![明日に架ける言葉 vol.4 「渡せなかった襷、そして2年後」 明日に架ける言葉 vol.4 「渡せなかった襷、そして2年後」](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/042/916/237/42916237/p1m.jpg?ct=b9fc9b653a33)
「目の前で起きていることが信じられなかった。
安心した瞬間に、何故そんな酷いことが
起きるのだろう」
1999年の第75回箱根駅伝。9区から10区へ襷を繋ぐ鶴見中継所。
法政大学2年生で9区を任されたのは、大村 一。
スロースタートでペースが上がらず、次々と抜かされながらも耐えながら懸命に走る。我慢の甲斐あり、徐々にペースが上がり、鶴見中継所に駆け込む。
10区の選手の背中が見えた。安心した。
ところが…。
「…パンッ!」
まさか、まさか…。
襷は繋がらなかった。
大村は渡す相手の居ないゴールに飛び込み、号泣した。
9人の汗を吸った襷は、大村の手の中で冷たくなって行った。
2年後の1月2日。
4年生になった大村は、小田原中継所に立っていた。
法政は1区から首位をキープ。
だが、5区には中央・藤原、順天堂・奥田の俊足ランナーが。
大村のスタート後、2位奥田、3位藤原が山を目指した。トップ大村と3位藤原とのタイム差は1分10秒。藤原の実力からすれば、十分逆転は可能。
それを意識してか、大村は序盤からハイペースで突っ込む。
最後の箱根駅伝で5区の大役を任された。他校のランナーとの実力の差は明瞭だった。とにかく、逃げるしかない。
最高地点付近で、奥田が迫って来た。
おまけに、物凄い風。中継のアナウンサーが「足は動いているけれど、停まったような状態」と言うほど。奥田は第二中継車の真後ろに入り風をよけるが、トップの大村を写す第一中継車は一定の距離を保ったまま。上半身が路面と平行になるほど頭を下げて耐え、次にはモーゼのように天を仰ぎ肺腑の奥まで酸素を補給する。
だが、奥田は徐々ににじり寄り、遂に抜かされる。
次の瞬間。
大村は勝負に出た。
最後の下り坂を使い、10メートル、20メートルと引き離す・
ところが…。
湖畔に出て左折する地点。
奥田の背後に、藤原の姿が!
どんどん差が詰まって行く。
大鳥居を過ぎ、ゴール目前で、大村は力尽きた。
藤原、奥田に抜かされた。
全てを出し切った大村に、再度抜き返す力は残っていなかった。
大村、3位でゴール!
2つ順位を下げたものの、もう二度と見ることが出来ないような、3校三つ巴の壮絶な山中でのデッドヒート!
ボクは思いました。
大村君は、2年前の鶴見では、どうしても襷を繋ぎたかったのだろう、と。
そして。
「目の前で起きていることが信じられなかった。
安心した瞬間に、何故そんな酷いことが
起きるのだろう」
襷を繋がぬ5区は、それ以上の重責を任される区間。
しかも、4人がトップで襷を繋いでくれたのでした。
大村君は、トップでのゴールは叶いませんでした。
「そんな酷いこと」は起きませんでした。
だが、それ以上に過酷で「壮絶」な戦いが待っていました。
勝負には負けましたが、2年前の自分には見事に勝ちました。
ボクは素直に、それが嬉しく思えました。
生きている限り、突然信じられない事態に見舞われることがあります。
そんな時、誰もが嘆き、落ち込みます。
でも、人はまた立ち上がります。
明日は昨日よりも、必ず良い日になると信じて…。
Posted at 2019/06/02 16:37:29 | |
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