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ArtBlakeyのブログ一覧

2020年07月24日 イイね!

いすゞ「ベレット」

いすゞ「ベレット」 7月18日、土曜日。
 長野県須坂市を難聴の治療のため訪れました。
 終了後、市内を走っていると、「草ヒロ」状態の「名車」が停まっているのに気づき、急いでUターンしました。

 いすゞ「ベレット」、GTスポーツの名車です。いすゞが普通自動車から撤退して久しくなりましたが、他にも優雅なフローリアン、ヨーロッパ調のオシャレな「117クーペ」といった、他社とは一線を画す個性の強いクルマを製造していました。
 フロントに丸灯が4つ並んだ、いかつい印象。
 いかにも「走り屋」の風貌、周囲を睥睨するかのよう。



 左サイドからです。
 リアがスカートを被ったデザイン。フロントとは異なり、何処か女性的で優雅な印象を与えます。



 フロントガラスは、車格の割に面積が広く感じました。



 繊細な意匠のワイパーアーム。
 これ、ボクのロードスターに取り付けたくなりました。
 材質はアルミでしょうか。今も綺麗なフォルムです。



 ルーフ前部中央に、伸縮式のラジオアンテナが。
 この位置、実用上は大変扱い辛いと思いますが、デザイン最優先でこの位置に置いたような気がします。



 フロントホイールです。
 所謂「鉄チン」ですが、ワイヤーと言うかスポークと言うべきか、その姿はラグジュアリーそのもの!



 エンブレムです。
 Bは大文字、以下は小文字の筆記体繋げ文字。
 女性が書いたかのような、細くデリケートなデザイン!



 ドアノブです。
 釦を押しながら引くタイプ。昔のクルマには、このタイプが多用されていました。何だか懐かしくなりました。





 室内です。
 外からはこれが限界でした。



 リアのラッゲージ。
 飛び出た「蝶番」がイイ!



 リアビューです。
 後ろはマムシや青大将が潜んでいそうなブッシュ、脚を踏み入れませんでしたので、これが限界でした。
 左右それぞれ2連の四角いテールが特徴です。

 「男性らしさ」と「女性らしさ」が混在しますが、それが虻蜂取らずにならず、結果的に優雅さが際立つデザインに昇華した印象です。それは前述のフローリアン、117クーペ、それにピアッツァ等にも継承されることとなります。

 このクルマ、それなりにヤレてはいましたが、タイヤにはしっかりエアが残っていました。また、シルバーメッキを施されたパーツの状態が良好で、リアバンパーは輝いていました。ベレットに関する詳しい知識を持ち合わせていませんが、材料とメッキには、相当の資金を注いで製造したのでは、と思いました。
 
 余談ですが、10年ほど前に、ヤマハXS-1をごく短期間だけ所有したことがありました。半ば黄色い土埃を被った状態でしたが、キャブとエアクリーナーのエレメントとゴムパッキンを掃除し、バッテリーとプラグを新品にしたら、いとも簡単にエンジンが掛かって驚きました。それが嬉しくてエンジンを磨き始めて、また驚きました。ボクのような素人でも、使われているアルミのクォリティーの高さが直ぐに分りました。アルミの肌理が細かく、目に優しい輝きを返してくれました。その一方、エンジンオイル注入口には「3000CC」とあり、大食漢ぶりにまたしても驚きました!結局、このXS-1は、前に勤めていた会社でいろいろ酷いことがあり、転職活動を決めた時、その軍資金捻出のために手放しました。汚なくて不動だったものを実働にし、磨くだけ磨いてピッカピカになった直後でしたので、今も未練があります(笑)!

 このベレットを見て、そんな昔のことを思い出しました。
Posted at 2020/07/24 13:52:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃の美学 | 日記
2020年07月23日 イイね!

