• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ArtBlakeyのブログ一覧

2024年06月05日 イイね!

私のママが決めたこと~命と向き合った家族の記録~

私のママが決めたこと~命と向き合った家族の記録~ザ・ノンフィクション
私のママが決めたこと~命と向き合った家族の記録~
フジテレビ
6月2日(日)放送分
配信終了まで1週間以上


「私だって生きられるなら死にたくない」・・・そんな思いを抱えながら命の決断をした母がいる。

家族4人でゲームを楽しみ、笑い、語り合う・・・夫と2人の娘と暮らすマユミさん(44)と家族は、この楽しそうな姿からは想像できないほどの苦悩と向き合ってきた。

3年前、マユミさんに見つかった子宮頸がん。抗がん剤治療などを尽くしてきたものの、がんは再発を繰り返し、全身に広がっていった。そして脳への転移。耐えがたい苦痛の中で、彼女はある選択肢を考え始める。スイスでの“安楽死”。日本では認められていない選択肢である。悩み抜いた末にマユミさんは、スイスへ渡ることを決断する。

母の決断に対し、病と闘う母の姿を見てきた高校3年生の長女(18)は理解を示すものの、小学6年生の次女(12)にとっては、すぐに理解できるものではない。そして、人生を連れ添ってきた夫のマコトさん(48)は、当初は戸惑いながらも、その決断を受け入れた。

最愛の妻の最後の願いに応えようと、共にスイスへ渡航し、最期の瞬間に付き添う夫。最期の日を前に、スイス観光を楽しむ2人。子育てと仕事に追われ、夫婦旅など考えもしなかったのに、それが実現したのは、まさか妻が人生を終える時だなんて・・・

そして迎えた人生最期の日。ベッドの横には夫、そして、スマホにはテレビ電話でつないだ娘たちの顔・・・生きることと死ぬこと。自ら人生の幕引きを決めた母の決断に向きあった家族の記録。
2024年05月18日 イイね!

みんな、生きています!

みんな、生きています! いつもお越し下さる皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
 16日の木曜日、新卒入社し20年間勤めたレコード会社時代の先輩に誘われ、ボクも含め4人のOBでお酒を飲みました。3月30日の最終出社以来、初めて電車に乗り、新宿へ。ずっと歩いていなかったので、足が棒になってしまいました。

 今日は、集まった諸先輩のプロフィールをご紹介します。

 
 Aさん。

 73歳。既婚、子供なし。
 当時は、ほぼ営業一筋。朴訥とした人柄と口調。社内で「ファンキー」、「ファニー」な存在として知られていました。退職は、おそらくボクとほぼ同じ頃(当時はリストラの嵐で、誰がいつ辞めたのか、全てを正確に覚えておりません)。
歳をとり、「頑固ジジイ」になったと自覚。満員の牛丼「YNY」で、ウェイティング席の先頭に座っていた時、フラッと入店した客2人が続けざまに案内されたことに我慢が出来ず、「冗談じゃない!」と、大声を挙げてしまったとか…。

「ダメだよネ…!」

と、屈託なく笑っていました。

 現在、週2日アルバイトをしていると仰っていました。

Bさん。

 71歳。結婚歴なき独身。元、ボクの直属上司。
 自身の興味のある事には、それこそ「深く」探求する性格。興味外の事には、ホント「淡泊」!会話の時、返答は「へー(、)そー」「へー(、)そー」「へー(、)そー」、「そーだね」「そーだね」、の繰り返し。おまけに矢鱈と早口の上、言葉に抑揚がなく、部下時代は「このオッサン、ちゃんと聞いてくれているのかナ!?」と思わされる毎日でした。ところが意外、この飲み会の主催者。今もOB達に顔がきき、消息や物故された方の情報に長けています。退職はボクより少し前。リストラではなく、異動した営業所の上司と「ガチンコ」でした。それから非正規で何社か渡り、ラストはパソコン回収の仕事に、69歳まで従事されたそう。非正規が長かったため年金は少ないけれど、長く仕事を続けたことで(多くはないけれど)蓄えがあり、少しずつ取り崩して暮らしているそう。(年金の金額まで教えてくれました)。今回のボクの件で、「63歳半年は、ラストチャンス!」とアドバイスしてくれたのは、他ならぬこの方。

