
アルバイトの記憶 スペード社シリーズ
先に書いたように、私は2シーズン目の3月31日で退職しました。常勤アルバイトだった職長や来月大学の人たち、それにホウセンカ大学のぬーくんさん、コーヒー大学の松本市さん、南大阪さん、山町さん、蔦谷大学の黒宮内さん、山川大学進学予定のさくらんぼさんが残されたと思います。残されたとはいっても、就職活動でない学年の南大阪さん、山町さん、さくらんぼさんは、いつ働きに来たのでしょう?平日は学校の授業があるのですよ!
特にさくらんぼさんは2シーズン目繁忙期末期に採用と、経験が短い方です。その頃には、集配事業部からはがき事業部へ排出する人が決まっています。さくらんぼさん自身も学校が始まれば働きに来られなくなるのに、
「監督社員さんはなぜさくらんぼさんを採用したのだろう?」
という疑問を多くの人は感じ取っていました。
「おそらく、監督社員さんがさくらんぼさんのことをかわいいと思ったから採用したのだろう」
と皆思っていました。
しかし、それを口にしたらさくらんぼさんがかわいそうなので、誰も言わなかったと思います。
しかし、あまり勤務日がなく給与もそれほど支払わなかったであろう南大阪さんと山町さんまでも、クビにしています。お二人は秋頃に、
「それくらいの日にちしか来られないなら、辞めてもらえますか?」
と言われたそうですが、監督社員さんはなぜ
「また冬頃お願いします。それまでは休んでいてもらえないかな?」
と言わなかったのでしょうね。このことは、南大阪さんから聞きました。
そして、以下のことも起こったそうです。これは、私が仮に勤務していれば4シーズン目になっていたときに、松本市さんから電話で聞いた話です。
まず、3シーズン目繁忙期前に公募で集めた人数は、2シーズン目程度に揃えたそうです。そして繁忙期が始まり、2シーズン目程度の
「一番遅く帰って来る人でも、18:30頃になる位」
の忙しさになるかと思いきや、20時、21時まで帰ってこられない人も出てきたとか?お客様の会社も、集荷を待つとは言っても19時くらいまでしかいられないでしょうから、これについては信ぴょう性について少々疑問です。
そんな折、2シーズン目からいた人たち(誰であるかは不明)が
「moto('91)君、(アルバイトに復帰して)来ないね。」
と話していたら、監督社員が、
「彼はクビにした」
と言ったそうです。さらに、
「職場を遊び場にするようなことをしたら、君たちも容赦なくクビにするから。」
とも言ったとのこと。
理由は誰の目にも明らかで、監督社員さんは
「2シーズン目のお疲れさま会で、私がさくらんぼさんにお酒を飲ませた」
と思い込んでいたからです。しかし、さくらんぼさんは私が飲ませていないこと、来月大学の人から飲まされていたことは記憶していたので、
「私に飲ませたのは、来月大学の人たちです。」
と言ったそうです。それに対して来月大学のTAOさんはさくらんぼさんに、
「お前が勝手に飲んでいたんだろ。他人のせいにするんじゃねえよ。」
とすごんだとか。男性が女性に言う言葉ではないですよね。
さらにさくらんぼさんは、
「moto('91)さんがクビになって自身が働き続けるのはおかしい」
と、その場で退職したようです。
さらに、私に「(監督社員さんに「さくらんぼさんに酒を飲ませたのは、来月大学の人たちだった、ということを)言いましょうよ。」と言ってきた旗本さんも、監督社員に抗議、けんかをして辞めたそうです。
結局、さくらんぼさんに酒を飲ませたことについては、来月大学の人は注意のみで済まされたとのこと。おかしいですよね。
なお、職長は他の人に、
「監督社員さんに電話をしたり公募に応募するのではなく、私たちの方に先に電話をしてくれていれば、何とかなったかもしれないのにね。」
と言ったそうです。
そして日常業務は続くのですが、あまりにも仕事の進行が遅いことに皆がおかしいと思い始めたそうです。そこで、誰が何件の集配をこなしているか、職長とぬーくんさんが、各人の取扱件数を調べたそうです。すると、来月大学の人たちは、朝の業務仕分け時に一山の2~3件しか仕事をしていなかったことが判明。その程度の件数ではおおむね午前中か午後の初めくらいに終えられます。他校の人が職場の最寄り駅で喫茶店に入る来月大学の人たちを目撃、後をつけると来月大学の人たち全員が喫茶店にいたとのことでした。
そして監督社員さんか職長かぬーくんさんがその場へ踏み込み、
「あなたたちは何をやっているのですか!」
と、追及したとのことでした。
すると来月大学の人たちは、集配業務終了後会社へ戻らずに、終業時刻まで場外馬券売り場や駅の喫茶店でおしゃべりをして過ごしていたことが判明したのだそうです。私がいた2シーズン目から、喫茶店で時間つぶしをしていた輩がいたことはわかっていましたが、来月大学の人もしていたのでした。