32番の都電に乗って…

32番の都電に乗って… 去る7月5日。
 東池袋大勝軒を訪れたことはご報告済ですが、食後に至近の「停留所」へ足を向けました。



 東京都電の「東池袋四丁目」停留所。
 嘗ては41もの路線が、大田区、世田谷区、練馬区を除く20区を、網の目のように走っていました。しかしモーターゼリションと地下鉄の建設が進んだことで邪魔者扱いされ、当時の美濃部都知事が全路線の廃止を決めました。その結果、1972年(昭和47年)10月までに、39と1/2系統が全廃されてしまいました。残り1と1/2系統も廃止が前提でしたが、他と異なり殆どが路面を走らない「専用軌道」。代替バスを走らすことが出来ず、暫定的に運行継続に。その後、詳しい経緯は忘れましたが廃止が撤回され、今に至るまで運転されています。

 今、この路線は「荒川線」が正式な名称。
 荒川区の三ノ輪橋から町屋、北区の王子、豊島区の王子を経て、新宿区の早稲田までを往復しています。このうち、荒川車庫から早稲田までが昔の都電32番、王子駅前から三ノ輪橋までが27番。王子駅前から荒川車庫までは、27番と32番が重複運行されていました。
 ちなみに、先ほど「1と1/2系統」と申しましたが、元々の27番は赤羽から王子駅前を経て三ノ輪橋を結んでいました。ところが王子駅前から赤羽までは北本道りの上を走る「路面電車」だったので、最後まで残っていた江東区や葛飾区などを走っていた路線と共に廃止されてしまったのでした。

 こうして、残されたレールは三ノ輪橋から早稲田までの1本になりましたが、全く「傷を受けなかった」32番が荒川車庫から早稲田まで、王子駅前から赤羽を奪われた27番が王子駅前から荒川車庫を経て三ノ輪橋となり、スルーで載り通すことが出来ない状態となりました。そのためこれら2つを統合して運用することとなり、「荒川線」となりました。

 ちなみに、ボクが生まれたのは王子駅前の社宅。小学3年生までを過ごしました。当時は27番、32番の他に19番が王子駅前と通三丁目を走っており、霊岸島に住んでいた母方の祖母を訪ねる時は終点まで乗り通したものでした。その後、社宅内での引っ越しがあり、親父の勤めていた工場に近い王子5丁目電停、今の地下鉄南北線の王子神谷駅至近に引っ越しました。

 いやー、都電に乗るのは、おそらく20年(以上)ぶりだと思います。
 この「32番」は専用軌道でスピード感があり、当時既にクルマに塞がれ身動きがままならなくなっていた他の都電と全く異なり、王子の子供たちには人気でした。夏休みに高学年の子が引率して豊島園のプールに行く時など、わざわざ「東池袋4丁目」で降り、17番で池袋まで行ったことを覚えています。

 ちなみに、27番と32番は「王子電車」と呼ばれた私鉄を、当時の東京市が買収したのだとか。それが専用軌道が多い理由です。



 車内に「ちんちん!」のベルの音!
 都電は「ちんちん電車」と呼ばれました。これは車掌さんが「発車オーライ」を運転手さんに伝えたもの。今はワンマン運転ですが、この発車音が今も聞けて頬が緩みました。



 路線図です。
 「東京さくらトラム」とあります。
 既に「荒川線」ではなく、この名前になっているらしいデス!
 でも、ボクにとっては「32番」(笑)!



 大塚駅前でかなり乗客が入れ替わりました。
 発車し、「ホープ軒本舗」の横を掠めます。お店は開いていませんでした。



 停留所のプラットホームに、和菓子屋さんがありました。
 この「庶民感覚」、イイ!



 庚申塚の商店街です。
 とげぬき地蔵を経て巣鴨まで続きます。



 赤い電車と擦れ違いました。



 運転席です。
 昔の都電には運転席に座席はなく、運転手さんは「立って」いました。
 メーターは剥き出しの機械式でした。
 隔世の感があります。



 こんな専用軌道が続きます。



 飛鳥山電停に到着しました。
 ここから王子駅前までのたった一区間、本当に「路面」を走ります。
 昔は「都電の専用軌道」は珍しい存在でしたが、今では「路面を走る」のはここだけです。
 


 路面上での擦れ違い。
 昔は珍しくも何ともない光景でしたが、妙に懐かしさを覚えました。



 明治通りを右折待ちする車が、軌道上に列を為しています。
 こういう光景が、東京だけではなく全国的に路面電車を廃止に追い込んだのでした。
 …何だか切なくなりました。



 右カーブの下り坂を下りて行くと、



 京浜東北線の王子駅が見え、



 ガードを潜れば



 王子駅前電停。
 ボクの生まれ故郷、ここで下車です。



 電車は新しくなり、街も嘗ての面影は全くなくなりました。
 昔は駅前に「王子デパート」がありましたが、経営がおかしくなり、程無くして閉店。唯一営業していたのが地下にあった「キャバレー 女の世界」デシタ!
おそらく、小学校入学前でしたが、階段横に掲示されていた刺激的な看板を目にするたび、「入ってミタイ!」と思ったものでした(笑)!
 …子供の頃の記憶って、普段は忘れていても、思い出すと鮮明です!



