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2020年11月29日 イイね!

秋の後ろ姿(埼玉県飯能市)

秋の後ろ姿(埼玉県飯能市) 今日の日曜日。
 昨日、老母から「明日、買い物に連れて行って」と請われたので、朝7時に家を出て、近場で晩秋の武蔵野の風景を楽しみました。
 場所は埼玉県飯能市の吾野地区。自宅から30分ほどです。



 ボクのお気に入りの場所です。
 所謂「流れ橋」。コンクリートの土台に木を置いただけ。水量が増えると流されてしまいますが、その「簡素さ」が魅力。



 橋の上からの眺めです。
 晩秋から初冬の水面、凛とした表情に惹かれます。



 川面に浮かんだ枯葉。
 世に言う「濡れ落ち葉」とは酷い表現ですが、素直に美しく、晩秋を象徴する光景です。



 車を進めていると、あるお家の前で、奥様が鉢植えに水を遣っていました。
 水に輝く紅葉が美しく、車を停め、お断りの上撮影させて戴きました。



 その先に、西武池袋線の踏切。
 飯能からは単線。
 ちなみに「池袋線」は池袋から吾野、「秩父線」は吾野から西武秩父です。



 燃えるが如きもあれば、



 こんな細やかなものも。
 どれも美しき此の国の秋。



 「枯れ」の美!
 植物の名前は分りませんが、こっそりと枯れて行く姿に感動しました。
 まさに「侘び」「寂び」の姿…。



 ここにも階段が。



 朽ちた木も。

 来月還暦、最近この晩秋から初冬の光景に魅せられております。
 そういう齢、「枯れの美学」の入門者と、最近自覚するに至りました。

 そろそろ、手を振る頃合い。
 また来年、お越し下さるのを、心からお待ちしております。

 ……。



Posted at 2020/11/29 17:45:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | お出掛け | 旅行/地域
2020年11月23日 イイね!

もとまろ 「サルビアの花」

もとまろ 「サルビアの花」 昨日22日の日曜日。
 三連休の中日。一昨日訪れた篠ノ井線の廃線の記事を書き終えてから、少しだけレコードの整理をしました。すると、LPの間からポロンと、一枚のドーナッツ盤が零れるように出て来ました。



 ボクは、ドーナッツ盤を殆ど所有しておりませんが、大学入学後、生まれて初めて蒲田駅で下車。東口にあった有名な中古レコード店で購入しました。

 1972年(昭和47年)4月のリリース。
 
 小学6年生の10月16日。
 亡き親父の転勤で上野駅から特急「ひばり」に乗り、東北地方の某駅で片道切符を駅員さんに渡しました。以後、結果的に高校を出るまで無為な日々を過ごすこととなり、この年は我が人生最初の大きなターニング・ポイントとなりました。

 当時、TBSのテレビ番組「ヤング720」(1966.10.3~1971.4.3)に「フォークグループ勝ちぬき歌合戦」とのコーナーがあり、所謂素人が出演、バトル形式で毎週勝者を決めるものだったようです。

 1971年秋。
 当時、青山学院高等部に在籍していた女子高生のユニット「もとまろ」が出演します。海野圭子さん、山田真珠美さん、織間千佳子さんの三人。詳しい経緯は不明ですが、番組のスタッフが彼女たちの存在に気づき、出演を要請したとの説が有力なようです。

 「もとまろ」はあれよあれよと勝ち抜き、4週目が終わります。
 ところがこの時、大変なことが起きていました。
 何と、彼女たちのオリジナルは4曲しかなく、全て歌ってしまったのでした。まさか次週も4曲中のいずれかを歌う訳には行きません。
 この時、フォークソングに詳しい山田さんが「サルビアの花」を歌おうと提案したのでした。

 
   いつもいつも思ってたサルビアの花を
   あなたの部屋の中に投げ入れたくて
   そうして君のベッドにサルビアの紅い花敷きつめて
   ぼくは君を死ぬまで抱きしめていようと

   なのになのにどうして他の人のところへ
   ぼくの愛の方がすてきなのに
   泣きながら君のあとを追いかけて花吹雪舞う道を
   教会の鐘の音はなんて嘘っぱちなのさ

   扉を開けて出てきた君は偽りの花嫁
   頬をこわばらせぼくをチラッと見た
   泣きながら君のあとを追いかけて花吹雪舞う道を
   転げながら転げながら走り続けたのさ


