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2024年05月29日 イイね!

「お気楽」も大切だなぁ…

「お気楽」も大切だなぁ… いつもお越し下さる皆様、お元気でいらっしゃいますでしょうか。
 ボクは相変わらず、7月の試験に向けて勉強の毎日です。

 実は先々週から、面接対策の別講座に通っています。当然、63歳5か月のボクが最高齢と思っていましたが、何と68歳の方がいらっしゃいました。既に退職されているご様子ですが、「これから増々、高年齢人材の流動化が進むはず。そんな人たちに、自身の経験を踏まえて寄り添う仕事がしたい」と、資格取得を目指す動機を語っていました。

 何だか、心がホッコリしました。

 こんなに毎日勉強をするのは、45年も前の大学受験以来。「記憶力」と「臨機応変に対応する能力」の減退と、毎日戦っています。

 閑話休題。

 最近、少し人生観が変わって来た気がしております。
 決して「投げやりに」ではなく、『これから先のことは、あまり考え過ぎても仕方がないと思えるようになった』、という感じでしょうか。

 現在、63歳5か月。


 学生時代の友人、Nクンは34歳でした。死因は脳出血。幼い子供二人。
 同じくKクンは50歳。咽頭ガン。一人息子。
 ボクも43歳で歯茎にガンができました。
 

 親父は10年前に旅立ちました。80歳9か月。間質性肺炎。
 母は去年11月でした。87歳11か月。老衰。


 親父は元、製紙会社のエンジニア。
 当時は定年は55歳でしたが、会社から請われ、60歳過ぎまで研究所の所長として勤務。その後、腕を買われてフリーのエンジニアとなり、ドイツ、カナダ、アメリカ、中国、韓国などを飛び回っていました。おそらく70歳近くまで現役でした。晩年はスッパリ仕事を辞め、母と穏やかな日々を送りました。


 先日の、レコード会社時代の先輩三人。
 引退時の年齢は違えども、みんな笑顔でした。


 ボクの3歳年上の「義弟」。
 60歳時に完全引退。毎日「気楽に」過ごしています。


 ボクのこと。
 

 今後、「介護」はなし。
 独り息子は36歳、独身。既に社会人。子育ては終了。
 ローンなど「借金」はなし。
 豊かではないけれど、今後支給される年金を補うに足りそうな貯蓄あり。
 「終焉」を迎えるまでは、何とかなりそう…。


 まだまだ働く意思はあるけれど、気付いたことがあります。

 
 …誰も、未来を予見することは不可能。


 男性の「健康寿命」は、一般的に72歳と言われています。
 ボクは、もう10年もありません。
 働くことは大切ですが、『残された健康寿命までの日々は、有意義に過ごしたいなぁ』とも思うに至りました。


 少し、やってみたい「夢」を書き出してみました(順不同)。


 1.京都観光(仕事で訪れてはいたものの、観光の経験ゼロ)

 2.庭も含めた自宅の手入れ(最終目標はピザ窯造り)

 3.ホンダS800のゲット(値が張り、実現ほぼ不可能)

 4.ラーメン店開店(これまた、ほぼ不可能)

 5.秋吉台観光(未訪問)

 6.山小屋造り(頑張れば出来そうだけど、最近は熊が怖い…)

 7.未完の小説の脱稿(もう、10年以上も放置のまま)

 8.薪ストーブ設置(完全引退し、家で一日中過ごすなら経済的)

 9.アンティークショップ開店(おそらく儲からないけど、趣味と実益を兼ねて)

 10.日本全国、放浪の旅(まだ未訪の地は、無限にある)


 ちょっと書いただけでも、こんなに出て来ました。
 残された日々でこれら全てを実現することは、絶対不可能(笑)!


 勿論、働くことは大切ですが、少しでも実現させたいと思う自分がいることを知りました。同時に「義務」ではなく、この歳にもなれば、「お気楽に」過ごすことも大切と思い至りました。


 皆様はいかがですか?


Posted at 2024/05/29 07:08:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2024年05月18日 イイね!

みんな、生きています!

