
2月の末に訪ねた、文化のみち。
休館日ということに気づかず出かけました。
それでも、歩きながら眺めた景色には満足。
とても一日やそこらで巡るなどできないと悟り、今日は午前に二葉館、昼は「あの」純喫茶ボンボン。
午後は揚輝荘に絞って行きます。
もし二葉館で大きくスケジュールが狂うようなら、その時は揚輝荘を次回に回しましょう。
09:00出発
JRと地下鉄でやってきました。

前来た時も思いましたが、歴史ある建築物と見まごうばかりの個人宅。
09:55
来ましたよ、
二葉館(旧川上貞奴邸)。

ムーミン家の最上階を移設したかのような。
開館時間ピッタリ。
10:00
入館料100円
得した気分で頻繁に利用してきた高齢者割引ですが、面白いもので最近はちょっと申し訳なく感じるようになりました。
この館には日本初の銀幕女優が住んでいたとか。

優雅な大広間。

ステンドグラスを多用するのは当時のハイカラ意識の現れでしょうか。
美しいです。

が、ステンドグラスって裏から見ると、けっしてキレイとは思えないのです。
屋外から眺めると 見えるのは裏側なので、一工夫あったら良かったのになと。
まぁ、そんなうがち過ぎる見方をする人もいないでしょうけど。

旧食堂
日本アルプスを描いてあるそうです。
調度品の一部はレプリカですが、多くはオリジナルとのこと。

ハイカラな家屋とは違い、庭には日本的な蔵。

1階の奥に進むと、裏口?から赤ちゃんを連れたお母さんたちが次々と。
二葉館にあるいくつかの部屋は、一般に貸し出されているのです。
3時間600円と良心的。
2階に上がります。

スペース効率の悪いラセン階段を設置できるのも、余裕の証。

美しいですが、凡人には「ここに住む感覚」が持てません。

2階の和室。
一般の家屋より、天井が30センチほど高い感じです。

壁の中
漆喰にモルタル2層を塗り重ねてあるそうです。
階下へ下ります。
フロアを見下ろしながらの眺めは、独特ですね。

階段を下りてくる女優を広間のゲストが見上げる、、
そんな映画の1シーンが目に浮かびます。

次の予定もあるので、またゆっくり来てみたいです。
おっと、ウォーキングのスタンプもらわなくては。
10:50
ちょっと早めですが、お昼にしましょう。
純喫茶ボンボン

あぁ、45年の悲願達成~。
うちから国道を北上すると、ほぼ間違いなくボンボンがある交差点で、信号に引っかかるんです。
で、信号待ちの間 あたりを見回したら、ボンボンが目に入りまして。
それが二十歳前のこと。
この店、寄ってみたいなと思いながら、通るのはいつもティータイムではなく。
帰路では信号にも引っかからず、陸橋の影になって見えなくて通過。
それを半世紀近く繰り返してきたのであります。
どうも知る人ぞ知るで、家族で知らないのはボクだけでした。
わざわざ県外から来る人や、手土産はボンボンのケーキと決めている人もいるとか。
入店するのが恐い。w
広い店内で、50人やそこらは入れる感じ。
既に15人ほどがテーブルについて話をしています。
茶飲み友達 誘い合って来る常連さんが多いのでしょう。
キョロキョロしている お一人様は、自分を含めて2人。
昭和の喫茶店の雰囲気そのまま。
椅子はメンテされているようで、古くても傷みは見られません。
店内撮影、ちょっと気が引けるので、
リンク先を御覧くださいな。
意外だったのは、店員さんたちが皆若いこと。
年配のマスターを想像していたのです。

注文したのはサンドイッチセット。
ランチと言っても、チャーハンやラーメンセットがあるわけじゃなくて、この一択。
レタスにトマト、レタスに卵のシンプルなサンドイッチ。
サンドイッチの下には、可愛らしい、おそらくは創業時にデザインされただろう紙が敷かれていました。