 JR王子駅裏、石神井川が駅下を潜るところです。
 嘗ては水量が豊富でしたが、バイパスの水路が掘削され、こんな状態になりました。それでも、何処か鄙びた東京らしからぬ「王子」に特有の雰囲気は、今も健在で嬉しくなりました。



 この後、こちらへ。
 その後のことは、また別途ご報告致します。

 都電、いいですよ!
 決して速くはないけれど、「昭和」を堪能できます!
 乗ったことのない方にも、おススメします。
 
 

Posted at 2020/07/23 17:50:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | お出掛け | 日記
2020年07月19日 イイね!

伊勢崎 丸長(群馬県伊勢崎市) vol.1

伊勢崎 丸長(群馬県伊勢崎市) vol.1 昨日の18日。
 須坂から旧太子駅を訪れ、帰路に立ち寄ったのがこちら「伊勢崎 丸長」さんです。「丸長のれん会」の加盟店の大半は東京、埼玉、神奈川、千葉にあります。例外は僅か、信州中野とつくば、名古屋の丸和さんグループ、そしてこちら伊勢崎です。



 玄関です。
 右奥に店内に入る自動ドアが。
 消毒液で手を揉んでから入りました。

「いらっしゃいませー!」



 一人、カウンターに案内されました。
 結構な大箱。6、7人が座れるカウンターの他、複数の4人掛けのテーブル席、それにお座敷がありました。
 時刻は13時20分。お昼のピークを過ぎていましたが、まだ賑わっていました。







 メニューです。
 何しろラインナップの量に圧倒されました。
 所謂「丸長のれん会」の加盟店の大半はラーメン専業。こういう「中華料理店」としての位置づけのお店は殆どありません。
 この背景には先代、宮入保さんの血の滲むような努力が存在します。

 「丸長」のルーツは、敗戦後長野県出身の5人の蕎麦職人が、共同経営という形で荻窪に「丸長」ののれんを掲げたこと。ここから「丸信」、「栄楽」、「大勝軒」、「栄龍軒」などが独立します。

 保さんは長野県は上条のご出身。阿佐ヶ谷の「栄楽」で修業に入り、ここで同郷の湯本嘉治さんと知り合います。二人は大変に「ウマが合った」そうで、栄楽から共に独立、「荏原丸長」を開店します。その後も移転なのか新たな出店なのかはわかりませんが、「宿河原丸長」を一緒に立ち上げます。その後、保さんは「淵野辺丸長」を立ち上げますが、このタイミングで湯本さんは引退を決断、故郷へ帰りました。
 実は荏原から宿河原に移る準備期間の間、保さんは1年間、自由ヶ丘の「南国飯店」で修業、ラーメンに止まらぬ幅広い中華料理の会得に励まれたそうです。これは現二代目店主の博志さんがまだ幼かった時で、子供を抱えて考えた結論だったとか。
 
 淵野辺のお店を畳んで伊勢崎へ移転したきっかけは、親戚がいらっしゃったからとか。保さんは当時54歳。東京や神奈川と違い、今もローカルな立地。終の棲家となるに違わぬ見知らぬ地へ片道切符で赴き、自宅兼店舗の大箱を構えました。
 「清水の舞台」。
 子供さんを抱え、不退転の決断だったに違いありません。

 まさしく「人に歴史あり」の実例!
 ボクは、例えば日経の「私の履歴書」のような、人物の人生を紹介する連載が好きですが、その大半は「有名人」。名もなき庶民の一人として、保さんの人生には、大変感動しました。
 