Cさん。

 67歳。既婚、二人のお嬢さんは既に嫁がれています。
 ボクが新卒入社で配属された、ある地方営業所で、最も歳が近かった先輩。営業から抜擢されて制作へ異動、当時無名の新人を大ヒットさせました。
 会社がリストラに荒れる前、同業他社に引き抜かれて転職。その後もう一社に移り、契約待遇になり63歳で退職。以後は勤めていないそう。



「●●(=ボク)、お前もこっちへ来たか!」

と、言われました。

みんな頭も髭も白髪。薄くなっていました。



 還暦の端境期にあり、ご自身の行く末に展望が持てない方から、多くのご連絡を戴きました。実際、働いていると、「退職した方々のその後」は、なかなかつぶさに知る機会がありません(実感)。


大丈夫、

みんな、それなりに「生きて」いらっしゃいます。


2024年05月15日 イイね!

まだまだ、頑張るぞ!

まだまだ、頑張るぞ! いつも覗いて下さる皆様、お元気でお過ごしでしょうか?
 ボクは相変わらず、7月の資格試験突破を目指し、家で勉強の毎日です。まだ離職票などの退職に伴い発行される書類が未着のため、退職後の諸手続きに入れていませんが、そろそろ「失業者」としての活動が始まります。

 このひと月ちょっとの間で、肉体的にも精神的にも変化が生じました。今日は少し、その辺りについて触れてみようかと思います。

■食事の量が減りました。

 3月までは通勤電車に乗り、閑職だったとはいえ、それなりに働いていました。ところが4月に入り、基本は家で勉強中心となりました。体を使うことが激減したからか、食事の摂取量が減りました。例えばカレーライス。独り暮らしのためパックご飯とレトルトのルーで済ませますが、一人前を完食することが困難になりました。今は学習中心、資格が取得できたらそれを活かし、週に3日程度でも構わないので働くつもりです。外に出るようになれば、それなりにエネルギーが必要になるので、恐らくまた食べられるようになると思います。

■便秘気味

 前項と密接に関連しますが、これは物の見事です。毎日、乳酸菌飲料を摂取することで、ほぼ解決しています。

■「…でなければならない」的な「強迫観念」が薄らいだ

 個人的には、この変化が最も大きく、また驚きでもあります。
 以前にも触れましたが、ボクは5回6社の転職をしました。新卒で約20年勤めた最初の会社をリストラされた当時、心の病を患っていた元妻の医療費と、当時私立高校に通っていた一人息子の学費が大きくのし掛かり、「何としても働かなければ…」との想いに塗り潰されていました。その観念は以後も続き、ボクの「就労観」として根付いていたと感じます。それが故、今回の退職で言いようのない「恐怖感」に襲われたのだと思います。

 約40年も休むことなく働き、失業者となった今。
 そうした「就労観」と「恐怖感」は、かなり薄らぎました。同時にそれが、長年の「社畜生活」によりもたらされたものとの理解が出来ました。

 世の中は大変広く、人々は実に様々な生き方をしていると、改めて気づかされました。誰一人として、自分と同じ人生を生きてはいません。そして、手が後ろに回るようなことをしない限り、どんな生き方をしてもいいと知りました。こんな簡単なことに気付かなかったとは、如何に「社畜生活」が人の考える機能を麻痺させ、本来の自分と正直に向き合うチャンスの芽を摘んでいるかを思い知りました。

