兵庫の西宮市に住んでいた頃の中学二年の同級生とは未だに交流が続いてる。
最後に集まったのは、担任のクミコ先生が亡くなった2019年9月。
LINEを使うようになって、以前より気軽に連絡を取り合うことができるようになったのは大きい。
そうは言っても、頻繁にやり取りするほどでもないんだけどね。
久しぶりに書き込みがあった。
単身赴任で芦屋市に住んでいたマサくんが、この6月を以って家を構える鎌倉に戻ることになったそうだ。
気軽に会える距離でもなく、次に会えるのはいつになるか分からないので、急遽送別会を開くことになった。
当初は遠方であることを理由に欠席にしていたんだけど、急に気が変わった。
こういう機会を一度逸すると、次の機会は巡ってこないもの…
そんなことが頭をよぎった。
それと、なぜか45年前のクラス会にオートバイで出かけた時のことが思い出されて、無性に走ってみたくなった。
会は18日の晩。
16日の夜、幹事をしてくれるカヨちゃんに出席を連絡した。
今回はXLR。
往復400kmていどの距離ならモンキーでも平気なんだけど、45年前はXL125K2で行ったこともあって、何となく。
いつものツーリングより緊張する。
行き先も時間も決まっているから、着かなくてもイイや、とはいかない。
夜中に走ることも考えると、無用なトラブルも避けたい。
オイル量の点検と空気圧だけでは不安で、バッテリまで交換してしまった。
迷ったりしなければ、片道6時間程度と予想。
9時過ぎに出発しても余裕でしょ。
会場のある西宮北口駅をgooglemapで見ると、昔とはまるで変わっていて、どこがどこやら分からない。
とにかくやたらと一方通行が増えているようで、ちょっと間違えると同じ場所に帰ってこられない気がする。
天気はと言うと、天気予報は雨から曇天、晴れになり、また曇天。
数時間ごとに変わるので、気忙しい。
雨でもオートバイと決めているのだけれど、それでも降られないにこしたことはないな。
家にいてもやることもないし、そろそろ出かけますか。
08:30
国道23号線。
曇り空を背景にすると昔の四日市を思い出してしまう。
もう公害の街ではないのだけど、この景色を見るとね。
09:40
国道1号線を離れ、旧25号線へ。
チラリと「通行止め」の看板が見えた。
でも、原付二種に他の選択肢はないもんなぁ。
加太町に差し掛かると、警備員さんに止められた。
法面工事で、二輪車も通れない状態なのだそう。
迂回路を教えてくれるのは良いけれど、
「この道、地元の人も避けるぐらいだから、伊賀上野とか回った方がいいよ。」
何にしても通行できないのだから迂回するしかない。
10:30
しばらく走ってみたけれど、迂回路が細くて見落としてしまったよう。
曲がらなくちゃいけないことは分かっていても、そこまでの距離が分からない。
東屋が見えたので停止。
なにかキッカケがないと、止まれないものです。
近隣の人たちが整備した公園らしいけど、人が来ないからかあまり手入れされている様子もなく。
子延川かえで渓谷公園
10:40
奥まで散策路があるようだけど、今日はあまり余裕がないので少しだけ。
山の川の流れはどこで見ても気持ちいいな。
推定樹齢400年の楓。
立派なものです。
ここに来たのも道を間違えたからこそ。
嬉しい。
少し戻ると北に上る脇道が見えたので、入ってみた。
たぶんこれが迂回路なんだろう。
県道679号
途中道幅がやや狭く、路面に苔が生えている区間もあったけど、思っていたほどのことはなかった。
(この道、教えてもらったのとは別ということを知ったのは、帰宅してからのこと。)
小雨が降り出したけど、カッパを着ている内に小降りになった。
まぁ、路面が濡れてるだろうし、薄ら寒いので着たまま走りますか。
10:55
自然の景色も好きだけど、人の営みが共存している景色もまたいい。
11:10
柘植近くで旧25号を通過し、県道49を北上。
間もなく左折し県道674号を西に向かう。
途中からR422。
たぬきの焼き物が出迎えてくれるので、信楽に来たことはすぐに分かる。
11:40
交野市に入ると大渋滞。
進まないので、地元の車について枚方市まで裏道。
その枚方市が混む混む。
すり抜けは危ないので、車と一緒にトロトロと。
カッパ 脱いでおきゃ良かった。
13:15
また地元車にくっついて、商店街を通ったり団地の中を通ったり。
13:40
大阪万博の跡地かな?