 伝説のロックバンド、ジャックスのリーダーだった早川義夫さんが作曲、作詞は彼の高校同級生、相沢靖子さんで、彼のソロアルバムに入れた曲でした。
 上の歌詞をお読み戴くと、振られた「情けない男」がストーカーまがいの行為に走る内容とお分かり戴けると思います。一方、早川さんは「男女の営み」をシンボライズしたものと語ったと伝えられています。

 ほぼ同じ頃。
 ヤマハが主催しプロへの登竜門となった「ポプコン」の前身、「第3回作曲コンクール」に「サルビアの花」がエントリーされ、オフコースが歌い入賞を果たします。そんな背景も手伝ってか、もとまろがTBSで歌ったバージョンが、ニッポン放送の「コッキーポップ」でオン・エアされました。すると毎週、大量のリクエストが寄せられる事態となりました。

 1972年。
 この曲はスタジオでレコーディングされ、彼女たちが青山学院大学と短期大学に入学した4月に発売されました。和製ポップスとしては大変な売れ方だったとか。また、彼女たちのレコードでこの曲は広く知られるところとなり、その後多くのカバーが生まれました。

 なのになのにどうして…。
 
 彼女たちはプロになる気持ちはさらさらなく、このシングル一枚だけが「もとまろ」の作品となったのでした。

 以下、某サイトからの引用です。

 もともとプロになる気のなかった「もとまろ」のメンバーたち。その後マスコミに顔を出さないまま大学や短大に進学し、「もとまろ」は解散した。

 ただ、彼女たちには心配事が残りました。曲を勝手に使われた早川さんが怒っている、とうわさで聞いていたのです。「お会いしておわびしなければ」。そんな気持ちを引きずったまま、30年が過ぎました。

 結婚して松本姓となった海野圭子さんは現在(当時)、長野県にある玉村豊男さんのワイナリー「ヴィラデスト」で働いています。

 東京・渋谷のライブハウスで2003年12月、松本さんはようやく、早川さんがピアノを弾きながら歌う「サルビアの花」を聞く機会を得ました。「頭をガーンと殴られたような衝撃を受けました。女子高生がうたうような曲ではなかった」

 演奏後に配られたアンケートで素性を明かし、おわびを書きました。ほどなく早川さんから手紙が届きました。曲を世の中に広めてくれて、むしろ感謝していました、という旨でした。

 


 閑話休題。

 ボクがこの曲の存在を知ったのは、高校入学直後でした。
 当時、民放のFMは東京、愛知、大阪、福岡にしかなく、当時ボクが暮らしていた県にはFMはNHKだけ。そんな時代でしたが、毎週土曜日の15時から18時は、各地方局が独自に編成した番組を放送していました。その中に聴取者からのリクエストで選曲・放送するコーナーがあり、初めて聴いたのでした。
 アルペジオで始まるスローな女声コーラス。
 情けない男が主人公の歌詞を、何処かエキゾチック、繊細なガラス細工のような三人の女声が歌う…。そのギャップが魅力に思えました。

 

 

…今だから言えますが、実はボク、浪人が終わった時「情けない男」になりました。
 

 

 辛い高校時代でしたが、それでも男女5、6人ほどでグループ交際していたことがありました。その中のある女性に恋心を抱きました。独りの男として何も言い出せぬまま浪人が決定、晴れて大学生になった暁には、真正面から告白しようと決め、必死に勉強しました。
 
 
 合格直後。
 彼女に電話をし、会って告白しました。既に女子大2年生。
 
 
 …一転、それまでの笑顔が消え、暫く間を置いてから、俯いたまま珠を転がすような声で、こう言いました。


「●●クン(=ボク)のことは好きだし、とってもいい人と思うわ。でも、ごめんなさい。…私、…将来を誓った方がいるの…」

 
 …やっと合格したばかりなのに、暫く立ち直れませんでした。
 この時、思いました。
 
『「サルビアの花」は、ボクのための曲に違いない…!』

 と…。

(今となっては大爆笑!)



 そんな想いを胸に秘め、蒲田の中古レコード店の大量の在庫を必死に漁り、やっと発掘したのがこれです。



 キャニオンの製品なのに、何故か東芝の袋に入っていました(笑)。
 
 …還暦オヤジの「淡い青春の想い出」のレコードです。

 

 


 老若男女を問わず、

「しょーがねーヤツだなー…!」

と、笑って戴ければ幸いです!

 


 お後が宜しいようで…(笑)。








Posted at 2020/11/23 10:50:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | レコード(ジャパニーズ・ポップス) | 音楽/映画/テレビ
2020年11月22日 イイね!

