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ArtBlakeyのブログ一覧

2021年03月28日 イイね!

洗車しました!

洗車しました! 昨日3月27日、土曜日。
 2週間前の須坂往復や、夜露に濡れたまま毎朝未明の通勤に乗ったことが原因で、ロードスターは土と埃にまみれてしまいました。母は朝からデイサービス。午前中に買い物と家事を済ませ、午後から洗車をしました。両手が塞がってしまい、あまり写真はありません。



 全体に強めの水圧で水を掛けながら付着した土埃を入念に洗い流しました。なかなか取れない個所は、指先で拭いながら取り除きます。



 バケツの水にカーシャンプーを入れて撹拌、泡立てます。
 幌から開始、流水を掛けながら入念に洗います。

 今回、フロントガラスの「うろこ汚れ」が酷く、「グラス・ストリッパー」というケミカルを使用しました。付属のスポンジに木工用ボンドに似た半ネリ状の液を含ませ、水で洗った直後のガラスを、弾かなくなるまで磨きます。最後は水で流すだけ。洗車時に併用すると効率的です。おかげで視界が良くなりました。塗布中の写真は撮り忘れました。ごめんなさい。



 愛犬ぶれいきーです。
 母はデイサービスで不在。ボクが外で何かやっている様子がわかるのか、室内でギャンギャン鳴き始めました。近所迷惑なので連れ出し、クルマの横で見学させました。

 

 プロフィールにも書きましたが、このロードスターはおよそ15年前、ボクのもとへ走行4万キロ強でやって来ました。

 亡き元妻は長く拒食症とアルコール依存症を患い、ある専門病院に3年近く入院しました。ところが医師の指導に従わず、最後は強制退院に。この時、医師から「このままではあなたも息子さんも共倒れになる。離婚しなさい」と進言されました。
 
 9月に川越家庭裁判所で調停離婚が成立、彼女は東北地方の実家近くにアパートを借りて独り暮らしを始めました。ところが翌年5月、調理中にコンロの火が衣服に燃え移り、首から下の全身に重度3の火傷を負い、3日後に亡くなってしまいました…。

 当時、あるミニバンに乗っていましたが、家族3人で楽しかった頃の想い出が詰まっていました。とてもいたたまれなくなり、即座に手放しました。
 代わりに何に乗ろうかと、いろいろ考えました。
 1年間に2度も母親との別離を経験した息子のことを考え、一緒に乗りながら話が出来ると思い、マツダのディーラーに並んでいた中から選びました。

 そんなロードスターですが、8年が過ぎようとした頃、あちこち具合が悪くなりました。アール・エス・アイザワさんで車検時2回に分けて「大手術」を行い、漸くここまでになりました。今ではこのロードスターに「思い出」が満載の状態。男寡にはなりましたが、元妻を亡くした後の人生の「伴侶」となりました。

 およそ4年前。
 2度目の大手術で、オールペイントをやりました。
 i-phoneでの撮影ですが、下塗り状態の写真をご紹介します。







 この色「スパークリンググリーン」というそうですが、塗装の劣化が酷く、ボンネットを汚いクリーム色の「あばた」が覆っていました。その2年前には「中」を徹底的に直したので絶好調!みすぼらしい外観なのに良く走る「珍妙なクルマ」状態が2年間続きました。今では当時を思い出すと、笑いが漏れます!



 ワックスで仕上げました。
 平成9年型、既に20年、17万キロを越えました。
 たまにグズりますが、頻繁な須坂往復でもよく走ってくれます。
 これからも大事に長く乗ろうと思っています。



 使用した製品です。
 中央が「グラス・ストリッパー」。フロントガラスの視界が確実に良くなります。お悩みの方にはお薦めします。



 室内を掃除しました。
 このバキューム、音がデカいのが難点ですが、吸い込みは強力です。



 自作した革製のセンターコンソール、ブレーキブーツ、シフトノブカバーは、色褪せが顕著になりました。染め直すか、再製作を検討中です。



 時間に余裕があればW1Sを磨くつもりでしたが、既に夕刻。次にすることにしました。

Posted at 2021/03/28 14:10:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | ロードスター | クルマ
2021年03月28日 イイね!