ここでようやく監督社員さんは、来月大学の人たち全員をクビにしたそうです。2シーズン目には5人だった来月大学の人たちは、友呼びにより8人に増えていたと聞いたような気がします。すると全アルバイトの約30%の人数になりますので、あまり働いていなかった人たちではありますが、大変な戦力ダウンです。
あまり働かない人をクビにしても、対応人員が減るだけで仕事の量は変わりません。仕事は忙しくなるだけです。ここで改めて私が2シーズン目にこなしていた業務量が多かったことが分かり、再び私に白羽の矢が立ったそうです。
私を呼び戻すために監督社員さんか職長が私の家に電話をしたそうですが、私は電話を受けた覚えがありません。このことを松本市さんから聞いたときは思い出せなかったのですが、このブログを書いている先日に思い出しました。
私はこの時期に、市場調査会社の
中央リサーチ社でアルバイトをしていました。ところが周囲の人の会話になじめず、どうにも居心地が悪く感じられました。対策としては、何のことはない、並行して勤務していたSM店のみで働けばよいことに気づき、中央リサーチ社を勝手に退職していました。おそらく2月初めのことです。
この頃は両親とも平日休みの仕事をしていたのですが、アルバイトから帰ってきた私に母は、
「今日はアルバイトに行ったの?アルバイトをしていたとかいうところから、電話があったよ。「moto('91)はアルバイトに行っていますが?」と答えたら、「そうですか。アルバイトに行っているのですか。」と言って切れたけど。」
と聞かされました。
当時の私は、
「中央リサーチ社から電話がかかってきて、私に就業継続の意思があるのか訪ねる電話だ。家にいなくてよかった。」
とばかり思っていました。しかしそう考えると、
「アルバイトに行っているのですか」
と言って電話が切れることは少々不自然です。勝手に辞めていった人を追いかける職場はなかなかありませんし、私が他のアルバイトをしているかどうかなど無関係だからです。この電話こそが、監督社員さん、または職長からかかってきた電話だったのだ、と気づいたのでした。
大変なことになった3シーズン目だったようですが、アルバイトを再募集したのかどうかはわかりません。集配事業部は正社員の営業部の補助的業務でしたが、結局営業社員も手分けをして手伝ったとかで、本末転倒のありさまです。最終的には、業務完了時期も遅れたとかで、監督社員さんの責任問題にもなったようです。そんな状況ですから、もちろん「お疲れさま会」も開かれなかったと聞きました。結果、監督社員さんはこの年度か年度の途中で担当を外され、隣席の子門正子さんとかいう人が3シーズン目の途中、または4シーズン目の監督になったと聞かされました。さらに3シーズン目の終わりに、職長も辞めていったようです。
そりゃ、働いていなかった人たちを残してまじめに働いていた人をどんどん辞めさせていったのですから、監督社員に対して不信感を感じるのも当然です。
改めて松本市さんは私に、
「1日どのくらいの件数をこなしていたの?」
と聞いてきたので、私は
「1時間当たり1件の1日7件が標準で、最高で一日9件か10件はこなしたよ」
と答えると、
「それじゃあ他の人の2倍か3倍の件数だよ。人数が同じでも、仕事の進みが遅くなったのも当然だね。」
と言うのでした。
また、さくらんぼさんや旗本さんが私をクビにした一件で辞めていったこと、来月大学の人たちが働いていなかったことを受けて監督社員さんは、
「大学生は会社をクラブ活動か何かと勘違いしているところがあって面倒だから、次の年度からはフリーターを採用することにするよ。」
と言ったそうです。そして松本市さんは、
「僕が口をきけばmoto('91)さんなら採用されるはずだから、新監督の子門さんに言ってあげようか?」
と言ってきました。
しかし、この電話の時点で
別の市場調査会社へのアルバイトが決まっていたこと、一度であっても監督社員さんが私を「クビにした」と言ったらしいこと、さくらんぼさんも南大阪さんも山町さんもいない職場だと、私としては行く意味が薄いこと(何と学生じみた理由だ!)を伝え、松本市さんの申し出をお断りしたのでした。
今思えば、3シーズン目に「はがき事業部でしたら採用できます」と言われた際に受けるべきでしたし、母から電話があった際に勝手に中央リサーチ社だと思わずに聞いておけばよかったですし、松本市さんの申し出を受けるべきでした。私も判断ミスをしています。思えば、私のプライドが邪魔をしていたのでしょうね。
「集配事業部から名指しではがき事業部へ排出されたこと」
「職長をはじめとした他のアルバイトに嫌われたと思い込んでいたこと」
などが、良くありませんでした。
いまさら言っても始まりませんが、その後の学校生活や正社員としての仕事はともかくとして、私生活の方は
「スペード社にとどまっていたら、違う結果になっていたかもしれない」
と思えることがいくつもあります。プライドとは、余計なものですね。今でも後悔しています。