旧国鉄 篠ノ井線廃線遊歩道(長野県安曇野市)

旧国鉄 篠ノ井線廃線遊歩道(長野県安曇野市) 昨日11月21日。
 二週間振りに須坂市を訪れ、難聴の治療を受けました。
 帰路は必ず「寄り道」をしますが、安曇野市にある旧国鉄篠ノ井線の廃線を訪れました。



 この廃線は明科駅と西条駅の間に存在する、約6キロメートル。明科駅には車を停める場所がなく、廃線の明確な痕跡が始まる「明科総合福祉センターあいりす」の無料駐車場に車を置きました。
 なお、全部歩き通して戻ると12キロ!
 還暦直前で運動不足の事務職は、絶対にヘロヘロになってしまいます。なので、所々の要所を車で訪れました。
 こんな案内が出ていました。



 地図がありました。



 駅名標を模したものがありました。
 こちらは「潮神明宮」。
 限られた時間での廃線探訪が目的、後ろ髪を引かれましたが寄りませんでした。



 この辺りから、廃線らしい道床が始まります。コンクリート製の架線柱が並びます。

 篠ノ井線は1902(明治35)年に全通しましたが、この明科駅から西条駅の区間は地滑りの多発地帯で、何度も線路は被害があったそうです。特に1924(大正13)年には、列車が土砂に乗り上げて脱線する惨事が発生しました。こうした事情から新しい線路を建設、長いトンネルを掘り1988(昭和63)年に新線が開通しました。その結果、廃線となった一部区間が、遊歩道となりました。



 西の彼方。
 雪を被ったアルプスが、誇らしげに雄大な姿を見せていました。



 歩いていると、何やら物凄い臭いが!
 …やっぱりでした。
 黄色い絨毯の上に、ブヨブヨになった実が一杯落ちていました。



 少しだけ拾いました。
 ポリ袋のようなものを持ち合わせておらず、ハンカチに包んでカメラバッグに入れて持ち帰りました。が、臭いが沁みついてしまい、開けると悲惨なことになってしまいました…(笑)。



 こんな物も沢山落ちていました。
 安曇野の自然は豊穣…。



 朽ち果てようとする材木。
 ボクにとり「極みの美」!



 やがて、トンネルが見えて来ました。



 三五山(さごやま)トンネル。
 全長25メートル、右へ緩やかなカーブを描きます。



 煉瓦造りですが、表面に乱雑にモルタルが塗られています。



 入口に到達すると、センサーでライトが点灯しました。
 天井はメッシュのようなもので覆われていますが、やはりモルタルが塗り込められているそうです。電化の直前、結露の水滴が架線に落ちることを防止するために施されました。
 第三軌条から集電した碓氷線は、美しい姿を今に伝えています。公共交通インフラなので当然の判断ですが、大変「勿体ないな…」と思いました。



 闇のカーブに柔らかな灯りが連なると、幽玄の趣が漂います。
 一歩一歩、歩きながら観察。変化を楽しみました。
 訪れたことはありませんが、例えばプロシア時代の古城を連想していました。



 とても柔らかく優しい…。
 教会に灯る蝋燭にも思えました。



 保線員の方のための退避スペース。
 当然、現役当時は灯りは存在しなかったはずですが、こうして眺めると「芸術作品」として完成された存在に思えました。



 反対側です。



 出た地点は入口とはガラリと変わり、山中の掘割。
 既に、ここ安曇野は晩秋から初冬。枯葉に覆い尽くされた道床が、一直線に続きます。
 …この「幻想的」な光景に佇むのは、何と「ボク」だけ!
 贅沢な光景ですが、内省的な気持ちにもなりました。

 来月7日で還暦、「定年」です。
 
 先日のこと。
 社会に出て20年勤めたレコード会社の先輩・同僚3人と、久し振りに池袋で飲みました。レコード業界は、20年前から今に至るまで、ずっと「斜陽産業」。ボクも含め4人全員が会社を去っていました。そのうち一人は退職後、同業他社に転職したものの、待遇は契約社員。遂に正社員になれず8月に定年を迎えたそうですが、給料は半分以下になったと落胆していました。

 ボクは今の会社が6社目。
 
 最初のレコード会社は外資でした。
 外資狙いで採用に応募したのではありません。
 英語も「ヘタクソ」!

