その9のシンクタンクを後にしたのですが、付近にはアルバイトとは関係がない思い出の施設があり、訪問しました。そちらのことは、番外編として書きます。
次に訪問したのは、学校1年目2月から学校2年目3月まで勤務をした、学生向け情報誌を編集している会社です。期間は1年1ヶ月ですが、繁忙期は1-3月ですので、実質2シーズン勤務でした。
以前もこのアルバイトについて
書いたことがありますので、そちらもご覧ください。
そこの仕事は、企業に出稿用紙を届けに行ったり、書かれた出稿用紙を回収したりと、いわば集配業務でした。しかし重要な用紙ですから、運送会社の人のように集荷に行くのではなく、スーツを着用して「〇〇会社です。原稿をお届け(回収)に上がりました。」と、丁重に仕事を行う必要がありました。
勤務場所は都区内中心で、公共交通機関ないしは徒歩で行います。都内の地理に明るければ散歩気分で行うことも可能でした。例えば、赤羽橋、神谷町、御成門、大門、浜松町でそれぞれ駅から200-300m程度の場所業務があった場合、地下鉄を使って移動するとお金も時間もかかりますが、徒歩で移動すれば速く仕事を終えることも可能です。地図や都内の地理が苦手な方にはハードルが高いですが、私にとっては楽な仕事でした。
そこでは、事務所内待機時間中のアルバイト同士のコミュニケーションは、多少許されていました。1シーズン目は人が多く、椅子も足りない状態でした。面倒に感じた私は、仕事を受けてすぐさま出発、夕方回収した書類を渡してさっさと帰るようにしていましたが、シーズン終わりに余裕ができた頃には話をすることができました。話せば皆さん良い人で、なぜもっとはやく話さなかったのか、自分で自分の居心地を悪くしていたことに気づきました。
理工系単科大学に通っていた私にとっては、文科系大学の人たちと話す機会はほとんどなく、このアルバイトが唯一の場所でした。ところが、1シーズン目には「車」と「太陽にほえろ!」しか関心がなかった私には、話題がなくて困ったのです。
しかし、2シーズン目のからは、「テレビドラマや流行りの曲といった、誰にでも共通するような分野の話題」や「日常の出来事の話題」も出来るようになり、ようやく「世間話」の意味を理解するに至りました。また、理系である学校の人たちと文科系のこちらの人双方の特徴も知ることができ、自分に不足している要素も客観的に見付けることができたのです。
さらに、同年代の女性には就業意識が高い人がいて、「お金を得ることだけが目的ではなく、就職するための情報を得るためにこのアルバイトをしている。」と言っていました。自動車の購入・維持費用を得るためだった私とは大違いです。やがて来る就職活動について、覚悟を決めることができました。また、こういう女性が増えると、やがて「年齢が同じなら男性よりも女性を重宝する時代が来るのではないか」、と、思えたものでした。
そんなアルバイトでしたが、2シーズン目は準備業務にも取り込まれていきます。夜に翌日の集配先の地図を作ってから帰宅するのですが、原稿の仕上がりや作業を終えると、退社時刻は22時30分頃になったものです。私個人は、
その5の販売店と掛け持ちをしていたために、何と1月20日頃から3月10日まで休日なく連日勤務となったのです。ここの人には、「出勤時間は毎日いて、退勤時間は毎日いない、まるで社員並みに働いている人。」と見られていたようです。
そんな休まない状態を、両親も勤務先の人も心配していました。私にとっては、体力仕事ではないので体は大丈夫でした。しかし、自分でも気づかないうちに心の方は影響を受けていたようです。学校3年目に調子を崩してしまった原因の一つかもしれません。
もっと「うまくやっていれば」長く続けられたかもしれませんが、もったいないことをしたものです。
Posted at 2022/04/05 22:42:24 | |
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