■「勿体ない生き方をしたなぁ…」

 年金原資の窮乏が原因で、政府は支給開始年齢を徐々に繰り上げる制度を導入、同時に65歳までの再雇用を企業に義務付けました。その結果、ボクも含め「社畜生活」に飼いならされたサラリーマンの多くは、「年金支給開始までは働ける」と安堵、再雇用を選択しています。しかし前回も記したように、その処遇は決して恵まれたものではありません。そして何よりも大事なのは、「いずれにせよ、65歳になれば放り出される」という現実です。65歳になって初めてその後の人生を考えても、この国の現在の労働環境では困難を極めることは、火を見るよりも明らか…。

 加えて、政府は「65歳定年、70歳年金支給開始」を前提に動き始めています。
 こんな制度が導入されれば、再雇用労働者を取り巻く環境は、今以上に残酷なものとなります。

 ボクは、「社畜生活」を続けた結果、人生の再構築をすべき時期に居るとの認識を持てないまま、還暦を迎えたと自認するに至りました。実に「勿体なかった」と思います。失った時間は、絶対に取り戻せないから…。

■それでもまだ、人生は続く

 今、63歳5か月にして資格取得の勉強をしています。記憶力の低下と戦っていますが、もし取得出来たら、働きたいと考えています。ただ、これまでの40年間のように社畜として「言われるがまま、馬車馬の如く」ではなく、「困っている人を助ける」仕事に就くことを目標にしています。従来のように「フルタイム」ではなく、例えば週に3日とかの非正規雇用でもいいと思うに至りました。何歳まで働けるかは神のみぞ知ることですが、年齢を重ねれば重ねるほど、知力も体力も衰えるのは自明の理。これからは、無理なく働くことで、社会に貢献したいと思うに至りました。

■還暦以降は「恐怖の時代」ではない。

 定年後の人生に、漠然とした不安を抱えている方は少なくないと思います。ただ、「相手」は必ず向こうからやって来ます。それにどう対処するかは、その後の人生をどう生きるかのプランニング次第だと思います。要は「自分がどう生きて行きたいのか」を明確にし、目標を定め、必要な対策を実行することが必要になります。

 ボクの義弟は、ボクよりも3つ年上、今年67歳になります。大手の生命保険会社に勤めていましたが、60歳でスッパリ退職しました。理由は「もう、やりたくもない仕事を続けるのは御免、自由に気楽に生きて行きたい」というものでした。妹は今も学童保育所の先生として在職ですが、給与はそんなに貰っていません。年金支給開始までの3年間、不足分は貯蓄を取り崩して賄ったとか。…そんな生き方をしてもいいのです。

 以前にご紹介した、去年6月に馘首された、元支店長。
 会社都合だったので、翌月から失業保険が給付されました。直ちに求職活動を開始しました。8か月掛かりましたが、64歳3か月にして再就職しました。かなり苦労したとお聞きしましたが、可能性は「ゼロ」ではありません。

 経済コラムリストとして活躍、多数の著書がある大江英樹さん。長く野村證券に勤め、60歳で定年退職。再雇用に入りましたが、「ちっともおもしろくなかった」から、半年で退職。それまでの実績を活かして独立しました。これが成功、年金は繰り下げとしました。ところが去年の年末、突然の病に倒れ、71歳であっけなくお亡くなりになりました。

 要は、

「自分が望む今後の人生実現に対策が必要なら、早くから備える」、

「働かずに気ままに生きるのが希望ならば、それも立派な選択、これまでの現役時代に社会に貢献した実績がある、誰からも後ろ指を指されることはない」

「活かせる実績やノウハウがあれば、独立出来る」

ということだと思います。

 ボク自身のこと。
 記憶力の低下と散々戦っています。
 正直、合格の自信は…(笑)。
 でも、

 もし7月の試験がダメだったら、次回11月にチャレンジするつもりです。

 なりたい自分を実現するために。



2024年05月08日 イイね!

還暦は「転機」!

