昨日5月21日、お昼にこちらを伺いました。
会社の至近。東急池上線の大崎広小路駅から直ぐの「平太周 味庵」さん。おそらく、およそ5年ぶり位です。
こちらは、「背脂ギトギト」ラーメンで有名なお店。
40年前。
名実ともに、立派(?)な貧乏学生でした。
成績が悪く浪人をせざるを得ませんでしたが、何とか拾ってくれたのは三流私大。二年後には三歳下の妹も進学。親父は工場勤務のエンジニア、ほぼ同時に二人の子供の学費と生活費を捻出するのは困難でした。そのため、入学直後から生活費を稼ぐようになりました。
最も稼いだのは、横浜のドヤ街、寿町での日雇い労働。当時、既に労働者の高齢化が進んでおり、ボクのような若者が「アブれる」(仕事を貰えない)ことは、ほぼ皆無でした。一日中、世田谷通りで穴を掘ったり、金沢八景の埋め立て地で建売住宅の下水配管をしたり…。体はクタクタになりましたが、日給は当時では破格の1万2千円くらいでした。
これが夜勤になると倍になりました。
テナント飲食店の修繕や解体が大半でした。
収入は良かったけれど、いくら若くても体がもたなかったこと、危険な現場も多く、怪我をしても何の保証もなかったことから、一年ほどで足を洗いました。
代わりに始めたのが、アルバイトの掛け持ち。
塾の講師、交通量調査員、左ハンドル輸出車の船舶への積み込み運転、羽田空港での機内清掃、私鉄運賃値上げ前夜の券売機料金表示板の交換作業、ちり紙交換車助手、果てはラブホテル前での証拠写真撮影まで…。不思議なもので、常に他人の傍らで真面目に取り組むと若くても評価されたようで、あちこちから仕事の声が掛かるようになり、経済的に困ることはありませんでした。でも監視されているような気分が嫌で、いつしか独りで完結出来る仕事を選ぶようになりました。
その代表的なものが某大手不動産販売会社の「中古マンション」売買チラシの配布。当時、1枚2円、5000枚で10000円でした。結構大変でしたが、大きな処を狙って配れば、日没から始めて夜明けまでには終わりました。オプションのキャリアをつけた中古のベルーガ80。リヤシートと荷台、それに足元のステップに積み、未明の都内を「ヨタヨタ」走っていました。配ったチラシが縁で成約すると、「斡旋料」との名目で、結構な金額を戴きました。
当時、板橋方面の時。
必ず「夜食」に立ち寄ったのはの環七の外回り。川越街道をオーバークロスで渡り東武東上線を潜った先。今や伝説となった「土佐っ子」でした。
環七と平行に一直線のカウンター。
左端に4人掛けのテーブルが一つだけありました。
お店に入ると、カウンター左端で料金先払い。メニューは「ラーメン」と「チャーシューメン」、それにオプションの「ゆでたまご」だけ。お支払いが終わると割り箸が渡されます。お尻が赤く染められたものと普通のものと2種類あり、17本ずつのローテーションでした。つまり、一回の「茹で」は17杯分、配膳前に店長が「赤い箸の方、おまちー」と言います。この場合、普通の割り箸を持っていたら次のロット、「白い箸の方…」と呼ばれるのを待つシステムでした。
「土佐っ子」の特徴は、濃い醤油ベースのタレを、豚骨や鶏ガラ、ニンニク等の野菜で作ったスープで割ります。そこへ茹で上がりが少しクタッとした「つるや製麺」製の細い多加水麺と具を入れ、最後に柄のついたザルと柄杓に豚の背脂と煮込んだニンニクを挟み、17個の丼の上からバシャバシャと振り掛けます。箸を割り最初の仕事は「天地返し」。最深部は濃い醤油タレ。中間はスープ。「蓋」は背脂。これらの三層を馴染ませ、初めて味わうのでした。
…柔目の麺とコッテリのスープのコラボがとてもおいしく、まさしく「深夜の後ろめたい禁断の味」でした…。
そんな「名店」でしたが、おそらく1986年か87年頃を境に、味が「ガクッ」と落ちました。