 新聞記者か雑誌の編集者に憧れていました。
 でも、当時もマスコミへの就職は大激戦。
 音楽好きなこともあり「マスコミの匂いがする」レコード会社を受け、結果的に入社したという顛末。

 ボクの場合、同業他社を狙わなかった(=レコード産業に自ら見切りをつけた)ので、どうしても外資転職を繰り返さざるを得ませんでした(国内資本の一般企業は、外資出身の採用に後ろ向き。「高給の要求」、「一匹狼」、「すぐ辞める」の人材が多いとされるため)。その結果「入ってみないと分らないこと」が原因で、何度も転職を余儀なくされました。同時にプライベートで元妻の病気が進み、やがて死という結果が訪れました。
 
 …今振り返って見ても、よくあの「人生の厳冬期」を乗り越えたと思います。

 今の会社は、給料はさほどでもありませんが、どうやら暫く(65歳まで)は勤めることが出来そうです。先の同僚のように、給料が激減することもなさそう。
 
 …人生、辛い時もあれば良い時もあると、今日改めて実感しました。



 トンネルの上には、こんな光景が!
 僅かに残った紅葉が、初冬の柔らかな陽を浴びて輝いていました。
 ガードレールと電線が目障りですが、大変美しい姿に感動しました。
 少しでもお伝え出来れば幸いです。



 25.0パーミルの標識。
 三五山トンネル入口のキャプションに「25パーミルを上がれず、やり直したことも珍しくなかった」とありました。
 66.7の碓氷峠が如何に「激坂」だったかを、改めて思い知らされました。



 すでに「モノクロームの光景」。
 でも、

 こんな「紅」や、



 こんな「黄」も、まだ残っていました。



 車に戻り移動、こちらへ。



 漆久保トンネル。
 早速、歩きます。



 すぐに着きました。



 キャプションです。



 使われている煉瓦は、地元明科で焼かれたもの。



 天井。
 蒸気機関車の煤が沁み込んでいました。



 トンネル出口から前方を臨んで。
 誰もいないこの光景を独り占めしました。



 振り返って、トンネル出口。
 陽が当たらぬ姿が、冬の訪れを無言で伝えていました。



 車に戻って移動、廃線遊歩道の終点、第二白坂トンネルです。
 遊歩道の終点、通行不可能と聞きましたが、



 その通りでした。
 2000メートルを超えるとか。
 通行可能にしてほしいですが、距離が長く安全対策にお金がかなり掛かりそう…。



 手前には、こんな清流と橋が。
 暫く橋の上に建ち、川面を眺めました。
 この地で列車を走らせることに尽力した、当時の駅員、機関士、保線員などの方々を思い、頭を下げました。
 
 いろいろなことが思い起された廃線散策。
 大変に充実した休日でした。

【今日の「オマケ」!】



 至近に白鳥が越冬する場所があると知り、訪れました。



「お、47羽もいるのか、どれどれ…」

 入ってみると、



 1羽も見えず、夥しい鴨が「ガアガア」鳴いていました(笑)!

 白鳥に会えずちょっと残念でしたが、暫く鴨サンのコケティッシュでのんびりとした「ガアガア」を聴いていました。

 …いつの間にか癒されていました!
 微笑んでいる自分を自覚しておりました。

 ボクは「独身還暦」!
 
 彼らを見習い、これからも「ガアガア」鳴き、鳴き続けようと思いました。

 …「鴨サン」に、勇気を戴きました。

「ありがとう!」








 




Posted at 2020/11/22 16:04:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃の美学 | 旅行/地域
2020年11月15日 イイね!

秩父、吾野の紅葉 (埼玉県秩父市・飯能市)

秩父、吾野の紅葉 (埼玉県秩父市・飯能市) 昨日。
 「プチバカンスもつの華」さんでお腹を満たし、秩父市のミューズパークへ向かいました。銀杏並木が名物、「紅葉」ならぬ「黄葉」が目的でしたが、何と、9割方が散っていました(笑)…。



 タイトルの写真以外に、まあ観賞に耐えるのは、これだけでした。



 でも「もみじ」は素晴らしい色に染まっていました。



 帰路。
 芦ヶ久保の「道の駅」で「小さい仕事」をして発車。
 その直後、道端にこんな祠を見つけて停車して撮影しました。



 その横。
 ススキと清流。
 横瀬川です。



 こんな階段も。



 さて。
 エンジンを掛けようとすると、何度キックしても掛かりません。
 実はこの日、最初に掛けた時、激しいバックファイヤーと爆発音が続き、プラグを交換して正常に戻ったのでした。なので真っ先にプラグを疑い、この道端で交換しました。
 キックを踏む前にガソリンコックを開けようとして確認すると…、

 …何と、閉まっていました(冷汗)。

 何度もキックをした後に閉めようとしていたら、原因がすぐに分かったはず。道の駅で停車した時に長年の習慣で閉じ、発車前に開けるのを失念した結果と知りました。
 間もなく還暦と、改めて思い知らされました。