みんな、生きています! いつもお越し下さる皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
 16日の木曜日、新卒入社し20年間勤めたレコード会社時代の先輩に誘われ、ボクも含め4人のOBでお酒を飲みました。3月30日の最終出社以来、初めて電車に乗り、新宿へ。ずっと歩いていなかったので、足が棒になってしまいました。

 今日は、集まった諸先輩のプロフィールをご紹介します。

 
 Aさん。

 73歳。既婚、子供なし。
 当時は、ほぼ営業一筋。朴訥とした人柄と口調。社内で「ファンキー」、「ファニー」な存在として知られていました。退職は、おそらくボクとほぼ同じ頃(当時はリストラの嵐で、誰がいつ辞めたのか、全てを正確に覚えておりません)。
歳をとり、「頑固ジジイ」になったと自覚。満員の牛丼「YNY」で、ウェイティング席の先頭に座っていた時、フラッと入店した客2人が続けざまに案内されたことに我慢が出来ず、「冗談じゃない!」と、大声を挙げてしまったとか…。

「ダメだよネ…!」

と、屈託なく笑っていました。

 現在、週2日アルバイトをしていると仰っていました。

Bさん。

 71歳。結婚歴なき独身。元、ボクの直属上司。
 自身の興味のある事には、それこそ「深く」探求する性格。興味外の事には、ホント「淡泊」!会話の時、返答は「へー(、)そー」「へー(、)そー」「へー(、)そー」、「そーだね」「そーだね」、の繰り返し。おまけに矢鱈と早口の上、言葉に抑揚がなく、部下時代は「このオッサン、ちゃんと聞いてくれているのかナ!?」と思わされる毎日でした。ところが意外、この飲み会の主催者。今もOB達に顔がきき、消息や物故された方の情報に長けています。退職はボクより少し前。リストラではなく、異動した営業所の上司と「ガチンコ」でした。それから非正規で何社か渡り、ラストはパソコン回収の仕事に、69歳まで従事されたそう。非正規が長かったため年金は少ないけれど、長く仕事を続けたことで(多くはないけれど)蓄えがあり、少しずつ取り崩して暮らしているそう。(年金の金額まで教えてくれました)。今回のボクの件で、「63歳半年は、ラストチャンス!」とアドバイスしてくれたのは、他ならぬこの方。

Cさん。

 67歳。既婚、二人のお嬢さんは既に嫁がれています。
 ボクが新卒入社で配属された、ある地方営業所で、最も歳が近かった先輩。営業から抜擢されて制作へ異動、当時無名の新人を大ヒットさせました。
 会社がリストラに荒れる前、同業他社に引き抜かれて転職。その後もう一社に移り、契約待遇になり63歳で退職。以後は勤めていないそう。



「●●(=ボク)、お前もこっちへ来たか!」

と、言われました。

みんな頭も髭も白髪。薄くなっていました。



 還暦の端境期にあり、ご自身の行く末に展望が持てない方から、多くのご連絡を戴きました。実際、働いていると、「退職した方々のその後」は、なかなかつぶさに知る機会がありません(実感)。


大丈夫、

みんな、それなりに「生きて」いらっしゃいます。


2024年05月15日 イイね!

まだまだ、頑張るぞ!

まだまだ、頑張るぞ! いつも覗いて下さる皆様、お元気でお過ごしでしょうか?
 ボクは相変わらず、7月の資格試験突破を目指し、家で勉強の毎日です。まだ離職票などの退職に伴い発行される書類が未着のため、退職後の諸手続きに入れていませんが、そろそろ「失業者」としての活動が始まります。

 このひと月ちょっとの間で、肉体的にも精神的にも変化が生じました。今日は少し、その辺りについて触れてみようかと思います。

■食事の量が減りました。

 3月までは通勤電車に乗り、閑職だったとはいえ、それなりに働いていました。ところが4月に入り、基本は家で勉強中心となりました。体を使うことが激減したからか、食事の摂取量が減りました。例えばカレーライス。独り暮らしのためパックご飯とレトルトのルーで済ませますが、一人前を完食することが困難になりました。今は学習中心、資格が取得できたらそれを活かし、週に3日程度でも構わないので働くつもりです。外に出るようになれば、それなりにエネルギーが必要になるので、恐らくまた食べられるようになると思います。

■便秘気味

 前項と密接に関連しますが、これは物の見事です。毎日、乳酸菌飲料を摂取することで、ほぼ解決しています。

■「…でなければならない」的な「強迫観念」が薄らいだ

 個人的には、この変化が最も大きく、また驚きでもあります。
 以前にも触れましたが、ボクは5回6社の転職をしました。新卒で約20年勤めた最初の会社をリストラされた当時、心の病を患っていた元妻の医療費と、当時私立高校に通っていた一人息子の学費が大きくのし掛かり、「何としても働かなければ…」との想いに塗り潰されていました。その観念は以後も続き、ボクの「就労観」として根付いていたと感じます。それが故、今回の退職で言いようのない「恐怖感」に襲われたのだと思います。

 約40年も休むことなく働き、失業者となった今。
 そうした「就労観」と「恐怖感」は、かなり薄らぎました。同時にそれが、長年の「社畜生活」によりもたらされたものとの理解が出来ました。