ホンダT360

ホンダT360 自宅から車で5分ほど、旧いオートバイを販売するお店があります。
その前に、時々、こんなステキな軽トラックが停まっています。



 ホンダT360。
 同社初の四輪自動車として、1963年に発売されました。
 何と360ccにしてDOHC直列4気筒!

【概要】​

1963年8月1日に発売された。

日本初のDOHCエンジン(2バルブ)搭載車であり、ホンダ初の4輪自動車でもある。当時のホンダの4輪開発担当責任者は、中村良夫。また、本田宗一郎がまるまる一台関与した唯一の車でもある。当初ホンダはS360(ショーモデルのみで発売されず)やS500といったスポーツカーの開発を進めていたが、専務の藤沢武夫が「(当時の)4輪車の需要は商用車の方が多いこと」「まだオートバイの販売網しかないホンダ販売店で売るための車」という点を考慮し「冬にバイクの代わりに売れるもの」「オートバイ店でも扱えるもの」として軽トラックの発売を進言したことからT360の開発は進められた。1962年の第9回全日本自動車ショウでは、S360などと同時に展示されていた(『360cc軽自動車のすべて』三栄書房 52頁参照)。

外見は短いノーズを持つセミキャブオーバー風のレイアウトであるが、エンジンはフロントシート下に収められており、フレームはハット断面を持つサイドフレームから構成された梯子型で、フロントサスペンションはウィッシュボーン・コイルスプリング形式、リアはコンベンショナルなリジッドアクスル・リーフスプリング形式が採用されていた。

エンジンはS360用に開発された水冷直列4気筒エンジンが流用されたと言われているがこれは誤りで、軽トラックの試作車3X-120の空冷直列4気筒エンジンが水冷化される段階で、T360(XAK-250)とS360(TAS260)が共用できるように設計されたものである。 この水冷直列4気筒エンジンは鋳鉄製のスリーブ以外はオールアルミニウム合金製で、わずか360ccで30PS/8,500rpmと、軽自動車エンジンが20PS程度に留まっていた当時としては異例の高回転・高出力型となった。

前期型(AK250型)は4気筒エンジンの各気筒個別に京浜精機(現・ケーヒン)製キャブレターを4連装備、あるいは三国工業(現・ミクニ)製双胴型キャブレターを2連装備したが、これは原型となったスポーツカーS360そのままの手法であった。トラックのエンジンとしてはメンテナンスやコスト面で得策でなく、後期型(BKと呼ばれるが正式な型式ではなく、ホンダSFなどではAK250改と呼称)はシングルキャブレター仕様となっている。

サイドブレーキおよびシフトレバーはステアリングコラムの右側に配置されているが、これは助手席に子どもが2名乗せられるようにとの配慮であった。

前期型では発電機は当時実用化されたばかりの交流発電機(オルタネーター)が採用され、日立製作所や日本電装から供給を受けていた。このオルタネーターはプーリーにラジエーター冷却用の強制空冷ファンが取り付けられており、12ボルト/250ワット(約21アンペア)の発電量を有していた。T360のオルタネーターはS360とも共通で後にS500にも採用されていたが、T360のみの特徴的な点として、オルタネーターの後部にインテークパイプが取り付けられ、その先の濾紙式のエアクリーナーボックスを介してエンジンへと新気を供給していた。オルタネーターの回転子を遠心分離機として機能させることでアンダーフロア・エンジン(オランダ語版)レイアウトでもより清浄な空気の取り入れが図れる、野心的な設計であった。クランクベアリングにはバビットメタルを用いず、過去にホンダが手掛けたロードレーサーやRA271の技術をそのまま転用した組立式クランクシャフトとローラーベアリングの組み合わせを採用。ラジエーターは2つ取り付けられており、外気温度とエンジン水温により2系統を使い分けるという水温制御が用いられており、片方のラジエーターで温められた空気が運転席に直接取り入れられる事で、カーヒーターの機能をも実装していた。