 この後。
 西吾野駅へ向かう道に入り、駅を通り過ぎて北川の集落へ向かいました。



 西武秩父線の下を潜り、最初に迎えてくれるのが製材所。
 ここで撮影しました。

 ここ北川は、ボクが最も好きな地元の紅葉スポット。
 おそらく10年ほど前の秋の日。
 秩父での結婚式に招待され、電車で向かいました。
 西吾野を発車直後にトンネルに入り、抜けた瞬間…。
 此の地の秋の光景が、一瞬で網膜に焼き付いてしまいました。
 低い山並みの北側を走る西武秩父線の高架下、狭い扇状地に赤や黄、朱に染まった集落。幻想的で夢を見ているかのような光景でした…。それ以来、毎年この季節には訪れます。



 製材所前の旧い石橋。



 苔蒸した欄干上に、蔦の紅葉…。

 既に日が陰り始めたので、昨日はここで引き返しました。



 今日。
 北川を再訪しました。



 同じ位置で撮影した昨日の写真です。



 貯木場で撮影しました。
 対向車に備え、ライトを点灯しました。





 木の断面を見ると、ボクは何故か癒されます。





 素晴らしき紅葉…。
 観光客は皆無、ボクだけが「観客」!
 「3密」など、全く無縁!



 階段。



 清流。



 廃校になった北川小学校。



 山奥に、何故か人工の建造物が。
 正体は、武甲山から高麗川まで地下を貫く、石灰石を運搬するベルトコンベアです。

 北川地区はハイカーの方は訪れますが、奥はコースから逸れるので、観光客はほぼ皆無。商店もなく、「昭和の武蔵野の秋」を満喫出来ます。
 
 
 来週の三連休がラスト・チャンスと思います。






 
Posted at 2020/11/15 17:15:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | お出掛け | 日記
2020年11月15日 イイね!

プチバカンスもつの華 (埼玉県飯能市)

プチバカンスもつの華 (埼玉県飯能市) 昨日14日の土曜日。
 休日でしたが、始発電車で会社に行きセキュリティーを確認、終了後にさっさと戻り、W1Sを引っ張り出しました。

 この週末、埼玉県南部は快晴の蒼穹。昨日はオートバイ、今日はクルマで同じ299号線で秩父を往復しました。

 11時過ぎ。
 こちらに到着しました。



 西吾野と正丸の間、秩父に向かう左側にあります。
 所謂「もつ煮」のお店です。
 クルマでは何度も通過していましたが、駐車場が確認できず、一度も立ち寄ったことはありませんでした。

 昨日の最初の客でした。
 W1Sを停めると、年配のご主人が出て来て「いらっしゃい!」と笑顔を向けてくれました。



 メニューです。
 定食がメインですが、ボクは「ラーメン」をお願いしました。



 まだ準備が整っていなかったようで、30分近く待ちました。
 漸く出て来たのがこちら!何と、メニューには書いてありませんが、ごはん付きでビックリ!

 早速「いただきまーす!」

 「もつ煮」そのものの中に、ペッタンコのきしめん状の麺が入っています。甘辛のもつ煮のスープを上手く掬い、とても美味しいものでした。



 こんなに沢山、もつが入っています。
 他に具は、味玉1/2、メンマ、絹ごし豆腐、ネギでした。
 体が温まり、途中でバイク用のジャケットを脱ぎました。



 ふっくらと炊き上げたご飯は、これまた美味!
 ひきわり納豆で食べたくなりました。



 ですが、小食のボクには完全制覇は無理でした。
 残してしまってゴメンナサイを告げました。



 駐車場は、1枚目の写真に写っている左の急な坂の上に「3台分」とのスペースがありましたが、かなり無理っぽく思いました。おそらく、2台が精一杯。また、食後はバックで急坂を降りることになります。
 でも、味はグッド!これで700円は良心的と思いました。

プチバカンスもつの華

埼玉県飯能市南川695-2
080-8708-1547

10:00-17:00 月・火・水休


【今日の『オマケ』!】





 W1Sの「ねぐら」を設置しました。
 値段は張りますが、ボックス・物置状のものでシャッター付きのものを考えていましたが、妹夫婦を筆頭に車での訪問客が駐車出来なくなるため、伸縮式の畳めるタイプのこれにしました。
 お値段は約10万円、当初の計画より、かなり安くなりました。
 これで一安心です。

 
Posted at 2020/11/15 15:59:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラーメン | グルメ/料理

プロフィール

「お知らせ http://cvw.jp/b/2970161/46422054/
何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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