 世の中は大変広く、人々は実に様々な生き方をしていると、改めて気づかされました。誰一人として、自分と同じ人生を生きてはいません。そして、手が後ろに回るようなことをしない限り、どんな生き方をしてもいいと知りました。こんな簡単なことに気付かなかったとは、如何に「社畜生活」が人の考える機能を麻痺させ、本来の自分と正直に向き合うチャンスの芽を摘んでいるかを思い知りました。

■「勿体ない生き方をしたなぁ…」

 年金原資の窮乏が原因で、政府は支給開始年齢を徐々に繰り上げる制度を導入、同時に65歳までの再雇用を企業に義務付けました。その結果、ボクも含め「社畜生活」に飼いならされたサラリーマンの多くは、「年金支給開始までは働ける」と安堵、再雇用を選択しています。しかし前回も記したように、その処遇は決して恵まれたものではありません。そして何よりも大事なのは、「いずれにせよ、65歳になれば放り出される」という現実です。65歳になって初めてその後の人生を考えても、この国の現在の労働環境では困難を極めることは、火を見るよりも明らか…。

 加えて、政府は「65歳定年、70歳年金支給開始」を前提に動き始めています。
 こんな制度が導入されれば、再雇用労働者を取り巻く環境は、今以上に残酷なものとなります。

 ボクは、「社畜生活」を続けた結果、人生の再構築をすべき時期に居るとの認識を持てないまま、還暦を迎えたと自認するに至りました。実に「勿体なかった」と思います。失った時間は、絶対に取り戻せないから…。

■それでもまだ、人生は続く

 今、63歳5か月にして資格取得の勉強をしています。記憶力の低下と戦っていますが、もし取得出来たら、働きたいと考えています。ただ、これまでの40年間のように社畜として「言われるがまま、馬車馬の如く」ではなく、「困っている人を助ける」仕事に就くことを目標にしています。従来のように「フルタイム」ではなく、例えば週に3日とかの非正規雇用でもいいと思うに至りました。何歳まで働けるかは神のみぞ知ることですが、年齢を重ねれば重ねるほど、知力も体力も衰えるのは自明の理。これからは、無理なく働くことで、社会に貢献したいと思うに至りました。

■還暦以降は「恐怖の時代」ではない。

 定年後の人生に、漠然とした不安を抱えている方は少なくないと思います。ただ、「相手」は必ず向こうからやって来ます。それにどう対処するかは、その後の人生をどう生きるかのプランニング次第だと思います。要は「自分がどう生きて行きたいのか」を明確にし、目標を定め、必要な対策を実行することが必要になります。

 ボクの義弟は、ボクよりも3つ年上、今年67歳になります。大手の生命保険会社に勤めていましたが、60歳でスッパリ退職しました。理由は「もう、やりたくもない仕事を続けるのは御免、自由に気楽に生きて行きたい」というものでした。妹は今も学童保育所の先生として在職ですが、給与はそんなに貰っていません。年金支給開始までの3年間、不足分は貯蓄を取り崩して賄ったとか。…そんな生き方をしてもいいのです。

 以前にご紹介した、去年6月に馘首された、元支店長。
 会社都合だったので、翌月から失業保険が給付されました。直ちに求職活動を開始しました。8か月掛かりましたが、64歳3か月にして再就職しました。かなり苦労したとお聞きしましたが、可能性は「ゼロ」ではありません。

 経済コラムリストとして活躍、多数の著書がある大江英樹さん。長く野村證券に勤め、60歳で定年退職。再雇用に入りましたが、「ちっともおもしろくなかった」から、半年で退職。それまでの実績を活かして独立しました。これが成功、年金は繰り下げとしました。ところが去年の年末、突然の病に倒れ、71歳であっけなくお亡くなりになりました。

 要は、

「自分が望む今後の人生実現に対策が必要なら、早くから備える」、

「働かずに気ままに生きるのが希望ならば、それも立派な選択、これまでの現役時代に社会に貢献した実績がある、誰からも後ろ指を指されることはない」

「活かせる実績やノウハウがあれば、独立出来る」

ということだと思います。

 ボク自身のこと。
 記憶力の低下と散々戦っています。
 正直、合格の自信は…(笑)。
 でも、

 もし7月の試験がダメだったら、次回11月にチャレンジするつもりです。

 なりたい自分を実現するために。



2024年05月08日 イイね!

還暦は「転機」!