1970年。
小学生の頃、一人で10回ぐらい見に来たっけ。
厳しい親だったけど、なぜか何処かへ出かけることについては寛容だった。
西宮から祖父母の住む名古屋まで、一人で電車に乗って行き来してた。
ボクの放浪癖の素地は、親のせいかもしれないな。
スムーズに走れたのも束の間、千里ではR2は延々大渋滞。
気温は30℃近いので、カッパの中はサウナ。
ローソン駐車場の木陰を借りる。
ただでは申し訳ないので、オニギリを1個。
水を買うの忘れた。
ここ10年ぐらい、家を出て帰るまで、飲まず食わずが多いから、事故よりも熱中症であの世へ行く率が高い。
あの世↑ならいいけど、日頃の行いが良いから あの世↓確定だけどね。
その後は順調。
伊丹とか枚方って、はるか彼方と思っていたけど、あっという間なんだね。
国道171号線は通称西国街道。
大阪万博の時は、インド象の行列がこの道路を歩いたっけ。
昔住んでいたのは、このすぐ右手だ。
14:50
19:00の開宴まで4時間あるので、通っていた学校を回ってみよう。
10年も住んだ街なのに迷った。
半世紀の間に家が建てかえられたこともあるけど、阪神淡路の震災後 広い道が通って景色が変わったことも大きい。
何より子供の頃の「遠く」は、オートバイだと瞬間。
まぁこれはこれで面白いんだけど。
こういう時は、土地の人に聞くのが一番。
石屋さんで学校の方向を尋ねたら、とても親切に教えてくださった。
もし墓石を作ることがあったなら、このお店に頼みたいとマジメに思った。
そんな年齢なんだよ、冗談抜きで。
15:10
関西学院キャンパス。
2009年のクラス会で施設をお借りしたな。
カヨちゃんは近所の子から学生服を借りて着て受付していたのには参った。
色んな意味で。(笑)
関学には何度か入ったことがあるけど、周辺に田んぼが残るような時代だったから、当時の記憶と重ならない。
15:20
懐かしい甲陵中学。
懐かしいと言っても、ぼくらが通っていた頃とは正門の位置が変わり、当時の木造校舎もない。
この前 アイでぶらりと来たのは2012年の夏。
ちょうど10年前だ。
15:30
校舎の半分は建て変えられたけど、体育館にプール、グラウンドからの眺めは変わらない。
ここからの景色が変わらないのは、山のてっぺんに位置することと、関西学院と県立西宮高校が隣接しているから。
当時はヒョロヒョロだった(と思う)ユーカリの木は、見上げる大木になっている。
自分が成長していないのが情けない。
当時は1クラス42人か43人で、1学年13クラスのマンモス校だったけど、今はどれぐらい生徒がいるんだろう。
2年生の時の教室は、部屋が足りずに建てられたプレハブだった。
どうして13クラスもある中の「6組」だけがプレハブにされたのか知る由もないけれど、 今にして思えばそれが未だに続く強い結束の根本にある気がする。
部活で卓球をする生徒の姿と、どこからかブラスバンド部の楽器の音が聞こえる。
みんなもたくさんの友達と良い思い出、いっぱい作りなさい。
15:50
通学路。
この長い坂は開発が止まっていたようで、長年家なんか建っていなかった。
左の電柱横にチラっと見える茶色の屋根は神戸女学院。
ある番組で「神戸にある神戸女学院」と紹介されたことがあったけど、ここにある。
学校帰りに遠回りして、キャンパス内を通ったことがあったっけ。
自分は女子大に縁はないけど、お向かいのご主人が教授をしておられたので、近い感じはしていたな。
広田小学校
大人になった今見てもでかい。
転勤族が多かったから、年に一人二人転校していくのも珍しくなかった。
遊具は左手にウンテイと砂場があったかな。
こんな長~いすべり台はなかったね。
中庭は当時と変わらず。
奥に、校舎が増設されてる。
アポロが月に着陸した年、構内の掲示板には長い間「リニアモーターカー」の記事が貼ってあったのを今でも覚えてる。