ボクは当時、地方の営業所に勤務していましたが、19時から4時までだけではなく昼間の営業も始めたと知り、出張のついでに午後に食べに行きました…。
…従前の味わいは皆無。ただ脂っ濃いばかりで、何だかピーナッツを擂り潰したような味…。丼には「なすび」の文字…。半分ほど食べましたが、それ以上はとても無理でした。
「土佐っ子」に関するHPは幾つもありますが、総括すると、当時の経営者がギャンブルで多額の借金を負い、ある反社会勢力に経営権を譲渡したとの記述が多く見受けられます。この新たな雇用主の方針に従来から務めていた従業員の多くが退職、中山道沿いの板橋本町に「元祖土佐っ子ラーメン」を開きます。しかし「土佐っ子」が商標登録されて使えなくなった事などから閉店、ここに居た3人が共同で開いたのが「平太周」さんなのだとか。
やっと、写真が出て来ました(笑)。
「こってりラーメン」と「味玉」を購入しました。
蘊蓄が掲げられています。
「平太周」の姉妹店とありますが、本家は既に閉店したと聞きました。
店内はカウンターのみで通路は狭く、こんな角度になってしまいました。ごめんなさい。
カウンター上にも蘊蓄が。
脂が体に良いのかは少々疑問ですが、緑黄色野菜と無縁のエスキモーが脚気にならないのは、アザラシやカリブーの生肉を通じてビタミンを摂取しているからと、何かの本で読みました。
やがて、目の前に配膳されました。
うおー、見た目のインパクトが凄い…!
底部から麺を引き出します。
やっぱり、染まっています。
「天地返し」!
攪拌します。
チャーシューはバラロール!
スープとの相性が良く、柔らかくておいしいもの。
メンマは薄味。
と言うよりも、スープの味が濃くて、よくわからない…。
デフォルトでゆで卵1/2が入ります。
8割方、黄身が固まったもの。
味玉は液状の半熟。
このスープには、固ゆでの方が合います。
麺は当時の「土佐っ子」よりも格段に太く、硬い食感でした。
スープ以外は全部食べました。
出自は「土佐っ子」ですが、似ていながら非なる味わい。それはそれで、美味しく戴きました。ただ、40年前とは異なり、後で太田胃散を服用してしまいました…(笑)。
「東池袋大勝軒」と同様、「土佐っ子」はその後出店、亜流が相次ぎましたが、現在営業中のお店は限られています。こちらの他でボクが知る限りでは
平太周 味庵 神保町店
環七らーめん てらっちょ 我孫子店 (千葉県我孫子市)
環七らーめん じょっぱり (埼玉県鴻巣市)
拉麺 梅太郎 (埼玉県所沢市)
下頭橋ラーメン (東京都板橋区)
環七ラーメン 周麺 (群馬県高崎市)
環七土佐っ子ラーメン (東京都豊島区)
まだ他にもあるかも知れません。
なお、最後の「環七土佐っ子ラーメン」は、一説によると初代の経営者が愛人に与えたお店とのこと。経営権を譲渡する以前からこの看板を使用しているため、土佐っ子を名乗れるとされています。
【追記】
この記事を書き終えてからネットを探すと、何と全盛期の「土佐っ子」を紹介したドキュメンタリー映像を発見しました。1日にチャーシュー用の豚肉100キロで2500枚、メンマ20キロ、卵900個、麺1200食、箸1500本…。一夜で1150食を販売…。改めて凄いお店だったと実感させらました。
ご興味のある方は、下記を訪れてみて下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=WehfijiXCko
平太周 味庵
東京都品川区大崎4-2-2 トーカンマンション五反田1階
03-3495-9800
11:00-23:30 無休
Posted at 2021/05/22 09:16:01 | |
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