かすれていますが皿には「Royal BonBon」と書かれているようです。
皿を裏返すと「Fuji ChinaNAGOYA」とあります。
いぇ、抹茶をいただく時、茶器を見る作法の習慣で、つい器の裏を見てしまうのです。
「渋沢(栄一)社史データベース」によると、富士製陶(株)は1993年7月にノリタケ富士と社名変更したようです。
その後 ノリタケ富士の名を見つけることができません。
11:30
ボンボンを後にして、次なる目的地へ。
覚王山まで地下鉄です。
高丘駅までテクテク。

これはもう、芸術と呼んでもよい造形のお宅。
5階建て?
11:45

隠されたような地下鉄 覚王山駅の通路。
揚輝荘へ行く前に、隣接する日泰寺へ立ち寄ることにします。
日泰寺前にある交番。

こっちの方が気になるな。w
昭和中期に建てられたのでしょうか、ある意味歴史を感じさせます。
日泰寺に来るのは50年ぶり。
来たと言っても、拝観したことはありません。
高校2年の時、この近所に住む1年下の女の子が「日の出がキレイです」と言ったので、元旦に門の前から初日の出を見たのでした。
もちろん一人で。

門を固めるのは、仁王様じゃないんだ。
12:15

大きな本堂に五重塔と立派なお寺です。
ちょうど永代経の時間で、大勢の人が始まるのを待っています。
それなりの費用がかかるようですが、皆さん親族なんでしょうか?

タイ王国との交流があるようです。

日泰寺を出てすぐにある、千躰地蔵堂。

千仏思想から作られたもので、仏教が広まった地域の各地にあるそうです。
特に念ずることもないのですが、お参りは させてもらいました。
12:30

覚王山新四国
無料休憩所があると書かれています。

そうとう年季が入ってますね。
厩戸皇子像もあります。
もう、紙幣でお見かけすることもなくなりましたねぇ。
無料休憩所は見当たりません。
と言うか、休憩したくなる距離じゃないですし。
もしかすると弘法大師の月命日である21日には、賑わうのかも知れません。
この状態からは想像できませんが。
日泰寺のすぐ近くに揚輝荘の北園がありますが、建物をゆっくり見たいので、南園から入ることにします。
日泰寺の表参道は、マンションや新しい家が並んでいます。

半世紀前とは、ずいぶん変わったのだろうと、遠い記憶をたどります。
住宅街の奥まった場所にありました。

昔は高いマンションも近隣には家もなかったでしょうが、そのつもりでないと、通過してしまいますね。
12:40

避暑地にあるロッジみたいと言いますか、どう表現したら良いのか分かりません。
この建物が
「揚輝荘」だと思っていたのですが、敷地全体をそう呼ぶらしく、これは「聴松閣」という名だそうです。
何も調べてこないので、来て初めて知る…です。
こちらも拝観料100円で、すみませんです。

昔はこの庭を小川が流れていたそうで。

旧食堂
現在は休憩室として使われていて、頼めばコーヒー・紅茶・緑茶を飲むことができます。
右上の装飾「うとい」は、揚輝荘の旧所有者 伊藤家の名。

外壁の装飾には、自然木がそのまま活かされています。
二葉館とは違い、オーソドックスなレイアウトの階段。
手すり手前に置かれた柵が興ざめではありますが、身を乗り出したり、スマホを落としたりと危ないことがありますから、致し方なし。

手すりに柱、壁に至るまで あらゆる木材に手斧を用いた「名栗」や透かし彫りが施されています。
広大な敷地。

隣接する、日泰寺と同じぐらいの面積がありますね。

2階から見上げています。
最上階は立入禁止となっています。
開閉できる扉も設置されていて、日射量や換気を季節に応じて調整したのかも知れません。
こういった構造が海外からもたらされたのか、日本で考えられたのかは分かりませんが、昭和の初期に建築されたことに感心します。
天窓の梁にさえ「名栗」が施されていますね。