実現まで半世紀を要したんだな。
16:00
飛行船が流行った頃で、飛行船が飛んでくるのを教室から見上げた記憶がある。
「キドカラー号」だったかな。
小学校からは遠くが見えたけど、子供の興味の対象ではなかったようで、あまり記憶にない。
マンションを除けば、そんなに変わったような気はしない。
ぼくの住んでいた街は、けっこう平屋建てが多くて、そのおかげで震災でも倒壊を免れたお宅も多かったらしい。
ボクが住んでいた家は、震災で倒壊して長年空地になっていたけど、その後駐車場になり、今日訪れたらマンションが建っていた。
基礎が残った空き地に立てば、ここにシュロの木が2本あって、玄関があって、物置があって、、
そんなことを懐かしむことはできたけど、もう難しいな。
16:20
近隣は建て直されたお宅もあるけど、多くがそのままで、表札も変わっていない。
挨拶して回りたい気もあるけど、たぶん世代が変わってしまってるだろう。
角にある(あった?)パン屋さん。
時々、日曜の朝 菓子パンを買いに来た。
父がヘビースモーカーだったから、父の日に「わかば」とか「echo」とか買ってプレゼントしたっけ。
子供がタバコ買うなんて、今では考えられないね。
あちこち歩いて見て回った。
今晩会う友達が 昔住んでいた家も残っていた。
建物は変わっても、変わらない川筋を見ると、ホッとする。
一方通行だらけになってしまったので、オートバイを置かないとゆっくり回れない。
この先に西宮北口駅があって、橋の南西角に交番があったっけ。
小学校3年か4年だったろうか、道で10円を拾ったので交番に届けたら、おまわりさんがご褒美だと言って自分の財布から10円を出してくれた。
子供ながらに滑稽だと笑ってしまった。
16:50
駅に到着したけれど、周辺があまりにも変わってしまったので、何となく近寄りがたい。
駐輪場を探してみると「原付・自転車」はOK、「自動二輪」はNGばかり。
原付二種と言っても通用しないので、交番で聞いてみることにした。
17:10
あいにくご不在。
「御用の方は電話で呼び出しを」
掛けてみた。
電話の向こうでネット検索してくれている。
「自動二輪OKのところ、見つかりませんね。」
まだ2時間弱あるので、周辺をぶらぶらと。
いい時間ツブシ。
交番の北 500メートルほどの所に「自動二輪」を明記した駐輪場を見つけた。
ありがたいことに、3時間無料で延長しても250円。
17:30
カッパをたたんだりガサゴソしているところへ、自転車に乗ったお兄さんが近づいてきた。
見ればUberの人。
「おしゃべりしてても大丈夫すか?」
いゃ、あなたこそお仕事中に大丈夫?
「自分、免許ないんすけど、オフロードバイク好きなんすよね。」
「名古屋から? でも全然ナマリがないすね?」
まさが方言の話題になるとは思わなかった。
あぁ、たしかに。
意識しているわけじゃないけど、方言は使うことがない。
よくよく考えると、自分の知る限り 親戚にも 明らかな名古屋弁三河弁を使う人はいない。
方言使わない家系なのかね?
Kバカ市長の功労か、下品で汚いのが名古屋弁というのが定着してしまった感があるけど、昔の名古屋弁は京都弁にも似た感じ。
もうそんな名古屋弁を話す人とお話する機会もなくなったな。
「お忙しいところ、すんませんでした。」
いぇ、とても楽しかったです。
お仕事がんばって。
あと1時間ちょっと。
じゃまなヘルメットとジャケットをコインロッカーに放り込み、会場と往復しておこう。
帰りは真夜中。
慣れない連絡通路で迷って時間をロスしたくないからね。
改札口で「今夜泊めてください」と書いた男の子の前を何度も通過。
街中で野宿するのは安全ではないとは言うものの、ナニユエこんな人の多い場所にやってきたのでしょ?
