらに、車ばかり乗っているアルバイトながら、不思議と人的交流はありました。数回現場に行くと同じ顔が固定されてくるものです。その中には、転職が決まって次の仕事までの間働いている人や、おしゃべりが好きな人がいました。しかし、車が好きな人はいなかったなあ。
そんな人たちとくだらない話をする中、ある日突然時間中に一名が消えてしまいました。何でも、ロングのワンボックス車の内輪差を気にせずに曲がった結果、ホイールベース部をぶつけ、その場で解雇されたそうです。そのことをして転職期間中の方は「お星さまになっちゃった」と例えました。言い得て妙な表現で、私は今でも使いそうになります。
暑くて稼げない仕事ではありましたが、仲間?との対話が一服の清涼剤になったのです。
この点からも、仕事をしやすくするのは「対話」であることを実感したのでした。
Posted at 2022/04/04 22:48:57 | |
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