来賓のために使われた寝室。
天井には鳳凰。

この部屋は中国装飾だそうです。

様式便座が設置されていたトイレ。
この下には、中央の階段があり、上は例の最上階。
自然換気が考慮されているようです。

トイレ前は、独特なレイアウトになっています。
意図は考えつきませんが、何かわけあってのことでしょう。

洗面所。

和室はこの部屋だけ。
ここで寝泊まりするのかと思ったら、更衣室として使われたそうです。
地下に下りてきました。

地下という言葉から、狭いことを想像していましたが、総地下になっていました。

松坂屋創立者である伊藤祐民氏は、ふとした縁がきっかけでミャンマーと関わりあり、インドも旅行もしたようです。

舞踏室
平民はどこにいたらいいのか分かりませんね。
ここもまた細部にわたって装飾されています。

舞台もあります。
地下ゆえ照明は必要ですが、地下にありながら採光窓のおかげで、暗闇にはならなかったでしょう。

右奥には小部屋があります。
用途は明記されていませんが、礼拝室とも沐浴室とも見えます。

採光窓のガラスには、山が描かれています。
どのように作られたのか分かりませんが、手の込んだ仕事です。

採光窓の背面には、このような空間があります。
胸より高い位置にあり、通常使われるものではなさそうです。
こんなところまでタイルで模様が施されています。
陽の光をうまく取り込む工夫なのか、換気の役割があったのか。
この小部屋から、向こう側 舞台まで続いているので、マジックショーにでも使われた?と考えてしまうのは俗っぽい発送かな。

レリーフ類もすごいですが、照明のガラスまで細工されていてため息が出ます。

外見からも大きな建物であることは分かりますが、こうして見ると 改めて距離感を実感します。

謎のトンネル。
防空壕とも隠し部屋とも、ハッキリとした用途は分かっていないそうです。
生活すらできるような造りだったそうで、単なるトンネルではなさそうです。
揚輝荘の敷地、半ばにマンション群が建造されたため、残念ながら現存するのは聴松閣にある部分のみ。

スタンプも忘れずに。
揚輝荘で、ウォーキングラリーは終了。
二葉館もきれいだったけど、聴松閣はまた違う美しさと迫力のようなものを感じました。
各部屋それぞれに異なるデザインが施されていて、一部屋を半日一日見ていたいほどです。
駆け足で通り過ぎるには、あまりにもったいない。
水曜日と土曜日には庭も見学できるそうなので、改めてゆっくり訪れることにしましょう。
南園を出て、北園へ向かいます。

もともとの敷地は北園までつながっていたそうで、その間の土地が売却となって分断されたようです。
とんでもないところにマンションがあるな…と思っていましたが、これだけの面積を維持するのは並大抵ではなかったでしょう。
聞いた話では、そもそも伊藤氏が敷地の中央にマンションを建てた(日本初)のだそうです。
その後、そのあたりの土地を売却した結果、北園南園に分かれた現在の状態になったとか。
現在は寄贈されて、名古屋市の管轄下にあります。
マンション脇の細い路地を抜けると北園。
残った昔の土壁。

伴華楼(バンガロウ)
中を覗くことはできますが、残念ながら上がることはできません。

井桁に藤だから、井藤?と思ったら、伊藤氏の藤に、結束を象徴する井を組み合わせた商標。
未だ、
松坂屋のマークとして生きています。

東の端には、チェック柄の暖炉の煙突。
この端の部屋だけが、洋風に造られています。
和洋折衷ならぬ、和洋合体。

白雲橋
三賞亭
良いものを拝見しました。

園内を整備している人たちにお礼を告げて、今日はこれで帰るとします。
14:05
何となく、あっちが覚王山駅だろうな~とブラブラと歩きます。
月見坂から

右手に見える、教会っぽい屋根は
「昭和塾堂」と呼ばれる建物だそうです。
このあたりは「お屋敷」が多いおかげで、歴史資産の異世界から突然 日常に舞い戻るショックを和らげてくれます。w
14:15
再び覚王山駅から、地下鉄に乗ります。
スタンプが集まったので、金山観光案内所で配布されている景品をもらいに行きましょ。
まぁ、缶バッチもらって嬉しいほどでもないですが、いちおう完了した証ということで。

今日は誕生日に娘からもらったスニーカーを履いて歩いたのですが、サイズは合っているのに足が痛い痛い。
帰る頃には足を引きずってました。
次回は、
いくら歩いても痛くならない安全靴にしますか。
一部の展示物を除けば撮影OKとのことで、写真やビデオで写しまくりましたが、画像ではまるで伝わらないので、興味のある方は、ぜひ足をお運びください。
文化のみち(徒歩4km)
日泰寺・揚輝荘(徒歩5.5km)