しかし、これらの野心的ではあるが複雑な設計は、販売後程なくして複数回の設計変更を受けることとなり、発電機は後期型ではオルタネーターとセルモーターが一体化したダイナモスターター(英語版)に変更され、冷却ファンはクランクシャフト直結型となった。4年の販売期間でシリンダーブロックの設計変更は9回、クランクシャフトの設計変更は6回にも及び、同じT360でありながらエンジン番号が僅かに違うだけでも発注した部品が取り付けできなくなってしまう程であった。ロータス・カーズを参考にした水冷機構は故障が多く、組立式のクランクシャフトと極細のニードルローラーベアリングは組立指定工具にピンセットが用いられるという、同時期のホンダ製オートバイ用エンジンやS600/S800用エンジンなどに精通した整備士であっても分解整備やオーバーホールに二の足を踏むほどの難物でもあった。組立式クランクシャフトを選択した理由は当時のホンダに一体式クランクシャフトを製造する大型工作機械が無かったことによる苦肉の策であるが、ニードルローラーベアリングの採用は極度の高回転エンジンで市場を驚かせることに固執した本田宗一郎の強い要望に因るものであり、中村良夫本人は「必ずしもローラーベアリングが必要だとは思わなかった」という。また戦前、三式戦闘機のハ40の設計・製造に携わり、戦時体制下におけるニッケルやクロムなどの重要資材の欠乏から、ニードルローラーベアリングをはじめとするエンジン部品の製造品質の悪化に悩まされた苦い経験を持つ中村の執念から、T360のエンジン資材には当時の最高級品が惜しげもなく用いられたが、その結果エンジン1機の製造原価が車体の販売価格を上回るとすら噂されるほどのコスト上昇を招く結果を生んだ。中村は後年T360のエンジンを「オバケエンジン」と振り返ったが、実際に購入した顧客層の特殊性故か「顧客からのクレームは何故か無かった」とも述べていた。後年この時期のMade in Japan製品の数々を取材した藤沢太郎は、T360を評して「この軽トラは始めから間違っていた」と総括した。

1966年10月、一部改良に伴い、灯火器及び反射器等に関する法規に対応するためフロントフェンダーの左右側面に小丸型のサイドターンシグナルランプが装備された。

1967年11月、N360用と同一の空冷2気筒SOHCエンジンを搭載したキャブオーバータイプの後継車TN360に道を譲り販売終了。

T360は4年間に10万892台製造販売されたが、この4年間で国内他社の軽トラックの合計販売台数は154万3154台に上り、T360の市場占有率は僅か6%程度であった。

(※以上、ウィキペディアより)



 やっぱり「三角窓」!
 メーターといいコラムシフトといい、雰囲気はバッチリ!
 後付けの小型扇風機もシブい!
 ナビはアンバランスだけど、今では欠かせませんからネー。

 こんな「セカンドカー」が欲しいナァ…。



 消え掛けていますが、リヤには前のオーナーと思われるお店の屋号が! 
 きっと毎日、大量の商品を荷台に載せ、お客さんに運んだことでしょう。
 「ちっちゃな『働くクルマ』に感動しました。

 【今日の「オマケ」!】







 このバイク屋さんの中古車です。
 ナンと、メグロが最後に発売した、SG250ではないですか!
 既にカワサキと提携後、正式には「カワサキメグロ」でした。
 なので、タンクやエンジンのブランド名は「カワサキ」になっています。
 直ぐに売れてしまいました。



 ウィンドの中には、リフト上にホンダのバイクが。
 CB72(250cc)かと思いきやCB77(305cc)。
 今では立派な「珍車」ですが、非売品とのことでした。


Posted at 2021/03/28 09:45:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他クルマ・バイク | クルマ
2021年03月28日 イイね!

食事処 丸長(長野県長野市)

食事処 丸長(長野県長野市) 3月14日の土曜日。
 難聴の治療で長野県須坂市を訪れました。
 本来この日は予約しておらず、大型教習から撤退したため急遽お願いしました。通常は朝7時から治療を受けますが、この時間は先約が入っており、9時からとなりました。
 終了後、市内にある「田中本家博物館」を見学すると既に11時。お昼に以前から行きたかったこちらを訪れました。



 「食事処 丸長」さん。
 丸長の屋号を名乗るお店は、荻窪が発祥の「丸長のれん会」に所属するお店が、東京を中心に関東地方とここ長野県に存在します。長野では須坂市、中野市、それにこちらの3店。また嘗ては湯田中にもあったようですが、現在では存在を確認出来ておりません。
 中野市のお店は、阿佐ヶ谷で修業された先代が上池袋で独立。その後故郷の中野市へ移転されたとのこと。現在も「のれん会」加盟店です。須坂店は中野で修業された方が独立しましたが、現在は関係がなくなっているとの記述をネットで見た覚えがあります。
 さて、こちらはどうでしょう…。