還暦は「転機」! 皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
 ボクは毎日、7月の国家試験突破を目指し、独り勉強の日々です。

 退職し、5週間が過ぎました。
 当初は言いようのない「喪失感」に苦しみましたが、現在はすっかり回復しました。

 さんざん自己分析を繰り返した結果、ボク自身が「現実を正確に受け止めていなかった」ことが原因との認識に至りました。退職は自身で決めたことでしたが、63歳5か月にも拘わらず、心の何処かに「出来ることならば今後もフルタイム・ワーカーとして働きたい、いや、働かなければならない」的な強迫観念が存在し、現実との擦り合わせが出来ていなかったことが原因と知りました。

 ボクの年齢に近い方は、おそらくこの心情をお分かり戴けるかと思います。

 ボクの場合、60歳の時点で「雀の涙」の退職金が振り込まれただけで、給与ダウンや役職剥奪、配置転換もなく、職場での日常に変化はありませんでした。しかし一般的には、給与を減らされて役職を奪われ、若い上司の下で畑違いの職種に配置転換されるケースは枚挙に暇がありません。それでも、退職して再就職(転職)を選んだ場合のリスクに比べれば、遥かに安定した収入が確実に入りますが、辛い日々を送っている方は、決して珍しくはないようです。

 翻ってボクのこと。
 振り返って考えれば、収入的にも待遇的にも恵まれていましたが、自らの今後の人生について真剣に考えるチャンスを先送りする結果になってしまった…、と自省しております。収入面では安泰でしたが、失ってしまった3年5カ月という貴重な時間は取り戻せません。いや、もっと正確に言えば、55歳時点までに考えて実行すべきでした。この点から、ボクは再雇用を経験した者として、お薦めはしません。

 60歳で定年を迎えたら、それから5年間をどうすればいいのか、との苦悩を抱えていらっしゃる方は、決して珍しくないような気がします。

 経験から申し上げますと、60歳を過ぎてからの「転職」は、かなり困難となります。
 ボクのように「フルタイム・ワーカーとして今後も働きたい」と思っていても、求人はガクンと減ります。「これまでのキャリアを活かせば、まだまだ働ける」と思っていても、肝心の「需要」が無いのが実情です。これまでの40年間、5回の転職で6社を経験しましたが、今回はこれまでとは全く違う様相を呈しています。

 そう、誰でも60歳になると、好むと好まざるとに拘わりなく、「転機」を迎えます。

 それまでは、自身で積み上げたキャリアの「買い手」が何処かに居て、名乗りを挙げれば「入札」してくれましたが、還暦を過ぎた途端に水を打ったようになります。これは当人に原因があるのではなく、「環境」の変化と言うべきでしょう。この現実は、立派な「恐怖」と「喪失感」の原因となります。
(かく申すボクがそうでした)。

 定年後の人生をどうするべきか躊躇し、戸惑われている方は、まずこの「現実」をきちんと認識し、受容した上でプランニングをすることをお勧めします。生きていれば、この「転機」は、嫌でも必ず向こうからやって来ます。

 ボクがこの「転機」を正面から捉えられるようになれたのは、先日ご紹介した喫茶店のマスターご夫妻、それと他ならぬ彼女のおかげ。マスターご夫妻も「転機」を経験され、山奥に喫茶店を開店されたのは70歳を過ぎてから。市街化調整区域だったため、行政に許諾を受けるまで大変な時間と手間が掛かったそう。それがクリアになったら、次は保健所への申請。やっとこさ開店にこぎつけたけれど、当時はコロナ禍の真っただ中。…7ヶ月間、まるでお客さんが来なかったと語ってくれました。また、前回ご紹介したように、彼女からは散々お尻を蹴られました(笑)。

「俺だけではない。みんな、大変な辛苦を潜り抜けて生きているのだ…」

と、改めて教えて戴きました。

 かく申すボクも、この先どうなるかは、全くの未知数です。
 でもボクは、これまでの40年間とは全く異なる「転機」の真っ只中に立っていると、正確に認識することが出来ました。同時に歩き始めることが出来ました。この先、どんなことが待ち受けているかは分かりませんが、一歩一歩、自分の脚で歩いて行こうと思うに至りました。



【追伸】

現在、試験に向けて心理学の勉強をしていますが、ちょっと良い言葉を学びましたので、ここにご紹介します。

■ブリッジズによるトランジション3段階理論…「終わりから全てが始まる」

①「終焉」…何かが終わる時期
何かが上手く行かなかった処から始まり、目標や計画に対して意欲を失って、混乱や空虚を感じる。時には自分自身を見失う。「象徴的な死」を経験させられる。

②「中立圏(ニュートラルゾーン)」…混乱や苦悩の時期
昔の現実が色褪せ、過去の成功に確信が持てなくなり、深刻な空虚感を感じる。夢の狭間、夢の喪失状態。

③「開始」…新しい始まりの時期
始まりは、終わりと比較してあまり印象に残らない。「何かが違うな」という変化を、若干感じる程度。「他にも楽な道がある」という誘惑に打ち勝ちながら、少しずつ新しい目標に到達する。



プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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