還暦は「転機」! 皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
 ボクは毎日、7月の国家試験突破を目指し、独り勉強の日々です。

 退職し、5週間が過ぎました。
 当初は言いようのない「喪失感」に苦しみましたが、現在はすっかり回復しました。

 さんざん自己分析を繰り返した結果、ボク自身が「現実を正確に受け止めていなかった」ことが原因との認識に至りました。退職は自身で決めたことでしたが、63歳5か月にも拘わらず、心の何処かに「出来ることならば今後もフルタイム・ワーカーとして働きたい、いや、働かなければならない」的な強迫観念が存在し、現実との擦り合わせが出来ていなかったことが原因と知りました。

 ボクの年齢に近い方は、おそらくこの心情をお分かり戴けるかと思います。

 ボクの場合、60歳の時点で「雀の涙」の退職金が振り込まれただけで、給与ダウンや役職剥奪、配置転換もなく、職場での日常に変化はありませんでした。しかし一般的には、給与を減らされて役職を奪われ、若い上司の下で畑違いの職種に配置転換されるケースは枚挙に暇がありません。それでも、退職して再就職(転職)を選んだ場合のリスクに比べれば、遥かに安定した収入が確実に入りますが、辛い日々を送っている方は、決して珍しくはないようです。

 翻ってボクのこと。
 振り返って考えれば、収入的にも待遇的にも恵まれていましたが、自らの今後の人生について真剣に考えるチャンスを先送りする結果になってしまった…、と自省しております。収入面では安泰でしたが、失ってしまった3年5カ月という貴重な時間は取り戻せません。いや、もっと正確に言えば、55歳時点までに考えて実行すべきでした。この点から、ボクは再雇用を経験した者として、お薦めはしません。

 60歳で定年を迎えたら、それから5年間をどうすればいいのか、との苦悩を抱えていらっしゃる方は、決して珍しくないような気がします。

 経験から申し上げますと、60歳を過ぎてからの「転職」は、かなり困難となります。
 ボクのように「フルタイム・ワーカーとして今後も働きたい」と思っていても、求人はガクンと減ります。「これまでのキャリアを活かせば、まだまだ働ける」と思っていても、肝心の「需要」が無いのが実情です。これまでの40年間、5回の転職で6社を経験しましたが、今回はこれまでとは全く違う様相を呈しています。

 そう、誰でも60歳になると、好むと好まざるとに拘わりなく、「転機」を迎えます。

 それまでは、自身で積み上げたキャリアの「買い手」が何処かに居て、名乗りを挙げれば「入札」してくれましたが、還暦を過ぎた途端に水を打ったようになります。これは当人に原因があるのではなく、「環境」の変化と言うべきでしょう。この現実は、立派な「恐怖」と「喪失感」の原因となります。
(かく申すボクがそうでした)。

 定年後の人生をどうするべきか躊躇し、戸惑われている方は、まずこの「現実」をきちんと認識し、受容した上でプランニングをすることをお勧めします。生きていれば、この「転機」は、嫌でも必ず向こうからやって来ます。

 ボクがこの「転機」を正面から捉えられるようになれたのは、先日ご紹介した喫茶店のマスターご夫妻、それと他ならぬ彼女のおかげ。マスターご夫妻も「転機」を経験され、山奥に喫茶店を開店されたのは70歳を過ぎてから。市街化調整区域だったため、行政に許諾を受けるまで大変な時間と手間が掛かったそう。それがクリアになったら、次は保健所への申請。やっとこさ開店にこぎつけたけれど、当時はコロナ禍の真っただ中。…7ヶ月間、まるでお客さんが来なかったと語ってくれました。また、前回ご紹介したように、彼女からは散々お尻を蹴られました(笑)。