 真紅の暖簾。目に沁みます。





 ドアを開けて入ると、カウンターの中からご主人が大きな声で「いらっしゃい!」と迎えてくれました。他に奥様、若い男性の3人でのオペレーション。
 どうやらこの日最初の客だったようで、テーブル、カウンター、小上がりに人影はありませんでした。



 メニューです。
 「つけそば半チャーハンセット(1080円)」をお願いしました。



 テーブル上には調味料が一通り揃っています。



 「はい、おまちー」
 奥様が持って来てくれました。



 麺は中くらいの太さのストレート。おそらくはラーメン系と同じものと思います。少々「クタッ」とした茹で加減ですが、ヤワヤワではありません。青のりが振り掛けられていますが、ボクは初めて。



 スープは酸味7割、醤油による塩味3割。甘味と辛味は殆どありません。卓上の七味を加えて戴きました。
 具は細切りチャーシュー、メンマ、刻み葱。こんなに一杯入っています。目白や坂戸のお店に似ていますが、丸長特有の「細切りナルト」は入りません。



 チャーハンは柔らかくしっとりで、油はごく薄いもの。
 つけそばには入らないナルトが、チャーハンに使われていました。



 さすがにお腹が苦しくなりましたが、残さず戴きました。

 お店には信濃毎日新聞の「丸長のれん会」を紹介する記事が張り出されていました。こちらは非加盟のはずと思いお訊きすると、やはり無関係との返答でした。なのに何故、そんな記事を掲示しているのかは謎ですが、少なくとも「のれん会」加盟店に共通の最大公約数的な要素は、殆ど感じませんでした。しかし、こちらはこちらとして完成された内容で、「丸長という名の街の中華屋さん」的な印象でした。
 「丸長」を名乗らずともはっきりとした「インスパイヤ」のお店は珍しくはありませんが、それとは真逆の処もあることを知りました。



 お腹が一杯の上、こんなお天気。
 蒼穹を背景に、冠雪の北アルプスが美しい姿を見せていました。
 車内に差し込む陽が強く、エアコンをクールにしました。それでも睡魔に襲われ、上信越自動車道の松代S.A.で暫く仮眠しました。

食事処 丸長

長野県長野市徳間1-26-8
026-244-1156

11:00-14:00 / 17:00-21:00
水休

Posted at 2021/03/28 09:08:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラーメン | グルメ/料理
2021年03月21日 イイね!

AKAI FACTORY(埼玉県飯能市)

AKAI FACTORY(埼玉県飯能市) 昨日3月20日、土曜日。
 久し振りに「百川」さんでつけそばを堪能。妙にウキウキした気分で、食後の散歩をしました。
 以前にもご紹介しましたが、埼玉県飯能市は、武蔵のフィールド・ハイキングの玄関口。一方、嘗て西川材の江戸・東京への送り出し拠点として栄えた時代があり、当時の栄華を今に伝える旧い建築が今も散見出来ます。ボクの目的は、ガイドブックやインターネットに紹介されていない、その種の建築との出逢いなのでした。

 狭い国道から脇道に入り、暫くするとこんな建物が見えて来ました。



 どうやら工場の様子。
 表と裏に看板建築の構造を持つ二階建ての母屋、裏に平屋が続きます。裏側にも看板部を擁する建築を見たのは、初めてです。



 それにしても、平屋の中央付近が大きくひしゃげています。



 そのまま進むと、こんな玄関がありました。

「AKAI FACTORY」とあります。
 …ナンダ、コリャ?