 この時に役立ったのが、南国飯店での「中華修業」!
 至近には、箱根駅伝で知られる「上武大学」のキャンパス。体育会の学生に南国飯店で培った腕を振る舞うと、果たして「大ウケ」!これで経営のベクトルが定まりました。ちなみに、「裏メニュー」として「上武丼」なるものがあるとか。物凄い大盛り、「シェア」、「ギブアップ前提」はだめとか…。
 「怖いもの見たさ」で、チョットダケ、ミテミタイナァ…。



 山岸さんも終生名を連ねた「丸長のれん会」の会員証が、誇らしげに存在しました。そう、こちらは「伊勢崎の中華屋さん」ですが、正真正銘の「丸長」!二代目の博志さん、保さんの生き方をきちんと受け継いでいらっしゃいます。

 カウンター席でメニューを見ていました。
 あまりにもラインナップが多く、「つけそば」が見つかりません。
 やっと確認したのが「和風つけめん」。
 こちらでは「つけそば」ではありません。

 カウンターの中で中華鍋を振るっているいるご主人が、盛んにボクに目配せします。これは坂戸店の二代目と「ソックリ」!合ったタイミングで「和風つけめん、トッピングに茹で玉子と海苔」をお願いしました。二代目、マスクで目元しか見えませんでしたが、一瞬、緩みました。



「おまちどうさまでしたー!」

 20代と思われる女性、ひょっとしたら二代目の娘さんかも知れませんが、丁寧に置いて下さいました。

 お盆に一杯!
 この季節のサービスなのか、スイカの一切れが嬉しい!



 箸立てから抜くと、こんな「袋」が!
 …まだ食べていないのに、口元が緩みました。

「いただきまーす!」



 麺は中細、ウェーブはさほどなく、ストレートに近いもの。
 所謂、普通の中華麺を茹で、流水で締めた食感でした。
 個人的な感想ですが、「太目の素麺」的。



 スープは一口含んで「ウマーーーっ!」
 「甘さと塩が40対40、10が酸、残り10が辛」という印象。
 デフォルトで一口飲みましたが、全ての味が大変に濃く、悪魔的な「おいしさ」でした。このスープに麺を浸して啜ると絡みが絶妙!!
 丸長も東池袋大勝軒も、加盟店が全て同じ味てはなく、独自の裁量を委ねられている部分があります。こちらは「ホントウにおいしい!」



 トッピングの茹で玉子を箸で割り、最後に食べました。

「ウマーーーーーっっ(笑)!」



 おそらく250gほどと思いました。
 難なく食べ終えました。
 「丸長」さんは、荻窪本店、目白、坂戸、須坂で食べました。
 ボクは「自分が食べておいしかったお店」だけをご紹介しておりますので、どちらも素晴らしい!その中でも、ボクの嗜好にピンポイントでした。

食べ終えて、手を動かしているご主人に、

「こちそうさまでしたー。こちらは初めてですが、ホント「丸長」の味でした!」

と言いました。30秒程度でしたが、「丸長噺」をし、マスク越に一緒に笑いました。

 

 お会計の時。
 カウンターにある物を認めました。

「ご主人、これ、分けて戴けませんか?」

「それ、売り物ではないんです…」

 鍋を振るっていらっしゃったので、そのまま出て車に乗ろうとした時。
 ご主人が勝手口から小走りで来られ、ボクに何かを握らせてくれました。

「お持ちになって下さい」




 帰宅して、取り出しました。







 …一見の客に、こんな大切なものを託して下さいました。



 こちらは、お支払いしました。
お店で食べる際にも使いましたが、「丸長のれん会」の店舗限定で販売されている、つけ麺用のオリジナル七味です。丸長のルーツ、長野県長野市は善光寺前にある七味唐辛子の有名店、『八幡屋礒五郎』とのコラボ商品です。お値段は780円でした。
 


 「お箸」!



 とってもステキな光景!

 ご主人、有難うございました。
 ちょっと距離はありますが、必ず伺います!


伊勢崎 丸長
 
群馬県伊勢崎市福島738-2
0270-32-8174

11:00-14:30 / 17:00-22:00
水曜休







 

 



Posted at 2020/07/19 17:49:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラーメン(丸長・東池袋系) | グルメ/料理
2020年07月19日 イイね!