けっきょく迷いながら4往復して、毎回違うルート。
いちばん確かなのは「あっちの方」という方角。
だんだん自分の知らない土地になりつつある。
それは仕方のないことだ。
あれは小学校の遠足で行った甲山か。
山並みと学校が残っているだけでも幸せだな。
予約してある「梅の花」の前で、通り過ぎる人たちを眺めていたら、おぉ、いま入っていったのはマリちゃんじゃない。
そう言えば、マサくんと幹事のカヨちゃんの他に誰が来るのか知らないんだった。
18:40
来週 鎌倉へ引っ越すマサくんと隣にジュンちゃん
マリちゃんに
カヨちゃんとケイちゃん
急な会だったこともあって参加は少人数だったけど、その分みんなといろいろ話すことができた。
ぼくには考えることもできない苦労を重ねて、今なお 友達を案ずる子もいる。
自分は何をしてきたのだろうと、恥ずかしくさえなる。
昔の話もたくさんした、今の自分のことも話した。
この歳になってお互いのことを知る機会が得られたことに改めて感謝。
「バイクで来たの!?」で始まり、
「これからバイクで帰る!?バカじゃない!」と呆れ顔で見送られたクラス会。
次はいつになるだろう。
彼らとはいつでもまた会えるな、そんなことを思いながら夜道を名古屋へ。
21:30
R2を走り、淀川から見える大阪の夜景。
20:10
しまった、ガソリン入れるの忘れていた。
どこにでもあると思っていたら、大阪市内はガソリンスタンドが少なくて、一つ逃すと次が遠い。
高い土地代ではやっていけない商売なんだろう。
どこにでもある名古屋とは違う。
24時間営業の店で給油。
これで「ナニゴトモナケレバ」名古屋まで大丈夫。
22:30
懐かしいと言っても暗くて景色は見えない。
R163をひた走る。
こんな道だったかな。
速い車は80km/hぐらいで走っているので、自然とハイペースに。
もうじき日が変わるな。
11:30
道の駅 みなみやましろ村で小休止。
特に疲れたわけではないけれど、この先 通行止めが控えているので何があるか分からない。
常時トイレを開放してくれているので助かるね。
今日の月は低くて赤い。
月を眺めながら暑い缶コーヒーで一息。
00:05
柘植からR25に乗り、問題の加太町工事区間に到着。
林道では見飽きるほど見る看板が、R25頼みの原付には絶望的。
さて、覚悟を決めて行くとしますか。
昨日の朝通った印象だと、道幅もあるから大丈夫でしょ。
ところが、入り口からしてオカシイ。
確かに県道677と書いてはあるけど、道幅が軽自動車なら通れるぐらいしかない。
来た時、こんなんだったっけ?
進むと真っ暗。
赤い月だけが見える。
そうだ、HIDからLEDに交換して夜間走行するのは初めて。
変えるんじゃなかったな。
来た方を振り向くと、何も見えない、何の音も聞こえない。
たぶんライトを消したら、鼻をつままれても分からない。
いつもは記録専用に持ち歩いているGPSレシーバだけど、文明の利器のお世話になろう。
道はうねり、濡れた路面には落ち葉と苔、おまけに夜霧まで出てきて、たかだか5キロを15分もかかってしまった。
暗くて崖や谷があっても見えないので、意外と怖くはなかったな。
こんど明るい時間帯に来てみよう。
鹿が多いことには驚く。
暗闇の中、何匹も飛び出してきた。
人が招いたこととは言え、近隣に住む人たちの苦労は察して余りある。
加太町をあとにして、四日市からR23で突っ走るだけ。
02:40帰着
今回走行:410km
消費燃料:10.9L
全工程
昔住んでいた地域と学校巡り
R25の工事で加太町迂回
帰って地図を見るまで、間違えていたことを知らず。