 左には金槌のイラストをあしらった置き看板。ショップとありますから、何か販売している様子。右はコーヒー豆をシンボライズしたような、木製オブジェ。



 ギャラリーの案内です。
 何かクリエイティヴな作品の展示会が催されているよう。
 …コーヒー店にお店、それに展示会。
 興味津々、重厚な引き戸を開けて入りました。



 入口左には高級なプリメインアンプとスピーカー、それにレス・ポール。
 スピーカーからは、ミリーニ・パートンやサッチモが流れています。
 コーヒーの芳香が鼻腔に満ちます。



 床には麻袋に入ったままのコーヒー豆が。その横には大きなロースターが鎮座します。喫茶店ではなく、豆の販売のみでした。



 いかにも南国らしいデザインの袋!
 一目で欲しくなりました。





 奥の平屋部分を臨みます。
 やはり、展覧会が催されているようです。

 多摩美術大学と東京芸術大学の女子大生が、共同で開催するイベントでした。 揃ってとっても可愛らしく、チャーミング!
 少しだけご紹介します。



 タイトルは「朝」。
 八ヶ岳に似た山並みの朝を描いたもの。



 「今」。
 キャンバスの左には、白い布が貼られ、その部分にはキャンバスはなく枠の木材が透け見えます。
 お訊ねすると「陽が当たると、絵画部分に布の反射光が画面に煌きを放つ」そう。昨日は生憎の曇天。輝くところを見たかった…。



 「脚のある卵の置物」。
 女性芸術家らしい、柔軟な発想に感心しました。



 「ゆらゆら」
 光とともに、揺れ動く心象世界を感じました。
 この種の感性は、男性よりも遥かに女性が優れていると思います。



 ギャラリーの左側のスペースでは、長い顎鬚を三つ編みにした男性が、何かを制作されていました。少しお話ししました。

 ここ「AKAI FACTORY」は、築80年の元金属加工工場。老朽化のため移転しましたが、空いたスペースをフリーのアート作家さんに区分レンタルされているとか。老朽化のため雨漏りや風の吹き込みは当たり前ですが、店子全員でメンテしながら活動中と仰いました。
 
 彼は「DesertRose」という天然石やシルバーを作っているお店の方。元々は吉祥寺でお店を開いていたそうですが、家賃を払うために仕事をしているような現実に嫌気がさし、ここ飯能に移り住んだのだそう。この種のアートを仕事にするというのは、ある意味とても羨ましく思いますが、現実は我々サラリーマン以上に厳しいと知りました。



 こちらは「DesertRose」さんの床。
 廃棄された小学校の机のトップを再利用、敷き詰めたのだそう。あまりにも手間が掛かり、手仕事を厭わない彼でも、さすがに投げ出したくなったとか。







 ギャラリーを挟み「DesertRose」さんの反対側のアトリエ。人影はありませんでした。様々な工作機械と、野生動物の骨や角がありました。それらを加工してアクセサリーを作っていると想像しました。





 元工場だけに、当時の設備がそのまま遺されています。
 アートと使われなくなった設備のコラボは、松本市の書店「栞日」と共通。これら二者の相性は抜群、其処に存在する「作品」が、見事な輪郭を放ちます。



 こんな「流し台」がありました。
 時代物のタイル貼りですが、とっても大胆な色遣い。当時のままなのか、後年手を加えたものなのかは不明ですが、現代のシステムキッチンにはない暖かさを感じました。



 コーヒーショップの左側、「DesertRose」さんの手前は、和紙を使った照明類、レザークラフト製品など、複数の作家の作品を販売するスペース。お客さんが細かい「発注」の最中、撮影は控えました。



 お試しに、小さなコーヒーを2つ、買いました。
 毎朝、女子社員がコーヒーを淹れてくれます。いつもはスタバで買って渡しますが、明日は「天覧山珈琲」です!みんな、喜んでくれるかナァ…。好評だったら、また買いに来ます。

 全くの偶然で入りましたが、この種のハンドメイド、アートがお好きな方なら、絶対に楽しめると思います。


AKAI FACTORY

埼玉県飯能市柳町25-9


【今日の『おまけ』!】
 


 やはり、ありました。
 AKAI FACTORYさんの至近、床屋さんの様子ですが、もしかすると廃業済かもしれません。



 上部が半円を描く、四連の木製窓!
 …感動しました。
 上の欄間に相当する部分も木製だったら、もっと雰囲気が上がるはず…。



 飯能に幾つか存在する、張り出し部が洋館チックな意匠の住宅が、ここにもありました。建物も庭も手入れが行き届いていますが、全ての雨戸が閉ざされ、人の気配はありませんでした。
 
 勿体ないなぁ…。
 


Posted at 2021/03/21 15:54:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | インテリア・骨董 | 趣味
2021年03月21日 イイね!

中華そば 百川(埼玉県飯能市)

中華そば 百川(埼玉県飯能市) 昨日3月20日 土曜日。
 午前9時。デイケアに母が向かった後、買い物に出掛けました。
 済ませると、丁度11時。何処かでお昼にしようと行先を思案していると、あるお店が浮かびました。おそらく、15年か20年振り。



 東飯能駅から徒歩5分、片側一車線の国道299号線に面した立地。
 ご覧のように、少し汚れたモルタル塗り。玄関周辺の造作は旧い木製で、歴史を醸し出しています。一見、昭和のスナックの風情です。



 こんなお洒落なランプが。
 日が暮れて灯った光景を見たくなりました。



 玄関を開け店内に入ります。

「いらっしゃい!」

 カウンターの中から、老齢のご主人が呟きました。他に奥様がいらっしゃいます。随分久し振りですが、相変わらずお元気そうで何よりです。
 左はカウンター5席。長年使い込まれ、表面が擦り切れた甲板。ヤレ具合がとってもイイ!



 右は小上がり。4人分が2つあります。



 天井近くには小型のスピーカー。
 聞こえるか聞こえない程度にモダン・ジャズを奏でます。



 メニューです。
 外の看板は隷書体ですが、それに通じるオリジナリティある達筆です。
 「百兵衛つけそば(850円)」に「海苔(100円)」をお願いしました。



 長年連れ添われ、共に店を守って来たご夫婦。
 「あ・うん」の呼吸なのか、オーダーの確認は揃って手短な小声。それ以外、会話は全くありません。男寡のボクは、大変羨ましく思いました。
 …鍋でお湯が沸騰する音を聴きながら、暫くぼんやりと待ちました。

「お待ちどうさまー」

 ご主人が、カウンター越に渡してくれました。
 柚子を添えた大根おろしは、こちらの特徴です。



 麺は中太よりも少し太いもの。何が含まれているのかは分りませんが、お蕎麦のような淡い色。食感はワシワシとしていますが、某有名店の「顎が疲れる」ようなものではなく、食感を楽しみながらすんなり食べることが出来ます。
 上には煮玉子半分と、湯がいたほうれんそう、海苔1枚が添えられます。



 スープは塩分と辛味が主体。動物系や魚介系を使っているとは思いますが、バックグラウンド・ヴォーカル的で、決して前面には出ていません。また、丸長・東池袋系のような「甘・酸」も殆どありません。ドロドロ系・ギトギト系が主流の今、さらさら系のつけそば・つけめんは少なくなりましたが、その中でも貴重な味わいです。
 


 「百兵衛つけそば」には、煮玉子と、



 チャーシューが2枚入ります。
 玉子はデフォルトの半分を含めると1.5個。これだけでも食べ応えがあります。
 チャーシューは最初は形を保っていましたが、とても柔らかく、写真を撮ろうと箸で持ち上げたら崩れてしまいました。外殻部に脂がのり、大変美味しいものでした。



 トッピングの海苔で麺を巻きながら食べました。
 あと少しのところで、柚子大根おろしを入れて撹拌。
 スープが柔らかくなり、柚子の香も加わり、二度楽しみました。



 という訳で、スープ以外は残さず食べました。小食のボクですが、腹九分目程度。無理なく大変美味しく戴きました。
 ご主人がスープ割りを薦めて下さりました。大変迷いましたが、年齢を考えてやめることにしました。でも正直、飲みたかったナァ…。



 お店の前は、ご覧のように狭い国道。
 路線バスや大型車が頻繁に行き交います。
 訪問される場合は、車に注意なさって下さい。
 なお、お店の向こう側に3台分の駐車スペースがあります。嘗てそこは「スナックの長屋」でした。テナントが全て引き払い、暫くゴースト・タウン状態でしたが、アスファルト舗装になりました。

 昭和レトロな店舗。
 ご夫婦が紡ぎ出す、互いへの思い遣りに満ちた空間。
 其処に身を置き、優しいつけそばを味わいました。
 何だか「ホッコリ」した気持ちになりました。

 ごちそうさまでした。


中華そば 百川

埼玉県飯能市柳町16-20

11:30-14:30 /18:00-21:00
火曜休



 


 

Posted at 2021/03/21 09:20:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラーメン | グルメ/料理

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何シテル?   09/28 15:34
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