旧太子駅(群馬県吾妻郡中之条町)

旧太子駅(群馬県吾妻郡中之条町) 昨日18日。
 月に一度の難聴治療で、長野県須坂市を訪れました。
 生憎の天候でしたが、帰りに少し足を伸ばし、かねてから訪れたいと思っていたこちらに立ち寄りました。



 旧国鉄長野原線の終着駅だった、旧太子(おおし)駅です。 
 昭和20年1月2日、国鉄長野原線(現JR東日本吾妻線)の、渋川と長野原(現長野原草津口)間が開通します。同時に、長野原と僅か一駅の太子間が、日本鋼管群馬鉄山専用線として運行開始。戦況の悪化により鉄鉱石の採掘増量が必至となり、群馬鉄山と太子駅の間を索道で結び鉄鉱石を運搬、ここから貨車に載せて運び出しました。
 敗戦後、国鉄長野原線として運行されましたが、鉱石輸送の廃止と吾妻線の長野原から大前への延伸により1970年(昭和45年)に休止、翌1971年5月1日に廃止されました。

 地元の中之条町は平成20年代に入り、当地を住民用の公園として整備しましたが、駅の遺構が多く埋没していることが判明、発掘復元作業に着手しました。2018年(平成30年)4月に一般公開を始めました。



 入場料は200円。



 切符売り場で支払います。







 改札を潜ると、目の前にこれらが鎮座していました。
 かなり腐食していますが、この駅と群馬鉄山の間約8キロを結び鉄鉱石を運んだ索道で使用された「バケット」です。ロープウェイのようなワイヤーから一定の間隔を置いてこれが提がり、中に鉱石を入れて運びました。こちら一帯では既に索道の痕跡は見当たりません。どんなものかを見たい方は、「毛無峠」の記事をご覧下さい。峠に遺された実物の写真を見ることができます。



 鉄鉱石の実物です。
 結構な大きさです。



 駅の西側にはホッパーの遺構が、無言で朽ち果てんとする柱を並べています。
 ホッパーとは簡単に言えば「砕石機」。索道で運ばれた鉄鉱石を細かく砕き、下に敷かれたレール上に並んだ無蓋車に、なるべく隙間を作らずに積み込む設備です。



 上から見たところです。
 今は土に埋まっていた1階部分しか遺っていませんが、嘗ては4階建ての構造だったそうです。



 剥き出しの鉄筋は錆び、敗戦直前の粗悪なコンクリートはボロボロです。いつ崩壊してもおかしくはないそう、ホッパー内部への立ち入りは禁止です。





 貨車が何両か展示されていました
 この2両は、静岡県の大井川鉄道から譲渡されたもの。



 丸いハンドルはブレーキです。





 こちらの無蓋車は、元ひたちなか海浜鉄道のもの。
 美しいリペイントが施されています。



 何の説明もありませんでしたが、入り口から最も遠い位置に置かれていた2両の無蓋車です。この見事な「枯れ」っぷりに、ボクはすっかり目を奪われてしまいました。



 林立するホッパーの柱を従えて佇む姿…。
 幻想的な光景です。



 ホッパー側の側板は朽ちていました…。









 「廃線」とか「廃駅」のカテゴリーではなく、むしろ「産業遺産」と呼ぶに相応しく思いました。
 山中に突如現れる姿は、あたかも神殿のようでした。
 この種の建造物がお好きな方は、是非一度訪れてみて下さい。

 旧太子駅

 群馬県吾妻郡中之条町大字太子251-4
 0279-95-3055

【今日の「おまけ」その①】



 太子駅の先に、旧いアメリカ製の鉄橋が遺されていると知り、訪れました。
 名前は「吾妻橋」。既に通行は禁止されています。
 ご覧のようにリベットが打たれた美しい橋。
 足尾の「古河橋」に似たフォルムです。
 残念ながら夏は木が繁茂しており、完全な姿を見ることは出来ませんでした。
 再度、秋から冬に訪れてみようと思います。

【今日の「おまけ」その②】



 菅平から406号線を下り、144号線に入りました。
 この道は去年の台風の影響で、今も田代から大前は通行止め。
 北軽井沢に抜けるには「つまごいパノラマライン」で迂回しますが、今は高原キャベツ収穫の最盛期!道路はトラクターのタイヤがまき散らしたドロだらけの上、昨日のこのあたりは強い雨。我がロードスターは、こんな悲惨な姿になってしまいました。
 帰宅後の掃除が大変でした…。





Posted at 2020/07/19 10:31:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃の美学 | 旅行/地域
2020年07月12日 イイね!