「俺だけではない。みんな、大変な辛苦を潜り抜けて生きているのだ…」

と、改めて教えて戴きました。

 かく申すボクも、この先どうなるかは、全くの未知数です。
 でもボクは、これまでの40年間とは全く異なる「転機」の真っ只中に立っていると、正確に認識することが出来ました。同時に歩き始めることが出来ました。この先、どんなことが待ち受けているかは分かりませんが、一歩一歩、自分の脚で歩いて行こうと思うに至りました。



【追伸】

現在、試験に向けて心理学の勉強をしていますが、ちょっと良い言葉を学びましたので、ここにご紹介します。

■ブリッジズによるトランジション3段階理論…「終わりから全てが始まる」

①「終焉」…何かが終わる時期
何かが上手く行かなかった処から始まり、目標や計画に対して意欲を失って、混乱や空虚を感じる。時には自分自身を見失う。「象徴的な死」を経験させられる。

②「中立圏(ニュートラルゾーン)」…混乱や苦悩の時期
昔の現実が色褪せ、過去の成功に確信が持てなくなり、深刻な空虚感を感じる。夢の狭間、夢の喪失状態。

③「開始」…新しい始まりの時期
始まりは、終わりと比較してあまり印象に残らない。「何かが違うな」という変化を、若干感じる程度。「他にも楽な道がある」という誘惑に打ち勝ちながら、少しずつ新しい目標に到達する。



2024年04月26日 イイね!

退職しました

退職しました 先月31日一杯で、13年勤めた会社を退職しました(有休消化があり、正確には5月8日付け)。お越しの皆様のご参考になるかも知れないので、この決断に至った経緯を、少し記すことにします。今回、かなりの長文になると思いますが、ご興味のある方はお読み下さい。逆に全くない方は、この時点で回避されて下さい。



 ボクが勤めていた会社は、「ブラック」とまでは行かずとも「ダークグレー」。所謂「同族企業」で、一族に認められた少数の社員が管理職に登用される体制。ボクは13年前に下級管理職として転職入社しましたが、終始一貫「外様」の処遇でした。

 そんな去年6月のある日。

 ボクよりも一歳年上の当時の支店長が、突然の電話一本で「馘首」されるという事件がありました。彼は新卒入社以来、一貫して表舞台を歩き、再雇用が終わる65歳の誕生日まで残り1年半でした。何でも、経営者の逆鱗に触れた様子…。「譜代大名」ですら、あっさり「クビ」にする体質(明らかな労働基準法違反)に、ボクは「次はオレだ」との想いに心を支配され、精神的に不安定な時期がひと月ほど続きました。

 「いつ」、「何を」理由に宣告されるかは全く未知数でしたが、ただ「座して死を待つ」のではいけない、まだまだこの先もボクの人生は続くのだから、と思い、自身の棚卸をしました。ボクは5回の転職で6社を渡りましたが、終始一貫「総務部」の管理職としてキャリアを積みました。この経験から、ある国家資格を取得することを決め、昨年10月から今年3月まで、毎週土曜日に学校に通うこととなりました。

 当初の計画は、今年7月の受験、8月の合格発表で「桜が咲いた」ら直ちに転職活動を開始、64歳を迎える12月までにはネクスト・ステージを実現する、というものでした。これは12月から特別支給の年金が受給されるからでした。

 閑話休題。

 昨年6月に当時の支店長が会社を去り、ある販売課長が昇格、現支店長に就任しました。46歳での大抜擢でした。ところが63歳のボクを使いにくかったのか、ボクを飛ばして仕事を進めるようになりました。この処遇に「そろそろかな…」との想いが日増しに膨れて行きました。

 7月に試験を控えていますが、加齢が原因と思われる記憶力の衰退を自覚、このままでは危ういとの意識も高まっていました。

 いろいろと、自分が置かれている状況を分析しました。

(1)特別支給の年金が、今年12月分から支給される。月額10万と心元ない金額だが、来年12月からは満額の支給が始まる。この時点で年金は月額約17万となる。12ヶ月の間は、節約を心掛けて暮らし、不足分は貯蓄を取り崩しせば何とかなる。

