
ボクの職場は、東京都品川区五反田。
飲食店のキャパを遥かに上回る勤め人が働く街で、ランチタイムはどの店も長蛇の列。
一方、夜は密集する飲み屋と風俗店が、妖しい機能を働かせます。
はたまた、島津山、池田山の高級住宅街も至近、美智子さまのご実家、旧正田邸が存在したことでも知られています。言うなれば「カオス」でしょうか。
そんな五反田に、今もひっそりと、半ば廃墟と化した大きな元旅館が佇んでいます。
名前は「海喜館(うみきかん)」。玄関です。
五反田で働き始めて7年半が経ちました。3,4年前までは玄関は常にオープンにされていましたが、今はご覧の状態。当時はまだ、右側の壁に行燈式の看板が取り付けられていましたが、跡形もなくなりました。
その当時ですら人の気配は殆どなく、本当に営業しているのかと首をかしげたものでした。実際、ネットを見ると、興味を抱いた方が予約をしたい旨の電話を入れると、「目的」を問われ、断られるケースが大半だったようです。
去年夏、この元旅館の土地を巡り、所謂「地面師」に積水ハウスが63億円を騙し取られたとの報道がなされて驚きました。
玄関です。
中は荒れておらず、落ち葉等もきれいに掃き清められています。
大きなものではありませんが、円形の車寄せが特徴です。
五反田は、大塚などと並び所謂「三業地」として有名でした。そうした背景から、ネットの世界では「待合」だったのではとの推測が掲載されています。でも、待合にしては建物が矢鱈と大きく、そうだとしたら、こんな車寄せは不必要なのでは、と思ってしまいました。
玄関左に伸びる壁です。
波を打ったかのように歪んでいます。
左には竹垣が。
ここだけ見れば、現役の純日本建築を思わせます。
竹垣に続く、目黒川に面した北東面の壁。
ここもご覧のような状態です。
唯一残る、壁に埋め込まれた名称板。壁にはほぼ等間隔にこれが並んでいましたが、今残っているのはこれだけです。
勝手口と思われます。
半ば朽ちています。
勝手口の上、二階部分です。
雨戸袋が懐かしい…。
その直下です。
既に壁は取り払われ、ご覧の状態です。多分、1年か2年前のある日、こうなっていました。
この部分の劣化が最も激しく、いつ倒壊してもおかしくない状態でした。
黄色と黒の柵の奥には、立派な土蔵が!
ボクが待合ではなかったのではと思った理由の一つが、この土蔵の存在です。
羽振りの良かったお金持ちが車で乗り込み、芸者などをよび遊興に浸ったのでは…。当時、「つけ」や「顔」払いはあったとは思いますが、芸者などに払うお金は現金払いのはず。大金を懐に忍ばせて来館、旅館は預ったお金をここに保管したのではないかと思ったのでした。
土蔵の下。ここは壁が残っています。壁の瓦から雑草が生えています。
玄関と正反対の端です。
左が土蔵の背中です。
横に細長い窓が。
便所の床面に取り付けられた、換気目的の窓と思われます。
ボクの祖母宅がこうでした。
裏へ回ると、駐車場奥の壁越しに、行燈式の「孔雀 定員2名」の看板が。
本体とは別の建築です。
「定員2名」との注釈、ここは「待合」だった可能性も…。
「孔雀」前の木戸。高さ120センチほどです。
玄関から入るには忍びない、訳ありのお客様が、背を屈めて通ったのかも…。
これも別棟です。
この右先を進むと、30メートルほどで正面玄関、丁度一周です。
総じて考えるに、「お金持ち相手の「どんちゃん騒ぎの場」としての機能と、「待合」としての性格を合わせもっていたのではと想像しました。
この二つの機能が最初から併存していたかは分かりませんが、旧い建築だけに長い時間を掛けてこの最終形に辿り着いたようにも思えます。おそらく、増改築を繰り返し、こういう二面性を持つに至ったのではないかなぁ…。
名建築ではありませんが、時代の趨勢をここまで見守って来た建物が、今、風前の灯です。
ここを通り過ぎた人々の数々の人生を想像しながら、小雨の中でカメラを仕舞ました。
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Posted at
2018/09/24 16:36:40