所沢大勝軒(埼玉県所沢市)vol.3

所沢大勝軒(埼玉県所沢市)vol.3 そんなに沢山はいらっしゃらないと思いますが、覗きに来て下さる皆様、お元気でいらっしゃいますか?

 丸長須坂店を訪れたのが引き金となり、最近お昼は「つけそば」や「もりそば」ばかり食べています。実は先週の火曜日、母を検査入院させた後、こちら所沢大勝軒を訪れました。この時、トッピングにメンマをお願いしたところ、スープにてんこ盛り状態!小食のボクには、とても完食出来ませんでした。
 昨日11日の土曜日。
 今度こそ「完食」を目指して伺いました。



 時刻は11時15分。最初の11人は入店済で、前から5番目でした。



 今日は「もり(小)」720円と「ゆで玉子」50円、「刻みのり」(50円)をお願いしました。好物の「ねぎ」も量が多いので、今回はパスです。



 相変わらず、狭いカウンターだけの店内は人で埋まっております。
 みんな、こちらの「味」に嵌っているのでしょう。よくお見かけする方も何人かいらっしゃいました。



 当初、ボクは壁側に案内されましたが、ご家族連れが後から入られたので、厨房側に移動しました。ラッキー!
 ご主人の後ろに茹で上げ鍋とスープ鍋が並んでいるのが見える「特等席」!



「おまちどうさまでーす!」

 目の前に麺とスープが置かれました。



 今日は刻みのりをお願いしたので、丸長の「ざるそば」的な見栄えです。スープに浸して食べると、のりの香が口から鼻に伝わりました。
 これはおいしい!



 デフォルトでゆで玉子は1/2が入りますが、ボクはトッピングの分を半分に切って貰い、スープに入れて貰いました。スープを吸った味がたまらない!いつも最後に戴きます。
 スープは「甘・辛・酸」が見事に1/3ずつのバランス!
 豚骨、鶏ガラ、昆布、野菜などを煮出したもの。見事に「山岸さんの東池袋の味」を再現しています。



 チャーシューは分厚いもも肉が今日も2枚!
 「おつまみ」で食べたいと、毎回思います。



 ナルトとメンマ、のり1枚、薬味のねぎが入ります。



 やったー!
 スープ以外は「完食」しました。

 実は先週は、お昼は毎日、東池袋流に言う「もりそば」を食べていました。
 ボクの職場は五反田ですが、所謂「城南」と呼ばれる渋谷区、港区、目黒区、品川区、大田区には何故か「大勝軒」はごく僅かだけ。おまけに「味」は……。
 大勝軒はお店による味のバラツキや優劣が顕著なことで知られています。中には本当に酷い処もありました(スープを一口、麺を一度啜っただけで出た店もありました)。こちら所沢大勝軒は、ボクが食べたお店の中ではナンバーワン!おまけに、地元にあるから嬉しくなります。

 ご主人。
 2003年の開店以来、ずっと「白タオル鉢巻に紺のシャツ」。
 東池袋の『正装』をたった一人で纏い、そのままの「味」を届けてくれます。!10時50分頃の「11人分の注文」は自ら受けることも。
 一国一城の主、「主流派」にも「非主流派」にも属したことはなく、「味」は全て自己責任。師匠の味を伝承するとの責任感は、並大抵ではないと思います。

 
 ごちそうさまでした!



所沢大勝軒

埼玉県所沢市緑町4-5-4

04-2926-9707

11時~15時30分(麺がなくなったら終了) 第1・3月曜日、日曜日休


Posted at 2020/07/12 19:01:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | ラーメン(丸長・東池袋系) | グルメ/料理

プロフィール

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何シテル?   09/28 15:34
 妻はアルコール依存と摂食障害を患い、主治医の勧めで調停離婚しました。その1年後、彼女は突然世を去りました。一年に2回の母親との別れを経験した一人息子と、ドライ...
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