(2)自己都合退職で支給される雇用保険(失業保険)は、ボクの場合150日間(およそ5カ月)。年金と失業保険の同時受給は出来ないが、このタイミング(5月8日)で退職すれば、雇用保険が切れる頃に特別支給の年金受給が始まる。

(3)生命保険の支払いが、この4月分の引き落としで終了する。退職すれば5月からは収入が激減するが、この負担がゼロになるのは大きい。また70歳から支払い開始の積み立て型は、解約すれば約120万が戻る。これは来年度に請求される高額の「住民税」支払いに充当できる。

(4)何よりも、今必要なのは「学習時間」の確保。記憶力が減退した63歳半が合格を目指すには、試験直前の3ヶ月間は貴重。不幸にして落ちた場合は、11月の試験に再チャレンジできる。

(5)この会社に居られるのは、最大でも残り1年半。減給はされても、一定の収入は確保できる。だが、今の処遇が続けば、精神衛生上、絶対に悪い。そんな状況に耐えて65歳を迎えても、新しいことにチャレンジする覇気が残っているとは考えにくい。この歳にもなれば、次を目指すなら、1歳でも1カ月でも早い方が絶対に有利。

 職場でボクが置かれた状況と、上記(1)から(5)の状況を鑑みて、今回退職を決断した次第です。

 それでも…。

 約40年もサラリーマン生活、いや「社畜生活」を続けた結果、会社と机、椅子を失った激しい喪失感に襲われました。辞めたことに後悔は皆無でしたが、『この先、オレはどうなってしまうのだろう…』的な『恐怖感』と言ってもいいと思います。心の中に大きな穴が開き、背骨を抜かれてしまったような印象…。

 そんなボクを、激しく叱咤してくれたのは、彼女でした。

「なによ、あんた!自分で考えて決めたことなのに、何でそんな腑抜けみたいになるの!持ち家でローンはないし、息子さんだって独立しているから、学費の心配もない!ご両親は既に亡くなっているから、これから経済的にも肉体的にも精神的にも、介護の苦労だって絶対に来ないのよ!40年も働いたんだから、もうすぐ年金だって入るのよ!やっと自由になり、自分の事だけを考えて動ける時が来たのに、その有様はどうなのよ!あたしなんか、子供が小さい時に、明日食べるお米すらない日々だって経験してるのよ…!あんた、そんな苦労を、今までにしたことがないでしょ!!」

「…」

 彼女は泣き出してしまいました。
 辛かった過去の日々を思い出したこと。
 目前のボクが、あまりにも情けなかったから…。

 もうひとつ。

 前回ご紹介した「某喫茶店」のマスターご夫婦。
 心情を吐露すると、明日へ向かって歩いてゆくための言葉を授けてくれました。初めて訪れた客に、『勇気』を授けてくれました。あの記事を書いた後、彼女も連れて行きました。彼女とご夫妻は、すっかり元気を取り戻したボクに『良かった!』を連発してくれました。

 ある時、マスターが呟きました。

「…私も、あと5年は此処で頑張ってみようかと思っているんだ…」

 はっ、と気づきました。

 これからの人生は、ただ闇雲に働いた(働かされた)この40年間とは違う。また勤め人をするにしても、自分で事業や商いを始めるにせよ、何を何処まで頑張るかを決めるのは、自分自身。

 『目から鱗』の心境でした。

 現在、この国の会社の多くは60歳定年。
 法律で65歳までの再雇用が義務づけられていますが、再雇用を経験した者として、あまりお勧めしたくはありません。遅くとも55歳くらいまでには60歳以降の人生設計をし、その実現に動き始めるのがベストだと思います。この点、ボクは気付くのが遅かったと自省しております。



 
 

プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/6 >>

      1
23 4 5678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      

愛車一覧

マツダ ユーノスロードスター マツダ ユーノスロードスター
現在12万キロ、まだまだ現役です!
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation